天安門事件は、1989年6月4日に中国北京の天安門の広場周辺で起こった大虐殺である。それから30年経過した。その前後の出来事を含めて、及川幸久氏の解説動画を観た。わかりやすい解説であるので、推薦したい。

https://www.youtube.com/watch?v=kLxrCrV_H6w

https://www.youtube.com/watch?v=0mLddz38twA

 

上記二本の動画に触発されて、記事を書くことにした。ここでは、蛇足になるかもしれないが、その前後の中国や日本をもう少し広く見て、まとめてみたい。

 

1)天安門事件(六四天安門事件)

 

1985年にソ連共産党書記長になったゴルバチョフが、グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(再構築)を唱えて、民主化の方向に舵を切った。それに呼応する形で、中国の共産党総書記だった胡耀邦が民主化の方向に舵を切るが、共産党保守派の反撃で1987年1月失脚し、1989年死去する。

 

胡耀邦の追悼集会から始まった民主化要求の集会は、ゴルバチョフ訪中の5月15日頃、50万人規模になり、北京市内の移動さえも困難になる。しかし、鄧小平は渋る趙紫陽を無視して、戒厳令布告を決定する。ゴルバチョフが中国を離れたあと、19日李鵬首相を責任者にして戒厳令が布告される。

 

その日、温家宝を連れた趙紫陽は、天安門広場でハンガーストライキを続ける学生を見舞う中で、これから起こる惨劇を想像し、涙を見せて学生たちにハンストの中止を促したが、学生たちには真意が十分に伝わらなかった。(以上Wikipediaから)

 

趙紫陽は事実上5月20日に解任され、6月4日大虐殺が人民軍兵士によって行われた。なお、鄧小平は総書記などの最高のポストにはつかなかったが、党中央軍事委員会主席のポストは放さなかった。名目上の最高指導者は、何か失敗をした場合には命も危なくなる。しかし、軍を握るものが、結局、最高の権力者だからである。鄧小平のそれまでに得た教訓なのだろう。

 

1989年の天安門事件のあと、鄧小平は、「中国では100万人が死んでも大きな暴乱とはいえない」と語ったという。これは毛沢東のことばを意識した発言である。毛沢東は、中国を1949年に建国したのち、大躍進運動や文化大革命で、一億人近くの死者を出した。そして、「1億や2億死んだとしても、どうってことはない」と言ったと言われる。鄧小平の上記発言は、自身の政治活動における死者全てを合計しても、大した数ではないと自己を弁護しているのだろう。(補足1)

 

中国の恐ろしさを何よりも端的に表現した、それまでの最高実力者二人の言葉である。

 

 

2)天安門事件でいったい何人が殺されたのか?

 

天安門大虐殺(Tiananmen Square Massacre)での死者数については、謎のままである。それどころか、中国政府は、事件を隠蔽し続けるだけでなく、歴史から消し去るつもりのようである。天安門大虐殺の30周年記念日を前に、でのWikipediaの閲覧を、これまでの中国語だけでなく、全ての言語で禁止したという。(上記及川氏の動画)

 

ある記事には、党はこの事件のあと、兵士を含む241人が死亡し、7000人が負傷したと発表したと書かれている。https://www.businessinsider.jp/post-192112

 

しかし、それは少なすぎる。この事件を目撃した日本人ジャーナリストが証言している。

 

フジテレビの平井文夫氏である。平井氏によれば、中南海の塀の上から数十名の軍の兵士が自動小銃カラシニコフで、天安門の群衆に向かって銃撃し殺害していったという。その銃撃だけでも、相当数の死者が出た筈である。

 

平井氏は、「中国共産党は事件による死者が319人と発表しているが、その後の報道を見る限り1000人単位の人が犠牲になったのは明らかだ」と記事に書いている。https://www.fnn.jp/posts/00379830HDK

 

この現場を取材した記者の証言、学生たちを説得する趙紫陽の涙と、事件後の鄧小平の上記言葉などから、数千人規模或いはもう一桁上の死者が出ただろうと、想像される。数百人の死者なら、「100万人死んでも」という表現は使わない。

