BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

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ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

いよいよ、トランプ大統領誕生となる就任式が近づいてきた。
その就任式には、テスラのCEO イーロン・マスク氏、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏、メタのマーク・ザッカーバーグCEOなど少なくとも3人の大手テック企業トップが出席する見通しのようだ。
世界の超お金持ちがトランプ氏を礼賛して、
トランプ氏自身「どや!」というほどに自らの力を誇示しているように見える。
自らの力を誇示する事が悪いとは言わないが、
世界が危惧するのは、トランプ氏が持つ「毒性」。
カネにモノを言わせてグリーンランドを買うと言ってみたり、
パナマ運河の権益を「よこせ」と言ってみたり、カネと権力があるものが世界を支配できると考えているようなフシがある。
トランプ氏に対する危惧は世界の均衡を崩すことを平気で口にする不道徳性のような気がする。
これに対して、誰も楯突く事ができない。
世界最大の権力者が、自国の利益を優先する姿は、決して褒めたモノではない。

作詞家・なかにし礼が、生前、ある新聞に語った言葉に
「歌が、特殊な人たちのものでなくなり、誰もが歌う時代になり、
歌が日常生活の延長になってしまった。
本来、歌が持つべき”毒や不道徳性、危うさ” といったものが薄れてしまった。
そのアンチテーゼとして作ったのが
ヒット曲「時には娼婦のように」だった、という表現があった。
なかにし礼「時には娼婦のように」

この記事に表現されている『毒や不道徳性、危うさ』といったものは、
たしかに、日本の新聞やマスコミには、おおよそ消え去ってしまったように見えるが、
世界のマスコミもそのような傾向を示してきた。
ところが、このような「毒や不道徳性」を持つ権力者が現れ、
それを正当に叩く事ができるマスコミがないということであれば問題である。

『時には娼婦のように』の歌詞に、
「人差し指で手まねき、私を誘っておくれ」とある。
トランプ氏から人差し指で手まねきされて、ノコノコ出かける CEO たち。

トランプ氏の任期もこれから4年。
その間に彼の「毒や不道徳性」が蔓延しないことを願うばかりである。

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<了>

このブログでも書いているように、Jazz Live を聴きに行く事がある。
やはり、Live が一番。
ナマで力量あるJazzを聴きたい。それが素直な気持ちである。
Jazz は、一般的にスイングジャズというものもあれば、ブルースっぽいもの、
クラシックやラテンミュージックをジャズ風にアレンジしたりと、
さまざまなジャンルの音楽をJazz として表現する。
それらを演奏するアーティストは、やっぱりスゴイと感じさせるものを持っている。
ただ、時々、あれほどのJazz の名演奏家なのに
ブルースは、からっきしダメというアーティストがたまにいる。
そう感じるアーティストは、概して育ちがいい。たいてい、良家の出身だと推測できる。
こういうアーティストは、たいていブルースがダメ。
ブルーの心を伝えられない。
我が感想としては、そのようなところがある。

昨日、映画『砂の器』について書いた。
本来ならば映画である以上、映画監督・野村芳太郎の名をまず挙げるべきところなのに、
脚本家の橋本忍だけを挙げたのは、橋本が只者ではないと言いたい所でもあった。
彼は2018年に100歳で逝去している。
橋本忍の脚本作品は、『羅生門』『七人の侍』『生きる』『隠し砦の三悪人』など黒澤明監督作品として数多くの賞に輝いている。海外でリメイク作品となってヒットしている。
他に『日本沈没』『八甲田山』など挙げればキリがない。
数々の名作を生んだ稀代の脚本家という事ができるだろう。

この橋本忍の大きな特徴として、おおよそ「謙遜」の文字はない。
いいものはいい、悪いものは悪い。
一面、傲慢とも取れるが、妥協がない証とも言える。
この映画『砂の器』の脚本が仕上がったときに、まず黒澤明監督の元に持っていった。
彼から「けんもほろろ」に酷評され、「野村にでもやらせろ」というのが彼の言葉。
松竹映画の社長も、金がかかりそうな作品と感じてお蔵入りになりかけた。
ここが橋本忍の真骨頂、自分がプロダクションを設立して半分の経費を持つと啖呵を切った。
出来上がったのがこの作品。
空前の大ヒットなった。
原作の松本清張もこの映画作品を見て、橋本の才能に驚いたという。
映画『羅生門』

黒澤明とは『羅生門』に始まり、数多くのヒットを飛ばしたが、
なぜ『砂の器』の脚本が、黒澤から酷評されたのか?
それは、おそらく、一つのシーン。一番の見せ場である「病の父との厳しい旅」。
この人情噺が気に入らなかったような気がする。
黒澤明は、この種の「お涙頂戴」となる人情噺が不得意。
それは、我が持論で言えば、「お育ちのせい」。
良家に育った黒澤明は、この辺りの人情が不得手のよう。

ブルースを演奏するには、心のブルーが必要。
人情噺は、子供の頃、辛酸を舐めたものにしか伝えられないものがある。

橋本忍の傲慢さの背後には、計り知れない辛く悲しい過去がある。

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<了>

旅の僧が「托鉢(たくはつ)」をして金銭や米などの貰い物を入れる鉄製のお椀のことを
鉄鉢(てっぱつ) という。
手に馴染む形なのか、決まって雪洞(ぼんぼり)のような丸みを帯びている。
自由律俳句で知られる漂泊の俳人・種田山頭火の、そのような鉄鉢を詠みこんだ句、
『鉄鉢の中へも 霰(あられ)』
冬の寒い一日、托鉢で差し出している鉄鉢に霰が降りかかり、
チン、チンと金属的な音を立てている状況が目に浮かぶ。
この音を旅の僧の言い知れぬ寂寥感ととる人もいれば、
逆に、かたい霰がたてる金属的な響きをユーモラスと捉える人もいる。

映画「砂の器」

松本清張の小説『砂の器』の映画版は1974年に公開され大きな話題を呼んだ。
橋本忍・脚本で、彼の力量が遺憾なく発揮された作品だった。
公開と共に見に行き感動した記憶が蘇る。
この映画は今なお、シネマコンサートなどで上演されることがある。

主人公は、嘱望される新進気鋭の音楽家・和賀英良。映画では加藤剛が演じていた。
その主人公には、殺人犯としての嫌疑と人に言えぬ秘密が隠されていた。
それを追う刑事・丹波哲郎と森田健作。
そういった緊迫感のある映画だったが、その一つのシーンは、
病を抱えた父と少年時代の主人公・和賀英良。
その父子が寒い冬の地で、門付で貰い物をしながらの旅。
人から、ツラい厳しい扱いを受ける。
その二人で、ひっそりとした所で、お粥を作り食べるシーンが出てくる。
父親役は、加藤嘉(よし)。子役は、春田和秀。
父・加藤は、お粥を口にして「あちっ」と言って子供に微笑む。
「惨めと思える状況の中にも、ささやかな幸せがある」
そんなことを語っているようなシーン。
この少年時代を演じた春田和秀くんはセリフなしだったが、情感溢れる演技をしていた。
春田和秀くん

人が求めているのは、
「何でもない日常の、ささやかな幸せ」かも知れない。

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