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昭和初期衝動

The reader should not be misled by the somewhat peremptory air which the effort at axiomization may give to my argument.

実家に帰ったとき読んだ本3


哲学の最前線―ハーバードより愛をこめて (講談社現代新書)/冨田 恭彦
¥735
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哲学の最前線という名前ですが、約10年前に書かれた本。

こういうタイトルをみると、デリダの差延を思い出す。


内容は、小説的形式で主人公はハーバードで勉強している先生。

先生といっても、研究をしに行っている。よくあるパターン。


その先生と登場人物の会話を通じて、アメリカの分析哲学を話し言葉で、わかったつもりになってしまおう!というコンセプト。

確かに読んでいるとき、読み終わった後は、わかった気になり内容も覚えている・・・・が、


すぐわすれた。


サール、デイヴィトソン、クリプキ・・・・などの話がでてきます。



軽い本は、軽いだけあって、身に残らないな、と。

実家に帰ったときに読んだ本2。


戦後から80年代くらいまでの日本の思想のお話し。

左右がどうとかについて。


P168から引用

「熱い社会」は、そうした危なっかしい自転車操業を続けているのである。(中略)「熱い社会」は、求心力を維持すべく常に新たな「差異」を生み出し続ける、「差異化様式」とでもいうべきものを主たる“構造”としている。このように、「差異」を生み出し続けながら、破局を「遅延」化させる、自転車操業的な自己運動こそが、デリダが「差延 defferance」(中略)と呼んだものである。


「熱い社会」=近代化された社会だそうで。

ウェブ社会の思想―〈遍在する私〉をどう生きるか (NHKブックス 1084)/鈴木 謙介
¥1,124
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ちょっと前に読んだ本。

内容はあんまり覚えてないけど・・・


結論は、歴史はすごいという風なことかな。


「時間性の事実だけは、どのようにしても構築することができない」(p.255)


結局、時間か、ってちょっとがっかりしたような、

うれしかったような気分になった気がする。読んだ当時。

本に取り上げられていたマンガ


シガテラ (1) (ヤンマガKC (1193))/古谷 実
¥560
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結構好きな本。

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| 23:43

ぱらぱらっと目を通す。

現代についての医療に関する現場・当事者の問題についての論文集


現代医療の民族誌

現代医療の民族誌






第1章「病気である」と「病気ではない」を生きる(浮ヶ谷幸代)

糖尿病の型についての構築主義的な問題

生活習慣病の「自己責任論」の問題


第2章「普通」を望む人たち(川添裕子)

美容外科手術について日韓比較と社会文化にその違いの要因を求めるもの

広くみれば、日本人論かな。


和辻哲郎の『風土』のように、

最終的にはそこに行き着くのか…

古谷実のマンガ『シガテラ』


題名の意味は分からないけど、このマンガに書かれているのは、


日常に潜む非日常である。



ヤクザに殺されそうになったり、友達が人を殺そうとしたり、彼女が犯されそうになったり、、、と、


主人公は、いじめられっこで、なぜかかわいい彼女ができて、幸せそうな生活を送る高校生。



マンガだから、そういう事件に巻き込まれるといえばそれまでだけれども、


そんな事件は、僕達の普段の生活にも、もしかしたらありえたかもしれないことでもある。



ところで、非日常性といえば、ハレとケ、祭り、とか「聖なるもの」として言われてきた。


日常のストレスを発散するために、自らそこに飛び込む。儀礼や儀式を行う。


昔の祭りも今の祭りも、その部分は残っているだろう。



しかし、『シガテラ』での非日常性は、突然やってくるのである。


主人公は、関わってきた周りの人に、その「突然」に対して、


「不幸の源」と呼ばれるのである、



それは、偶然おこったことではなくて、主人公に「原因」があるとするのである。


「原因」を明らかにすることによって、主人公を不幸の源とすることによって、


「結果」を自分のせいではないと周りの人はするのである。


そして、主人公も「自分を不幸の源」と自分を罵るのである。



先日の話での、


客観的な「原因」と「結果」に対して、「とある装置」を使用することによって、


主観をマイナスからプラスに変更すること。


それとは異なる。



「原因」を明らかにすることによって、


たとえそれが本当の原因ではなく、

それを「原因」と認める主観的なものであれ、


「原因」が明らかになることにより、少しは満足するのである。




人はいつか死ぬ。


死という「結果」に対して、仏教は、生まれたことに「原因」があると説く。


しかし、突然、交通事故で死ぬということも、病気にかかって死ぬこともある。


死という「結果」に対して、「原因」を明らかにすることには、どれだけ意味があるだろうか。




人はいつか死ぬ。


主人公は、「自分は一人で生きていく」との覚悟を決め、


その覚悟を、ずっと心の奥にしまっておく事にする。



最終的に、主人公は、大人になって、強くなった。


頑張って、望んで、そうなった。


「不幸の源」と自分を「原因」にして罵るのではなく、


主観的に、自分の意志で、自分を変えたのである。