 

BBCの報道によれば、約一万人が殺されたと言う。この数字は、当時のアラン・ドナルド駐中国英国大使が1989年6月5日付の極秘公電で英国政府に報告した。大使は、「中国国務院委員を務める親しい友人から聞いた」と説明している。

https://www.bbc.com/japanese/42482642

https://www.bbc.com/news/world-asia-china-42465516

 

因みに、NHKのクローズアップ現代という番組では、天安門広場での死者数はなかったと放送したという。NHKは、日本国民から多額の視聴料を奪いながら、どこかの国のプロパガンダを流していたのである。(補足2)

 

 

3)西欧社会の中国制裁と、その解除に努力した日本政府

 

欧米民主主義の国々は、天安門事件に対して経済制裁で応じた。日本も短期間、西側の制裁に加わるが、1年でその民主主義社会の輪からいち早く離脱する。

 

あの海部総理は、西側首脳として初めて事件後の中国を訪問し、その上ODA(政府開発援助)を再開した。(1990年7月)更に、あの宮沢内閣は天皇を訪中(1992年10月)させ、中国の国際社会への復帰に尽力した。

 

これらの背後にあるのは、何なのだろうか。戦争中のことに関しては、日本は中国に対して負い目があったのは事実である。しかし、それは中国共産党政府(中共政府と略記)に対してではなく、中国の人たち一般に対してである。もし、天安門で起きたことが全ての中国の人に良かれと思うのなら兎も角、単に、その時の政府に擦り寄る外交は間違いだと思う。

 

第一に、すでに中共政府とは、日中平和条約が締結されている。平和条約は、その時点で、双方が未来志向の関係に切り替えるという合意である。その後は、対等の関係で外交を展開することが可能な筈である。

 

平和条約に先立つ日中共同宣言締結の時、周恩来は「日本人民と中国人民はともに日本の軍国主義の被害者である」として、「日本軍国主義」と「日本人民」を分断するロジックによって「未来志向」のポリティクスを提唱し、共同声明を実現させた。

 

この周恩来の言葉は、何時の時代でもどのような国家間の関係でも成立する素晴らしい言葉である。少なくとも平和条約締結後には、両国間の外交は両国の人民のためになくてはならないと思う。海部と宮沢は、上記の件を含めて、愚人と評価されてしかるべきだろう。

 

そして、これは言うまでもないが、過去の戦争で日本帝国が戦った相手は、中国国民党政府であり、中共政府ではない。毛沢東は、日本軍の国民党政府との戦いに対して感謝の言葉を述べたと、何かの書物で読んだ記憶がある。

 

日本はその後も過去の戦争に対する負い目からか、中国や韓国に対して卑屈な外交を続けた。この日本政府の国際政治に関する常識の欠如、戦略的思考のなさに、腹立たしく思う。日本の政治家の質が劣悪なことが原因の一つだろう。(補足3)

 

自民党政府は、町内の人間関係である「外交」と同様の感覚で、国家間の外交を行っているのだろう。国益とか戦略とかいう言葉をオーム返し的に用いるが、実際の外交にはそれらは皆無に近い。(補足4)

 

現在、中国は西欧的近代社会のルールを長年無視し、世界で第二の経済大国になり、世界における覇権を主張するようになった。知的所有権の無視、技術の不正な取得、借金付け外交と恫喝外交など、国際ルールを無視する姿勢や、国内問題とは言え、ウイグルやチベットなどでの人権無視も、世界のルールに違反している。それに米国や欧州の国々は、団結して対決する姿勢を示している。

 

それにも拘らず、今回も西側諸国で例外的に、日本が日中関係の緊密化に動いている。来年には習近平主席を国賓として、日本に招待するようである。将来、日本を支配下に収めれば、天皇家は消えるだろう。その天皇に、習近平を会わせるとは、安倍は一体どこの国のために働く総理大臣なのか。

 

4)中国の政治文化の特徴とその理由

 

