この問題への私の考えは、13日に書いた通りである。米国民主党政権とその背後の勢力には、反ロシアの戦略と、西欧諸国が反中国で団結しないようにする二つの目的があるのだろう。つまり、西側は、ロシアと中国の二正面作戦が十分な形で取れないので、今回の対ロシア紛争は、中国に対する援軍になる。

 

更に、米国民主党とその背後の勢力は、中間選挙での不利を挽回するために、このようなシナリオを書き、ロシアをその方向に追い込んだのだろう。ウクライナの大統領は、それが分かりながら、愚かな選択をした。

 

英国は米国と同様の勢力が支配していると考えられ望み薄なので、ドイツを始めEU諸国には、米国に盲目的に追従しないでほしいものだ。日本の岸田政権には期待できないのが残念だが仕方ない。

 

この件、既に13日に書いているので、これ以上かかない。その代わり、私の考えに近い話を、武田邦彦氏が、元自民党議員のyoutubeサイトで話しているので、それを引用する。

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=9M4UIEc1fcM

 

ウクライナがとるべき戦略は武装中立だと思う。ロシアと欧米とに挟まれた地政学的位置を考えれば、親露をとっても親米をとっても、争いの場となる。それはウクライナ国民にとって不幸である。自主独立の姿勢をとるべきで、米国民主党ネオコンの策略にはまるのは愚かである。

 

元自衛隊の用田和仁陸将の意見が釈量子さんのチャンネルにあったのでこれも引用する。用田元自衛隊陸将は、日本が非常に危険なことになる可能性を指摘しておられる。その通りで、この件二年以上前に書いた通りである。「日本は領土問題を棚上げしてでもロシアと平和条約を締結すべき」

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=x0GqGoRUlIU

(9:15;11:00編集加筆あり。11:20 表題変更;11:45 補足の追加)

 

補足:

プーチンは共産主義の欠点に何度も触れている。ウクライナに侵攻しないとも言ってきた。ただ、ウクライナは、食糧などの供給元や天然ガスの通路でもあり、友好関係はロシアには大事だろう。それに、ソ連首相のフルシチョフはウクライナ出身だったし、酷い目にあわされたスターリンを批判したのだから、NATOに何がなんでも入りたいというのは不自然で、米国がお金付きで誘ったのだろうと思う。

今回は、既に見た人も多いと思うが 一本のyoutube動画を紹介したい。林千勝さんの動画で、米国など世界の金融資本主義を支配する権力者たちが世界政治を支配しているという内容のものである。これまでこれ程の衝撃的な内容の動画を見たことがない。

 

その話は一冊の本に書かれている。それは、ビル・クリントンの大学時代の恩師である Carroll Quigley と言う方が書いた“Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time” という本である。この動画は、youtube から取り消される可能性があるので、視聴は早い方が良いだろう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=t6HSmOayJwI

 

 

そこで林氏が語っている“Tragedy and Hope”の内容の一部を、抜粋して紹介する。

 

抜粋:

 

金融資本主義の権力者には遠大な目的があった。それは各国の政治体制と世界全体の経済を支配することができる個人の手による世界的な金融統制システムを構築することに他ならない。このシステムは頻繁に行われれる私的な会議や会合で得られた秘密の合意によって、協調して行動する世界の中央銀行によって統制されることになっていた。

 

このシステムの頂点はスイスのバーゼルにある国際決済銀行である。この銀行は民間企業である世界の中央銀行が所有し管理する民間銀行である。世界の主要な中央銀行のトップが、それ自体が世界の金融における実質的な権力者ではない。むしろ彼らは支配的な投資銀行家の技術者であり、代理人である。支配的な投資銀行家たちは、中央銀行のトップを育て、そして彼らを倒すことができる。世界の実質的な金融権力は、これらの投資銀行家が握っていたが、彼らは主に自分達のプライベートバンクの舞台裏に留まっている。(途中略)

 

各国の政治体制や世界の経済を支配することができる民間の手になる世界的な金融支配システムは、実在する。それは地球上で最も強力な権力者たちによる超極秘のグループである。彼らは現在、巨大なくもの巣のような複雑なネットワークを介して、あらゆる主要な国際機関、あらゆる主要な多国籍企業、国内外の主要な銀行、あらゆる中央銀行、地球上のあらゆる国民国家、あらゆる大陸の天然資源、そして世界中の人々を支配している。

 

この自己増殖するグループは世界中の政府指導者、消費者、人々を操ることができる精巧なコントロールシステムを開発した。彼らは古代ローマ帝国に匹敵する世界帝国の建設にむけて最終段階に入っている。しかしローマ帝国のように一部だけではなく、全世界を支配することになるだろう。このグループは億単位の男性、女性、子供の苦しみに責任を負っている。第一次世界対戦、第二次世界対戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの責任は彼らにある。(以下略)

 

小沢一郎の著書「日本改造計画」に始まり、最後はロバートケネディジュニアの著書を紹介している。どれも非常に興味深い、しかも深刻の内容である。最後の本は、今回のパンデミックとの絡みで同じ勢力の活動について語っている。(23日編集あり)

前回記事に米国在住のchukaのブログさんからコメントをもらった。その一つ目への返答の付録が以下の文章である。前回記事では、何か問題が生じ、当事者間で話をしているが解決にほど遠い場合、それが単に解釈の差なのか、元々立場(=思考の枠組)に違いがあるのかを明らかにすることは問題解消の上で非常に大事であるという内容を、原点から記述したつもりである。

 

今回は、特に親鸞の歎異抄(唯円の著作)の中の言葉「善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」についてのコメントに対する返答の意味も兼ねて、親鸞がこの言葉を口にした時の「思考の枠組」がジョン・レノンが「イマジン」を作詞したときのものと同じであることを示す。原点から出発して話を展開するので、まどろこしいと思われるかもしれないが、ご容赦を。

