その当時のほとんどの人は、名もなく貧しかった。
そんな生き方とは対照的に、何かにつけて存在感のある人間がいる。
良い悪い、好悪の評価ではなく、いつも、どんなところでも存在感があり、
自身もそうでなければ気が済まぬといった存在。
かの『サロメ』の劇を書いたオスカー・ワイルドは、まさにその典型。
幼くして才を発揮し、オックスフォード大学に入学した時点でも、ひときわ目立つ存在。
そんな若い頃に書いた自身の目標も「とにかく有名になる。たとえ悪名だとしても」
と表現している。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240313/10/polyglotism/d0/60/j/o0220029715412448120.jpg?caw=800)
まさに、そのような存在となった。
大学時代は、優等をとり、ギリシャ旅行を得るなど、大学を出てからのロンドン暮らしでは、
詩作や評論などで話題を呼び、フランスの大女優となるサラ・ベルナールとも付き合ったりと存在感を遺憾なく発揮した。
フランスに度々訪れては、ヴェルレーヌやマラルメやジッドと交流をもち、
街を歩いてさえも耽美派を思わせるコスチュームを身に纏い闊歩していた。
その後『サロメ』を母国語でなくフランス語で発表し、さらにその名が轟くことになる。
英語訳ではビアズリーが挿絵を描く。
ただ、ビアズリーは、本文に合わぬ挿絵を描いたり、
挿絵では醜く太ってきたワイルドのカリカチュアを描いたりもした。
ワイルドを出しぬいたビアズリーとも言えるが、
この辺りが彼の絶頂期を過ぎていることの証左でもあった。
英国では、その当時犯罪とされたLGBTを咎められ、裁判を受け、獄につく。
一方、当時のフランスは、ナポレオン法典の影響でLGBTには寛容。
その点ではヨーロッパ随一であった。
晩年は、パリに移り住み、安アパルトマンで暮らし、そこで逝去ということになっているが、
実のところ、そこは、決して安アパルトマンではなかった。
現に今では、リメイクしてオスカー・ワイルドが住んでいたホテルとして営業している。
存在感があるということは、人騒がせでもある。
パリのペール=ラシェーズ墓地に埋葬されているが、その墓石は、全裸の男性像。
彼の預かり知らぬこととは言え、死してのちも存在感があるとも言える。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240313/01/polyglotism/e3/c0/j/o0300030815412365847.jpg?caw=800)
今もその墓地を訪れる人は他に比して、すこぶる多い。
「とにかく有名になる。たとえ悪名だとしても」の言葉の如く、
泉下にありと言えども、まだ、存在感がある...。
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