中国では、自分とその一族が全てである。この一族の横の繋がりが全てであるので、一族からの出世は一族に潤いをもたらす。汚職や不公正な人事は、一族への還元行為としても当然のことである。このような話は、小説「ワイルド・スワンズ」にも描かれているし、以前テレビに良く出ていた柯隆氏も語っていたことでもある。

 

従って、法は権力者の道具であり、一般民にとっては手かせ足かせに過ぎない。また、政治などを議論する私的空間はあっても、「公の空間」はない。公の空間での政治の議論や示威行動は、従って、時の政権への敵対行為である。それは、国家の政治を支配するのは中央の権力が全てであるからである。

 

しかしそれでも、一般民にとって国は、自分たちの生命を守る存在として大事である。その外部にある夷狄は、城壁内の全てを殺す機会を狙っているからである。そして、この夷狄に対する敵意と蔑視が、中華思想の根源である。

 

この様な境遇の被支配者であるから、“夷狄は文化を持たない人間以下の存在であり、自分たち「中華」のみが本当の人間である”という、「中華思想」が出てきたのである。中国史の歴史学者岡田英弘は、その様に書いている。「誰も知らなかった皇帝たちの中国」参照。

 

同書には、今でも“自分たちが唯一の人間であり、「夷狄」などは人間ではなく、殺しても奪っても構わないというのが、中国人の固く信じているところである”と書かれている。上に書いた毛沢東や鄧小平の言葉の背景には、このような人命軽視の中国文化があることを我々日本人は肝に命ずべきである。

(写真家有賀正博氏は、「中国で偉大な指導者として崇められる人は、自国民の命を軽く考える人である」と解説をしている。https://www.photo-yatra.tokyo/blog/archives/219

 

中国の政治的秩序は、天安門マサカーが示すように、恐怖政治により担保されたものであり、倫理や法といった、人の心に内部基準として設定されうるものには依存しないのである。西欧社会も日本のそのことを十分知らないと思う。

 

一方、西欧社会や日本には、人々の心には「公(おおやけ)」が存在する。一般民までが「公の空間」を意識するには、神を信仰するという宗教的背景がなければならない。

法や倫理は、神の代理的なもの(proxyという単語がふさわしいのだろう)として、心のなかにセットされる。それが、近代西欧社会の秩序の源である。

 

しかし中国の人たちは、儒教や道教はあっても、神を持たない文化に生きてきた。そして、親や支配者に対する忠義はあっても、第三者の困難を防ぎ思いやりを強いる「公」という神のプロキシはない。(補足5)従って、日本と中国の間の秩序ある平和的な互恵関係は、細部にわたる文章となった契約で築くのが正しいだろう。

 

長い人類史のなかでは、一般大衆は食べることに汲々としてきたのが現実である。その大衆に、経済的に一定の余裕が出てきたというだけで、政治文化の中に「公空間」が生じると期待するのは、元々無理な話である。公空間の発生は、民主主義社会の前提である。

 

「経済発展により中国は民主化の方向に進むと期待した」と、米国を中心とするグローバリストたちは言うが、それは非常に浅い理解か自分たちの強欲に基づくものである。

 

 

5)南京大虐殺のプロパガンダ:

 

その中国が西側の制裁緩和での結束を破る方法として行ったのが、南京大虐殺のプロパガンダである。1997年、米国在住のアイリスチャンにThe rape of Nankingを書かせ、天安門事件に対する世界の記憶を希薄化させることに成功する。

 

それは中国の考え方からすれば、一つの自然な選択だろう。日本から多少の不利益を被るとしても、それよりも大きな世界からの利益があると考えた戦略である。そこには、「真実は歴史に残ったものが真実であり、プロパガンダは真実を創造する手段である」という思想に基づいている。それは、司馬遷の「史記」以来不変の真理である。つまり、国際社会においても、生き残った方が善であり、滅んだ方が悪である。

 

既に上に書いたが、日本政府や経済会の人たちが、同じ文化の内部での人間どうしの付き合いと、価値の物差しが全く異なる国家間の付き合いを同じ様に考えるのは、致命的な間違いである。

 

 

補足:

