供するようになったという記事が出ていた。
これは、もちろん紫式部を主人公とする大河ドラマ『光る君へ』に合わせたもの。
清少納言が書いた『枕草子』には「かき氷」を食していたと思しき話が出てくる。
西暦1000年ごろの日本の貴族たちは、冬の氷を氷室に貯蔵して夏にそれを食していた。
紫式部が書いた『源氏物語』は、今でも読み応えのある長編小説として名を馳せている。
その当時の物語は、出版されたものではなく、
誰かが書いて、仮綴の製本をして、それをみんなで回し読みをする形式だった。
『源氏物語』は、いわばゴシップ小説の側面もある。
そのため「あそこに書かれている人物は、あの人のことね!」
と推測して、それを読んだ女官たちの間で評判を得ることになる。
スキャンダルほど人をワクワクさせるものはなさそうだ。
その紫式部が「物語の祖(おや)」と表現しているのは、『竹取物語』。
その小説が書かれたのは、10世紀の半ばの平安時代とされる。
小説の形式で書かれたものとしては、日本最古と言っても良い。
ただ、この話の作者の有力候補として挙げられている人物は多数いるが、
元々伝承的にあった「かぐや姫」を再構成して、ただ一人の人物が作り上げたようだ。
なかなか筆が立ち、物語の構成力、シャレをちりばめた文章など、ただ者でない力量を持っている人物と推測できる。
公達を虚仮にできるほどであり、時の権力に近しいところにあったと推測できる。
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いを持っていた藤原氏に対しては批判的。
時の、藤原系の御曹司たちをかぐや姫に求愛する五人の公達として登場させている。
かぐや姫からの難題に対して、ニセモノを作らせたりと、セコいやり方で結局は大失敗する。
求愛した五人衆は、決して褒められた人物たちではないように表現されている。
おそらく生きていた時代の人たちは、
容易にその人物を特定することが出来、読みながら思い浮かべて、
ほくそ笑んだりしたことだろう。
ここで思い起こすのは、芥川龍之介の『侏儒の言葉』。
その中に、「彼らがもっとも知りたいのは『愛』とは何かということではない。
キリストは私生児であるかどうかである」
この言葉の意味を解釈すると、
人が知りたいと思うのは「愛とは何か?」という問題ではなくスキャンダル。
『源氏物語』、『竹取物語』
いみじくも、その辺りを語っている。
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