鄭州市は東シナ海から約500km内陸に入った黄河と北側で接する人口一千万の河南省の州都である。長江(昔揚子江と呼んでいた)に接した武漢市の北北西400km程の所という紹介も可能である。そこでの大規模な洪水は、共産党政権の発表とはかけ離れた膨大な被害があったようである。その原因が、黄河本流や支流での水量増加に備えたダムの放水等による人災の可能性が高い。

 

それを通知無しで行ったようで、突然の増水で逃げることが出来なかった人も多いようだ。その実体を報じる動画(香港のニュース最前線)を紹介する。

 

 

 

 

そのような非通知のダム放水などをする地方政府の官僚の実体を報じたHarano Timesの動画を引用する。この動画は、中国共産党政権の残酷さと隠蔽体質をもっとも良く解説したものだと思う。文革時代の最後、数十万人が死亡した河南省の水害という人災とその背景を解説した絶対推薦の動画です。

 

 

(7月24日午前6時30分)

 

 

オリンピック関係者の人選が非常に杜撰だったことが、次々と明らかになっている。その最後の極めつけが、オリンピック開会式の演出を担当した元お笑いタレントの小林賢太郎である。敬称は今回用いない。小林賢太郎は、過去にユダヤ人大量虐殺を笑いのネタにしていたことが、ユダヤ人の団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)」からの抗議により判明した。

 

それを受け、組織委員会の橋本会長が小林の解任を発表した上で謝罪した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6cf28bd75ce9dbd09cab4b5d06a83c886f0ab66d?tokyo2020

 

そして、菅総理も記者会見で、この小林処分についての妥当性に言及したが、開会式は行うと明言した。菅総理は、この件の国際的重要性が全く分かっていない。小林を解任したのなら、彼が演出責任者として作り上げたオリンピック開会式は中止すべきである。

 

日本の人たちは(筆者も日本人の一人だが)、謝罪という言葉の意味がわかっていない。もし、その謝罪が、小林が開会式の演出を担当する資格がなかったという意味なら、開会式は中止すべきである。それは建築士の資格が無い人物が設計した建築物なら、その建設工事は中止させるべきであることと同じである。

 

SWC1995年、雑誌マルコポーロを廃刊に追い込んだことで知られている。その国際的影響力は非常に大きい。日本のオリンピック担当者や菅首相は、SWCによるこの抗議を深く考えていない。小林を解雇して、謝罪の言葉を口にすれば、それで良いと思っているフシがある。本当に謝罪する気持ちがあるのなら、開会式は中止すべきである。

 

SWCは何故21日になって、この抗議を発表したのか、菅総理らは考えるべきである。この抗議をタイミングを見て行うことが、おそらくずっと以前から決められていただろう。21日を選んだのは、担当者を替えて演出をやり直す時間的余裕が無くなったタイミングだからである。つまり、演出をやり直したという「言い訳」が不可能なように、21日に抗議してきたのである。

 

つまり、日本国民を代表する日本政府の、ナチスによるユダヤ人ホロコーストに対する姿勢を確認する作業として、今回の抗議が行われたのだ。この程度の企みの意味すら、菅総理とその周辺は読めていない。

 

ユダヤ人の人脈は、現在アメリカ及び世界の政治を支配している。表の世界では誰もそのことには触れないが、影では常識として語られている。その人達の広報機関的なところからの抗議であるから、それなりに慎重に対応すべきであった。

 

それに付け加えるべきことが二つある。

 

 日本の笑いの文化は下劣である。漫才でよく見られる、相手役の頭を叩く動作で笑いを取ることはその代表である。それを含めて、日本のテレビの中で放送される「お笑い」は、下品の羅列である。個人の尊厳を軽視することを笑いの種にすることは、イジメに通じる。

 

その流行をつくったのが、あの安倍元総理お気に入りの吉本興業である。そのひとりがダウンタウンの浜田雅功と松本人志のコンビであり、恐らく今回の小林もその一人だろう。

 

 刑事罰に相当しない場合、日本のほとんどの人は、加害者側の謝罪は、被害者側の許容とセットであると思っている。そして、許さない場合には、和を破壊する狭量な奴だと、非難の矛先が反転して被害者に向かう。

 

悪事を成した場合、謝罪と対を成すべきは、償である。それが個の尊厳が確立した国際社会の常識だと私は思う。

 

2)公益財団法人東京オリンピック委員会と公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック組織委員会(このセクションは、7月23日午前5:30追加した)

 

東京五輪・パラリンピック組織委は22日、23日の五輪開会式を予定通り実施するとの声明を発表した。組織委のコメント全文:

 

「本日、小林賢太郎氏を解任したことを踏まえ、改めて開会式の演出内容を精査しましたが、演出内容は様々な分野のクリエーターが検討を重ねて制作したものであり、小林氏が具体的に一人で演出を手掛けている個別の部分は無かったことを確認しました。開会式については、予定通り実施する方向で現在準備を進めています」

 

 

これが、日本という国のあり方である。小林を解任したことは、単に言葉だけのことであり、何もなかったかのように式典は行われる。解任というより、単に仕事を早く切り上げたか、現場からリモートに換えただけだろう。報酬も通常通り支払われるだろう。