 

1)鄧小平は、1931から毛沢東が率いる共産党グループに所属する。1952年、毛沢東により政務院の重要ポストを得て、1957年に、数十万人を冤罪で迫害する反右派闘争の指揮をとる。「100万人が殺されてもたいしたことではない」の裏に、もう一つこの件もあるのだろう。

 

2)翌日帰還する戦車の最前列で、戦車の進行を妨害する男性の映像が有名である。このピューリッツア−賞受賞の映像は静かな抗議であり、前日早朝の惨劇を忘れさせる危険性があると思う。この映像しか知らない人は、NHKの報道を信じる可能性がある。天安門事件といえば、この写真や動画が出されるのは、中国共産党には幸いなことである。

 

3)日本政界を劣悪な人材が牛耳るのは事実ではある。田園部出身の政治を家業とする二世、三世が、その地方の利権と直結した形で国政に参加するように選挙制度ができており、中央政界において安定な地位を確保するからである。

 

4)国益を第一に考えて戦略構想を創りあげ、それを下に外交を展開するという、戦前に作り上げた政治文化とシステム(シンクタンクなどを含めた)など全てが、過去の戦争と戦後の占領政策で奪われたままなのだろう。その再建が、吉田、岸、池田内閣あたりまでに行われなければならなかった。しかし、それが出来なかったのは、池田内閣あたりから、完全に金儲け主義に堕落してしまったからだろう。(或いは、戦前からそのような政治文化を学んでいなかった可能性もある。)

 

5)日本文化には神道や大乗仏教が根付いている。「お天道様」や「阿弥陀仏」は、ほとんど全ての日本人が心に持ち、通常は損得ではなく善悪や真偽を優先し、公のルールに従順である。そして、人を疑うことは罪悪であり、善意の推定が文化として根付いている。それは日本人の平和的だがひ弱な人間性の原因となり、戦略的思考などは特別な訓練を受けた者にしか存在しない。

前置き:

 

以下は2015年2月28日のブログ記事である。一定数の閲覧があったが、現在では検索にかからないので、再録することにした。陰謀論には二つあり、一つは戦略的な陰謀論であり、もう一つは撹乱戦術としての陰謀論であるという主張である。他国の陰謀を推測することは外交上大事であるが、それを否定する元外交官二人を批判した内容である。

 

「従軍慰安婦という性奴隷説」や「南京事件での大虐殺」では、その主張により利益を得ようとする者は、最初には発言しない。特に基本条約(平和条約など)を締結して、過去を清算して未来志向を約束した国家間では、それらは陰謀とみなされる危険性が高いからである。そこで有効なのは、その主張が成果を収めた場合に大きな損害を受ける側、或いはその近くから、主張させるという企み(陰謀)である。

 

そのような企みは、国家間の外交とコミュニティの人間関係を指す時に使う「外交」の区別が、十分できない国、日本、を相手にする時、成功率が極めて高い。そのように考えて、ここに再録し、陰謀論の意味を表裏二面から考えることが重要であると改めて主張したい。

 

 

[ 以下、再録記事 ]

 

 

Voice 3月号の巻頭討論「ユーラシアの地政学」を読んだ。テレビでおなじみの佐藤優氏と宮家邦彦氏の対談をまとめたものである。二番目のセクションからは面白く読ませていただいた。二番目からのセクションタイトルは、「プーチンの思惑」、「日豪関係の重要性」、「韓国との付き合い方」、「中国こそ韓国の脅威」、そして「21世紀のグレート・ゲーム」である。例えば、最後のセクションでは、宮家氏が”やはり日本人にとって大切になるのは、四方を海に囲まれた我国が地政学的に如何に恵まれているか、翻って各国が地政学的にどんな状況にあるのか、という想像力でしょうね。”と発言している。この点は本当にその通りであると思った。