 

1)善と悪の起源は共同体社会にある

 

「思考の枠組」はパラダイムとほとんど同じ。話の中での基本的条件、設定する仮定や基本的概念一組である。言葉を用いて論理を展開する前にそれを定義しないと、途中で話が通じなくなる。もちろんデフォルトの思考の枠組が多くの場合存在する。

 

多くの基本的概念は、人種や時代を超えて共通である。それは、“心理学や精神病理学からの人間の発想の共通性”ということとも関連しており、その共通性は人間の生存とその基本的形式と関係していることから生じると思う。従って、個人に関する思考の多くは、通訳を入れれば外国人でも通じる。

 

ここで原点(原始時代の人の立場)に戻って考える:

人間は群れを作って生きる。何万年も前になるだろうが、その群れが大きくなり複雑化して、社会(=共同体)と呼ばれる様になる。言葉は、運命共同体である社会の中で、農作物の生産から敵との戦いまでの範囲で、情報交換のために作られ進化したというのが私の考えである。それが、私の「言葉の進化論」である。

 

言葉の進化論(3): 善悪に見る言葉の壁https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12484224705.html

 

2)基本的概念である損得と善悪の分離

 

ABの二者択一の問題において、好ましい方がAなら、Aが得であるという。この損得は、個人にとっても共同体全体にとっても、同様に用いられる。上記言葉の進化論では、共同体社会が大きく複雑になったとき、新たに善と悪という概念が発生したと考える。

 

共同体に対して「得」となることを形容する言葉が「善」であり、共同体に対して「損」となるのが「悪」である。つまり、個人の損得と運命共同体である社会全体としての損得が、明確に乖離してしまったので、新たに善悪という概念が必要となったのである。損得は個人から社会全体に対して共通の概念であり、より基本的である。

 

それにも拘らず、通常、「損得」に対して「善悪」を優先するのは何故か。

それは、言葉はそもそも社会の存続と隆盛のために存在するからであり、そして人間の生存にとって社会を作ることが必須だからである。

 

人間が個人で瞑想・思索するとき、本来社会のものである言葉を借りて思索すると言って良い。原点にまで戻れば、「善悪」は個人の心の中では本質的ではなく、社会の方に顔を向けた時だけ(本来は)意識する概念である。(補足1)

 

この損得と善悪の間は、社会が大きく複雑になるほど、つまり時代を下るに伴って、大きく乖離するようになる。それは以下の状況を考えればわかる。

 

ある共同体と別の共同体の間で生存競争が生じたとき、善悪を個人の損得に優先しなければ、その群れ(共同体)は敵に負けて全員命を失う。そこで、複数の群れが共存する社会に生きる状況下では、善悪が損得に優先して個人のこころの中にまで植え込まれた群れ(共同体)が生き残る。

 

その善悪を崇高な概念として人の心に植え込むのが、宗教の役割である。つまり、敵と戦って命を失うことは個人にとって最大の損だが、所属する共同体にとっては最高の善となるのである。しかし、善を優先して戦死する個人は浮かばれない。そこで宗教は天国と地獄を発明したのである。

 

この偉大な発明により、現世では社会的な概念に過ぎない「善」が、個人においても最高の人生の物差しになり得る。人は言葉により人間として生まれ変わり、善を積み上げて天国に生まれ変わるのである。これがキリスト教などヤハウェ神の宗教の本質だろう。

 

言葉の進化論は、このようにして、言葉は社会、人、宗教が三重螺旋的に発展するプロセスで作られ進化したという仮説である。

 

3)親鸞とジョン・レノンはトリックを見破った

 

親鸞の言葉は、「本当に苦しいのなら、善悪を忘れても良いですよ」というのが本質だろう。しかし、完全に善悪や天国と地獄に洗脳されている衆生を救うには、その言葉のセットをそのまま使う必要がある。他力を信じて南無阿弥陀仏と唱える者は全て極楽往生する。それが弥陀の本願であると教えた。

 

親鸞は、善悪に最高の価値を置く“トリック”を見破っていた。つまり、わたくしは親鸞は無宗教だったと思う。それゆえ、躊躇うことなく多数の妻を娶ることも出来たのだろう。

 

ビートルズの歌曲にイマジンというのがある。Imagine there’s no heaven. It’s easy if you try. No hell below us. Above us, only sky. (天国の地獄も無いと想像してごらん。難しいことでは無いから)そして、Imagine there’s no countries. Its isn’t hard to do. Nothing to kill or die for.(国なんて無いと想像してごらん。難しくないから。そのために殺したり、殺されたりすることなんか無い。)

 

 

 

 

恐らく、ジョン・レノンは、小野洋子との付き合いの中で、仏教特に親鸞のことばに学んだのではないだろうか。(補足2)

 

つまり、通常(デフォルト)の思考の枠組みでは善悪を絶対的な概念として取り入れるが、親鸞やジョンレノンが上記のような言葉を口にするときには、それらが取り外し可能であることを示しているのである。

(編集あり、11時45分;最後の文は16時に追加)

 

補足:

 

1)個人の生存が共同体社会の存続とは無関係だと感じる時、つまり、平和が続き社会が安定化して暫くすると、人は善悪の縛りを鬱陶しく感じ、自由になろうとする。宗教的道徳的には堕落する。

 

2)親鸞は、現在の感覚では極限の貧困の中で、ジョン・レノンは豊かさの浸透の中で、神や仏の虚構を見破ったのだろう。ただ、ジョン・レノンは、国家の意味を過去に遡って知っていたのだろうか?