 

ところで、ウィキペディアによると、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会のトップは、橋本聖子である。副会長は山下IOC会長ほか6名、そして実際上のトップはどうも専務理事、事務総長の武藤敏郎という元財務官僚のようだ。他に、常務理事1名と理事35名の名前がある。

 

同組織委員会のHPを見ると、全体が半分黒塗りでクリックしても組織の全容は見ることができない。事務総長とか書紀長のような人が組織の実質的トップであるのは、共産党支配の中国と同じなのだろう。

 

 

 

理事35名のうち、20名が開会式の中止か簡素化を要望しても、何の効果もないのも、中国共産党政権と同じである。勿論、ウイグルなどでの人権無視の国と同等の組織なのだから、SWCの抗議も届かないのだろう。

ーーー 終わり ーーー

東京オリンピック・パラリンピック(オリパラ)の音楽担当の小山田圭吾氏が、学生時代に障がい者とみられる同級生をいじめていた過去を批判され、辞任に追い込まれた。この件、テレビなどで話題になっている。https://news.yahoo.co.jp/articles/51ddc6ee572c946cc3eca3ab6b7d8070e699fe68
 

組織委員会の武藤事務総長が「小山田氏の謝罪の言葉を理解した。彼は十分に謝罪し反省しているので、このまま仕事を続けてもらいたい」という趣旨の発言をしたことについて、橋下徹氏はテレビ番組で「小山田氏の留任には、これまでどういった反省を示す行動をしてきたか示す必要性がある。それもなく、五輪で彼の音楽が流れることは日本の恥である」と語った。

 

 

 

結局、小山田氏の辞任により、この問題は一応決着した。しかし、日本という国の国際的評価は元には戻らない。この問題の本質は、小山田氏個人と日本オリンピック委員会だけの問題ではない、日本文化の問題である。日本のマスコミでは、この問題の本質がほとんど議論されていない。

 

最初に指摘したいのは、この若い頃のイジメというか刑事犯罪が何故当時明らかにされず、処罰もされなかったのか? 発覚しなかったとすれば、それは恐らく、周囲の人間が自分に同様のイジメが来るのが恐ろしくて、何も言わなかったからだろう。それは日本人の支配者に対して従順で、反抗する気概のない姿であり、日本人及び日本文化の欠陥である。

 

もし、発覚していても大きな問題として、警察まで話が行かなかったとしたら、それは学校が問題をもみ消したからだろう。学校のトップ周辺がことの本質と重大さがわかっていなかったのだろう。何れにしても、このイジメが明らかになり、学生時代の小山田氏が罰せられるべきだった。

 

もし、学校で周囲が健全に反応していれば、青年期に小山田氏は矯正されていただろう。事後でも小山田青年が刑事処罰されていたなら、その後に更生の機会が与えられた可能性がある。
 

その機会が与えられなかったことで、日本社会は彼の高い音楽の才能を有効に利用することが出来なくなったのである。それは日本社会にとっても、小山田氏にとってもかなり大きな損害となったのだ。これが今回の内容の全てであるが、次のセクションで、原理的な面からこの問題を議論する。


 

2)イジメは文化の問題である:

 

イジメは、異質な者を集団から排除する行為である。それは、集団で生きる人間や動物に見られる。イジメを先頭に立って行う(或いは指揮する)のは、群れのボス的存在である。自分の集団を、自分の思う通りの「従順で良い状態」に保つためである。
 

そのイジメが国家単位で行われるのが、独裁国家の姿である。法輪功の人たちやウイグルの人たちがイジメの対象であると言えば、何処の国かわかるだろう。それと同じ体質を日本も持っているのである。それが言い過ぎなら、「イジメを排除するメカニズムを日本文化は持っていない」と言い換えても良い。

 

小山田氏を辞任に追い込むまでの場当たり的なオリ・パラ委員会の対応を見て、西欧諸国による反日本の感情は、影に隠れて益々大きくなっただろう。そして、その件のファイルは、日本叩きの道具コレクションとして、深く引き出しに仕舞い込まれた筈である。

 

報道された障害者へのイジメは、非常に凄惨である。それをむごいと感じるのは、私たちの多くが、ボスにより統治される側の感覚を持っているからである。その感覚を持たない人は、それが非効率な因子を群れから排除する当然の行為と見なすのだろう。そのような人物の姿が、社会の表に現れるところが、日本社会の劣悪な一面であり、背後にある日本文化の後進性である。
 

今回のイジメの問題は、この人道的或いは人権的に許されないという議論で終わる場合が多いだろうが、その人道的な配慮の本当の目的は、社会全体の効率を最大にすることであり、それは社会の構成員全体の問題であることを理解すべきである。

 

この原理的理解がないと、単に健常者が憐憫の情をもって障害者を観察し、優越感に浸るための障害者福祉になってしまう。この感覚で福祉を眺めている人は、多いかもしれない。しかし、それらの人々にも「あなたとあなたの家族は今後も障害を持たないと安心しているのですか?」と問うことで、時間軸を長くとれば、障害者福祉は自分の問題でもあることに気付かせることが出来るだろう。