しかし、最初のセクション「反知性主義の病理」には一部納得し難い箇所があり、その点に絞って感想を書く。最初に佐藤優氏が、“日本の言論界では反知性主義が席巻しだしている"として、ヘイトスピーチを行い、排外主義的な書物を出版する人たちを非難している。この点には同意するが、そこからの二人の意見には同意しかねる。佐藤氏の反知性主義の定義は、「客観性や実証性を無視もしくは軽視して、自分が望む様に世界を理解する態度のこと」である。そして、”反知性主義は学歴の高い人でも陥る危険がある。外務省をやめた途端に反米主義者になったり、陰謀論者になる人がいて情けないですが、日米同盟は日本の外交に欠かせない要件です。この点が崩れた人の本は読まなくて良いでしょう”と発言している。

私はこの部分の発言で、この人の限界を見た気がする。“外務省を止めたとたんに反米主義者になった人”と非難しているのは、孫崎享氏なのだろうか。また、陰謀論者になった人とは馬淵睦夫氏なのだろうか。両氏の本を読んだが、非常に示唆に富んだ内容であり、日本の戦略を考える上で役立つ筈だと思った(注釈1)。

もちろん、日米関係は日本外交に欠かせない要件であると思う。しかし、孫崎享氏の考えを反米主義として、馬淵睦夫氏の分析を陰謀論として葬ることでしか、彼らと対峙出来ない人は、そもそも外交専門家としては貧弱に思える。そのような姿勢で、夫々自国の利益をしたたかに追求する外交の場に臨むのは、自国の手足を縛ってしまうようなことになると思う。勿論、現場に居る人は米国の思惑と推理できることがあっても、それを本に書くことはできないだろう。しかし、退職したのなら、国家機密保護の原則にふれない範囲で自由に発表してよい筈である。

続いて宮家氏が、“我々が対峙しているのは、歴史学ではなく、現実としての国際政治です。過去の価値ではなく、現代の価値で戦っている、ということです。現代の価値とは、自由、民主、法の支配、人権、人道という普遍的価値を意味します。こうした普遍的価値に背を向けて、過去の価値体系で議論しても、国際政治の場では何の意味もありません。”と発言している。

表舞台で、これらを普遍的価値と看做すのは当然だろう。しかし、日本が関係を大切にすべき国家である、米国を始めとする西欧諸国が、本当に「自由、民主、法の支配、人権、人道」で動いているのか? 現代的価値というが、その現代は何時から始まったのか?第二次大戦後なのか、それ以前なら何時頃なのか?それを明らかにしなければ議論にならないと思う。そして、何よりも、米国のCIAやM何とかという英国の秘密情報機関、米国と結びつきが強い、イスラエルのモサドなどが、その現代的価値を重視して動いているのか?

本音があるのなら、もう少し本音を出して話して欲しい。本音があっても出せないのなら、そのような発言をしないで欲しい。世界が上記現代的価値で動いていると思う人が多くなるのは、日本の有権者を全体的に幼稚にしてしまう。

佐藤氏による反知性主義の定義は、「客観性や実証性を無視もしくは軽視して、自分が望む様に世界を理解する態度のこと」であった。諜報機関が裏で活動することも多い外交の世界では、当然秘密裏に(宮家氏の定義した)”現代的価値”を無視したことが起こり得て、それが外交を考える上で鍵となることも多い筈である。サイエンスではないので、客観性や実証性に縛られると、非常に外交における思考の幅を狭めてしまうと思う。

陰謀論を披露する人々だが、二つに分類出来ると思う。真面目な陰謀論者と陰謀で陰謀論を語る者である。真面目な方は、例えば上に挙げた馬淵睦夫氏である。彼が著した「国難の正体」は、私を含め素人の読者には非常に参考になる本である(注釈2)。もちろん、それを100%信じるのは反知性主義かもしれない。しかし、そのような考え方を披露するのは、反知性主義では決して無いと私は思う。

陰謀で陰謀論を語る者とは、「東日本大震災(地震)は、地震兵器で某国がひき起した」などと語る人である。“陰謀で陰謀論を語る人”は、真面目な陰謀論者を抱き込んで、一緒にゴミ箱に捨てられる役を引き受けているのだろう。もちろん、そのような陰謀があるかどうか客観性も実証性もない。しかし、外交とはそのような世界ではないのか?

