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BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

「大和魂(やまとだましい)」という言葉は、軍国調のイメージが強いせいか、
最近は、ほとんど聞かなくなった。
我が子供の頃に活躍したハワイ生まれの日本人ボクサー藤 猛(ふじ たけし)が、
キメ台詞として、カタコトの言葉で、『ヤマトダマシイ』と言っていたのが思い出されてくる。

それよりも古い時代、スーパー・ダイエーを創業した中内功氏は、
第二次大戦時に召集され、関東軍の重砲兵として入隊。
その時に上官から「百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に当たる」と教えられ、
意味をつかめなかったので疑問を挟むと「貴様は敢闘精神が足らん。砲の不足は、大和魂で補え」
と怒鳴られたという。
大和魂は荒ぶる心で盲信突撃させる都合のいい言葉として使われていたようである。

『源氏物語』の中にも、この「大和魂」という言葉が出てくるが意味が違う。
それは、第21帖「少女(おとめ)」の帖。源氏が息子の夕霧を大学に行かせようとするくだり。


そのやり取りは、現代の親にも通じるところがあり興味深い。
「なぜ大学にやるのか?」に対して、
源氏が「はかなき親に賢き子の勝るためしはいと難きこと」と説く。
この意味は「賢い子が、出来の悪い親にさえも、それを越すのは難しい」。
さまざまな、慣習や階級などの柵(しがらみ)を越えてゆくには、
学問を身につけることが重要であると説いて聞かせる。
まず、漢才(中国から伝わった学問) を身につけて、それを基礎にして、
実生活に活かせる術(すべ)、すなわち「大和魂」を以てすれば、自然と地位は上がってゆく。
それゆえ息子よ、国家を支える重臣を目ざせ、と大学(進士)に進学させた。
この物語で光源氏は、色好みの男として描かれている場面が多いが、
我が子供に対しては、ことを分けて説いて聞かせる立派な父親としての側面を描いている。

『源氏物語』で使われる「大和魂」は、
勇敢な心の意味よりは、実学や風流心も含めて広く表す言葉。
そんな『源氏物語』が説くような原点に立ち返って、広く学んでいくことが重要のようだ。

決して荒ぶる心で盲信突撃させる「ヤマトダマシイ」ではない。
くれぐれも。

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<了>

夢のお告げを信じるか、信じないか?というのは、夢の効用というより哲学の問題。
「夢のお告げ」を哲学として捉えたのは鎌倉時代の武士・青砥藤綱(あおとふじつな)。
彼は、時の執権・北条時頼が、夢のお告げで自分を重用するということを聞き知った。
その重用に対して
「夢によって人を用いるというのならば、夢によって無益な殺生もあり得る。
このような功なくして賞を受けるのは国賊と同じである」
と言って任命を辞したという話がある。
彼のこの哲学は、一理ある。

『千一夜物語』

夢と言えば、アラビアンナイト『千一夜物語』に「夢」にまつわる一話がある。
このストーリーを簡単に紹介すると「ある男が『お前の幸福(fortune)はカイロにある』という夢を見て、バグダッドからカイロに旅立った。
着いたその日、陽も落ち暗くなり、宿も探せずモスクで眠っていたところ、
隣りの家に盗賊が入り、一味は逃げた。
盗賊の一部がモスクに紛れ込んだという情報があり、捕り方がモスクを調べたところ、
そこで見つけたのは、かの男。
引っ立てられ取調べられ、ムチでイヤというほど打たれた。
取調官は、男の様子から「お前は盗賊じゃなかったんだな。ところで何でカイロに来た?」
男は、ムチの痛みをこらえつつ、夢のお告げの話をし、
「カイロで得たものは、財宝ではなくイヤというほどムチで打たれただけ」と言うと、
取調官は「お前は馬鹿なヤツだな。オレなんか夢のお告げなんか信じないぞ。
この間の夢なんか、バグダッドの噴水のある家の下に財宝が埋まっているという夢を見た。
だけど、オレは、そんなものを信じてバグダッドに行かないさ。
悪いことは言わない、早く帰りな」と、男は釈放されてバグダッドの家に帰った。
『噴水のある家』?それはオレの家だ。
男が自分の家の噴水の脇を掘ると、黄金財宝がザクザク出てきた。
一生で使い切れないほどの財宝を得ました」
という話。

「夢のお告げ」は、信じるべきか? これも一つの哲学。

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<了>

「りくりゅうペア」が現役引退を表明したのは、4月17日のこと。
ミラノ・コルティナ オリンピックでは、多数のメダリストが誕生したが、他のメダリストが霞んでしまうかのように話題を一身に浴びたのはフィギュアスケートの三浦璃来、木原龍一ペア。
春の園遊会の前に引退を表明し、惜しまれつつも、
二人の新たな出発を日本国民が祝福したといったところだろう。
一つの終わりと新たな出発は、さまざまに繰り返されている。


そんな別れの風景を内包しつつ詠んだ、松尾芭蕉の句に、
「行春(ゆくはる)や 鳥 啼(な)き、 魚の目は なみだ」というのがある。
この句は、一目見ただけでは、おそらく意味がわからない。
そこで、その背後を探れば、それは、旧暦の元禄二年三月二十七日のこと。
弟子の曾良とともに、住み慣れた深川の庵を出て『奥の細道』への旅に出るという日。
芭蕉の門人たちが見送りにきて、芭蕉は舟に乗って千住に向かっている。
そこで、芭蕉は、この句を詠む。
「春という季節は、水面に浮かぶ舟のように過ぎてゆく、
そんな風に過ぎてゆく春を惜しんで、鳥は啼(な)き、魚の眼からは泪が光っている」という。
これは、悲しい別れではなく、ユーモアを含みつつ詠みあげたもの。
「門下のみんなとともに、過ぎ行く春を惜しみたいところだが、
自分は新たな旅路へと向かってゆく」という意味になる。
すなわち、これが終わりではなく「奥の細道」への出発となる日でもある。

映画監督のフェリーニは、「自分の映画には、いわゆるフィナーレはない」と表現している。
この真意は、一つのドラマが終わったように見えるが、終わりではなく、それは次への出発。
すべてのものには、決して「終わり」はないということらしい。

りくりゅうペアは、競技から退くが、また新たな出発。
ドラマに「終わり」はない。

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<了>