 

更に、身体上の障害などでのイジメや差別が、社会にとって大きな損失になるという常識を持たねばならない。手足に障害があっても、他の部分で優れた才能を持つ人間は大勢いる。それらの能力を社会全体として活かすことで、社会つまり国家全体の実力アップを図るべきなのである。その多面的に実力を評価して、適材適所に人を配置できないのが、日本の経済的そして政治的低迷の原因である。

 

それは障害者だけではない。外見が醜い人、運動が出来ない人、美的センスのない人、病気の人、老人、名家の出身でない人、学歴の低い人等々、外見や経歴などだけで、つまり獣に近いヒトの視点において劣っているだけで、社会の各分野の中心からなるべく排除したいという力学が働くことが、日本の国家的問題である。(補足1)

 

つまりそのレベルの人間が、それら各分野のトップに居ることが、日本の劣悪な社会環境を物語っているのである。人間社会の多くの側面から、そして長期の時間軸でみて、人を評価することが先進国として存在する必要な因子である。原始的な排除の力学があちこちに生きていることが、日本社会の弱点であると私は思う。

 

3)西欧の姿勢について

 

洋画に「レ・ミゼラブル」というのがある。みすぼらしい(miserable)逃亡中の犯罪者に、神父が一夜の宿を提供したのだが、その男はそこで銀の燭台を盗もうとした。翌朝、それを見つけた神父は、主人公のその男を強く叱責するのではなく、許して当座の生活費の足しにと、確か、その燭台を与えるのである。
 

それから、数十年を経て、その主人公がある都市の市長(補足2)となって、善政をしくという話であったと記憶する。聖書に「人を裁くなかれ、己自身が裁かれないためである」という言葉がある。神の視点で見なければ、その人物の全体像は見えないという意味である。

 

西欧諸国、キリスト教圏の人たちは、人としての尊厳を維持することが、人間として生きる必須条件とみなす。したがって、理由なくある個人の権利や尊厳を害する行為はしないだろう。それを見て放置した場合に自分の尊厳を害する場合には、放置しないだろう。
 

また、社会での仕事の範囲と個人の私的範囲を明確に意識しており、仕事上での上司の指示には従うが、仕事を終われば上司と部下の上下関係は維持されない。その労使関係は、適材適所の原則、労働の流動性確保、同一労働同一賃金などの原則を実現する上で重要である。日本文化の特質を何も考えないで、それらの原則を確立しようと云うのは、馬鹿げている。
 

勿論、西欧一神教の国の文化では、異教徒は敵である。そして、敵に対する態度は、日本人のそれとは比較できない位残酷かもしれない。その文化の違いを熟知することは、国家の安全保障を立案するには大切である。(補足3)
 

西欧の一神教は、何をすべきか、何をすべきでないかについて、明確に示している。それは神との契約である。それを模して、法やルールが存在する。諸外国から、日本は、ルールが明確でない、言葉も未発達(補足4)で訳の解らない感覚が支配する国と思われているだろう。

 

今回の小山田氏のイジメ問題から、最近の白鵬の相撲に関する日本相撲協会の訳のわからない批判(補足5)まで、ルールが存在するのか存在しないのか、解らないケースを数えればきりがない。https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202107190001121.html


 

 

補足:

 

1)この多面的な能力評価がなく、人材の適材適所が達成できないところに、日本経済低迷の原因があるという指摘があり、その意見を取り入れて記事にしたことがある。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12564206453.html

 

2)大陸の映画が描く当時の都市は、国家に匹敵する。従って、市長の権限は現在の日本の市長の比ではない。
 

3)主権国家はゆるい社会を形成しているものの、その間の関係は基本的には野生の関係にある。国家間のイジメやスカシは、常に存在する。それらを防止する善悪の概念は、野生の世界には存在しない。

 

4)最初に引用したヤフーニュースの記事の出だしは以下の文章である。

東京五輪・パラリンピック組織委員会は19日、雑誌で障がい者とみられる同級生をいじめていた過去を告白していたことを問題視されていた五輪開会式作曲担当のミュージシャン小山田圭吾氏の辞任を発表した。

この文章では、告白したことが問題であり、告白しなければ良かったという意味になる。関係代名詞がないなど、日本語の欠陥が良く現れた文章である。基本動詞にも、同音異義語が山程あるなど、日本語の欠陥など、数え上げれば切りがない。 それでも、日本語は美しいと云う人が大勢おり、俳句や川柳などの人気が非常に高い。日本文化を議論するとしてもその原点(つまり日本語)が共有できない状況にある。

 

5)ルールに従った相撲なら問題は全くないというのが、私の意見である。それは相撲をスポーツとして見ているからである。勿論、相撲は神事であるという側面があり、それ故に日本相撲協会は公益法人なのだろう。もしそうなら、何故外国人を大勢いれるのか?何故、日本人全体(全てが伊勢神道の信者ではない)からお金をとるNHKが高い放映権料を支払うのか、根本から明確にしてもらいたい。