注釈:
1)孫崎享著「アメリカに潰された政治家たち」と馬淵睦夫著「国難の正体」は、有益な本だと思う。そのような考え方があることを、日本人は知るべきである。
2)このように具体名を挙げると、「馬淵さんはちょっと極端な意見を述べただけで、反知性主義者ではありません」と反論されるかもしれない。しかし、彼らには反論の資格がない。何故なら、彼らは反知性主義者の具体名を挙げていないし、且つ、外務省を退職した馬淵睦夫氏が書いた「国難の正体」は、あるグループの陰謀をのべたものであるからである。

トランプ大統領は米国の車が日本で売れないことを、貿易不均衡の一つに挙げているが、日本人が米国産の車を買わないのは、満足できないからである。(補足1)つまり、米国の車メーカーが、日本人の求める車を製造し、販売していないだけである。一方、日本メーカーは、米国において米国人が求めている車を製造し販売している。

 

その日本車の“長所”の一つは、おそらく故障しないことだろう。その結果、新車購入後15年以上元のオーナーが保有し続ける車の上から10位までの全てが日本車である。これは以下の米国のサイトでの統計の結果である。https://www.iseecars.com/cars-people-keep-longest-study#v=2019

 

上記記事では、その一位がトヨタのHighlanderで、写真でみた印象では、おそらく日本のトヨタ・ヴァンガードのようなSUV車だろう。この車は18.5%の保有率である。中古車の購入者の保持も入れた場合、15年以上動き続けるHighlanderの%は、ずっと高くなるだろう。

私は、トヨタの社員でも株保有者でもないが、この日本車の特徴は、日本の工業技術が産んだものであり、日本の誇りの一つである。この頃は儲け第一主義が蔓延りだしたが、本来、他人の役に立つものを作り販売することが、日本の製造販売業の文化である。それが空気のように当たり前に日本社会に存在して居た(又は居る)。それは大きな日本の資産であり信用(credit)である。

 

因みに、中古車のネット販売のサイトを見つけ、このHighlander (limitedというタイプ) の価格をみた。2013年製(つまり、6年落ち)の65350マイル(約105000km)走ったのが、なんと16500ドル(役180万円)で売られている。更に、同じタイプの2008年製で、走行距離132202マイルの車が9533ドル(約104万円)であった。この両者の差をとると、5年間で58000マイル走る際に支払う車本体の代金が、76万円だったことになる。

https://www.iseecars.com/used_cars-t5989-used-toyota-highlander-for-sale

 

つまり、1リットルのガソリンで仮に9.3km走るとすれば(本当はもっと短い距離だろう)、1万リットル消費する。アメリカでもリットルあたり76円位(日本では130円ほど、ハイオクなら150円位)は支払うだろう。本体価格と比較して、エネルギー代と同程度或いはそれ以下の機械は、自動車位しかないだろう。別の表現では、この車で1日52km走って、422円支払ったことになる。これがレンタカーの原価だとしたら、それは物凄く儲かる商売になる。(補足2)技術の極限、State of the art、だと思う。

 

因みに、米国においてこのタイプの車で人気が高いのが、韓国のHyundai(現代自動車)、Kia(起亜自動車)である。 同じサイトで、SUVだけのリストがあった。それが、次のテーブルである。

ここには、ヒュンダイの車が9位、キアの車が10位にランクインしている。このデータから想像すると、耐久性は、トヨタやホンダの車に劣るように思う。(7:25編集)

 

補足:

 

1)スタイル、価格、耐久性の他に、日本では燃料消費量が、車を買う際の大きな決定因子である。それが考慮された車なら、GMやFordの車は日本で売れると思う。スタイルは一般に日本車より良いし、ブランド力もある。外国車としての価格は欧州車よりもむしろ安いだろう。

 

2)一例だけ拾い上げて、ここまで言うのは、本当は科学的ではない。本来、最低でも20位のサンプルをとって、標準偏差を示すのが科学的姿勢である。本格的なデータ解析の結果ではないことをお断りしておく。