まいど!プーチンさん、ワンメーターでもいいですか? | BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

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ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

プーチン大統領の選挙戦での勝利が確定した。
彼はレーニンを嫌いスターリンを評価しているという。
レーニンと言えば社会主義国ソビエト連邦を形作った初代の指導者。
そのレーニンは、強権的な指導者というより、
コンセンサスを重んじることによってその地位を確立した人物とも言える。
一方、スターリンは、強権的な独裁者としてその名をとどめている。
両者から判断するとロシアは強権的な指導者でなければ務まらないという意味でもあるようだ。

そんなロシア革命前夜の革命派が拠点としていたのは、パリ。
おもに、まだ開けていなかった貧民たちが暮らすモンパルナスを根城にしていた。
ボルシェビキもメンシェビキも同じラ・クーポール(La Coupole)の前身のカフェに集まり、
日夜議論を戦わせ、トロツキーが声高に煽動していた。
一方のレーニンは、カフェの片隅で、物静かにチェスをしていたという。
現在のLa Coupole
ロシアで革命が起こりそうだということで革命派は、こぞってパリを去りロシアに向かった。
モンパルナスが丸々、空っぽになるとボヘミアンのアーティストの溜まり場になってゆく。
革命ロシア人が去ったが、入れ替わりに来たのは、アーティストばかりでなく、
革命の名の下に追われたロシア貴族たち。
それに宮廷内の音楽家や舞台芸術家たちも続々と亡命してくる事になる。
ロシア帝国の陸軍大佐は肩章のふさをつけた軍服の見栄えがいいからと言って
軍服そのままの衣装でホテルのドアマンに雇われたり、馬車の御者や運転手に変身。
雑用や些細な仕事でもなんでもやった。

また、ディアギレフ率いる”バレエ・リュス(Ballets russes)”と呼ばれるロシアン・バレエ団の興行が、その当時爆発的にヒットする。そこに宮廷のバレエ団だったメンバーも加わる。
興行演目『春の祭典』が大ヒットしたため、亡命貴族の受け皿になったりと、
ロシア革命の騒動は、ロシアでは暴動と殺戮、パリでは違う響きとなったようだ。
祝祭と狂乱の日々と言われた1920年を前後とするパリは、
アメリカ・ドルの高騰による狂騒に浮かれ、ロシア革命からの流入者。
良きにつけ、悪しきにつけ、パリは、そんなものがない混ぜになった坩堝と言える世界。

考えてみれば、かのプーチンもソビエト連邦が崩壊した時に、サンクトペテルブルクに戻り、
タクシーの運転手をしていた。

そんなこんなを凝縮しながら、今もなお騒々しく世界は存在している。

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<了>