友野雅志の『Tomoのブログ』 -2ページ目

友野雅志の『Tomoのブログ』

日々思うこと、あれこれいろいろ、だらだら、悩むこと、
うれしいこと、悲しいこと、そして考えること。
いろいろ書くことの他、読書、ギター、詩、俳句、料理、絵、写真が趣味です。




わたしは現在68歳だが、何年も悩んだり、考えたりして、どうしてもわからないことがある。わたしの人生はこれで良かったのか、ということである。

18歳、高校を卒業して、受験前日酒を飲み過ぎて大学受験に失敗したのを良い機会にして、予備校等には行かず、時にどかたをして、鹿児島で東京の女の子と同棲して過ごした。時に水俣の運動に参加し、志布志の石油基地反対の説明会に行き、しかし、本質は女の子との同棲生活だった。公害問題に必死で取り組んでいたわけではない。

半年して、女の子の母親から、東京の実家に帰るように説得してくれと言われて、いいえ返しませんと言う強い理由もなく、別れた。何かこれは守るぞという強い考えがなかったのだとわかる。

10月から徳之島の父の家にもどり、ひとり大学受験のための勉強をし、時にパチンコに行き、暇になると海辺を散歩して過ごした。大学へ行くしか、東京へ行くお金を親が出してくれるはずはなかった。

そして大学へ行くと、相変わらずの生活を続けた。本を読み、絵を、詩を書き、酒を飲み、女の子と付き合い、卒業後に公務員になるとか、大きい会社に入るとか、全く考えもしなかった。小学館の試験は途中で席を離れ辞退するし、NHKも自分が好きな仕事なら入社すると言って嫌われるし、電通も副社長面接で、おもしろい仕事をしたいと長々とおしゃべりして、自己主張が強いとはずされた。グンゼは入社申し込み用紙の将来のグンゼに何が必要か、考えるところを書けという書類選考用紙に、グンゼがワコールを超えるには、と思いつくまま書いて、即合格。しかし、サラリーマンになる自分が想像できなかった。

食べることはなんとかできると考え、半年すこし東南アジアを旅して真冬のイギリスにたどり着いた。

その頃付き合っていた女性がイギリス人だったからだが、本質的にちゃらんぽらんだからだろう。英語学校に通い、カフェで働き、他に庭師、切手のオークションで日本で高く売れる切手を日本からの指示で落札する、お金の支払いや切手の郵送は勝手にやってくれるので楽しい仕事だった、そして日本からの援助でなんとか食いつなぎ、書店で働き始めると余裕すら出た。

東京の大学の比較文学の大学院の試験を受けた時は、紫式部を一生読むのは退屈だと感じ、途中から白紙のまま提出した。ロンドン大学のフランス文学と英文学の比較文学は楽しく続けそうなので、教授に面接を申し込んでOKをもらった。

しかし、サッチャーさんの外国人学生授業料値上げで諦めるしかなくなった。

その後、日本に帰って来たが、ロンドンであのまま書店で勤めていた方が良かったかなぁと思うことがある。

日本に帰って来たのは、日本人の女性と出会ったからだ。

日本に帰ってからは、あの人に迷惑をかけてはいけないとか、この人たちの仕事を無くしてはいけないとか、自分の力や目的を考えることなく、安易に会社を立ち上げたり、移籍したりして、なんとか食べてこれた。多くの人に迷惑をかけたかもしれないが、それほど日本は豊かになっていたのだろう。

そして、68歳、まだその延長を生きている。学生時代は睡眠を削って本を読み、絵を描き、酒を飲んだし、仕事は、全国を飛び回って死にものぐるいでした。しかし、本気で悩み、苦しんだのは女性とのことかもしれない。

そろそろ死が近づき、死のあとに何を残すことができるのだろうか、と悩んだりしたが、今は死のあとにわたしは責任を持てないのだから、悩まないようにしている。この生活を続けていると、まわりの人々が考えて、わたしの死の処理をしてくれるだろうし、家族もそれぞれに生きて死んでいくだろうと思う。

そして、こうしか生きれなかったのだから、ベストだったのだろうと考えている。

生きる、あるいは食べるということの幸せは、言葉を替えて言えばたくさんの収入を得ること、その意味として考えても良いだろう。

というのは、私は食べることでは下手だと自認しているからである。
これまでの人生で騙されたことが4回ある。

理由は明確である。私は、ひとは根本に善をもっていると確信しているわけではないが、期待する甘さをもっている。そして騙される。

ひとは悪を根本にもっている、それが現実の人間世界からの通常の理解である。ひとは自分の利益、重要な利益のためには悪を悪と思わず行い、それを指摘されても「あれは悪ではない」と言うものをもっている。それほど、善悪の判断、倫理とは人間には弱いかすかなものである。

それがこの世界である。

しかし、ならばこの世界では悪を徹底的に行うのが策だとは思わない。多分そう考えるひとも多いだろう。利益をあげて豊かになることが人生の目的と考える人が多いのだから。

いつしか死が近いことに気づく。しかし人間の生きる人間関係、稼ぐためにできることは限られている。

悪に負けない程度に、しかし悪を行わず生きるのは非常に難しい。悪を行うことで利益を上げ、快楽を得るのがこの世界の法則だから。

食べるということを考えると同時に、食べなくなる、即ち死ぬことについて考える。灰にしてもらって海に流してもらうのがすっきりしている。獣に食べられてしまうというのもジャングルでは自然だろう。家は人が生きる場所である。むかしなら、家を出て、海か山に入りそのまま死ぬのが当たり前だったろう。それも自然に思える。

あと少しで迎える死を、自然に迎えたいと思っている。


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偶然読んだ詩の中に感じた違和感、それは自分が詩を書いている時に感じると排除しようと無意識のうちに理性が働くものであるが、その違和感としか言えないものと最近出会った。それは日本の伝統的自然概念と呼んだら良いのだろうか。

前回立原道造と中原中也の名をあげて、日本人がいつでも戻っていくことに心地よさを感じる自然感について書いた。

『戦後詩史論』で吉本隆明は西脇順三郎、北園克衛、村野四郎、春山行夫、竹中郁等モダニズム派の詩人について、次のように書いている。

「・・・・・これらのモダニズム派の詩人たちの特徴は、じつは恒定生活者としての自己の都市インテリゲンチャ的な世界を、詩のなかに露骨に提出しようとしない主知意識のなかにあったのではなく、いかに逆説的にきこえようとも、想像力の世界を自己の恒定生活者的な世界に限定し、そこから踏み出そうとしないところに表れたのである。詩的想像の世界を、自己の生活意識圏からはみ出させようとしなかったことは、日本のモダニズムの著しい特色であった。・・・・」

この言葉は現代の詩壇の多くを占める大学教授詩人たちの作品に感じることをそのまま言い当てているようにおもえる。詩の専門誌に毎号名を連ねている多くの老年の、あるいは若い詩人たちである。それぞれの作品は、作者の感性で意味を繋いでいる作品、そして意味の繋がりを拒否した作品まであるが、共通するのは安定した生活のなかで、何を書くべきか明確でないままに自分の世界を書いている点では一致している。その一点で、現代の詩人の多くが戦前のモダニズム詩人と似ているとおもえる。

あと現代の多くの詩人、あるいは好きで詩を書いている人びとに見られる問題も戦前のある詩人たちの作品と似ている。

作者の感性で意味を繋いでいる点ではモダニズム詩人たちと同じであるが、その感性が想像力にかき乱されずに自然に作品に表れる。

それは、三好達治、立原道造、伊東静雄など「四季」派の抒情詩人たちと似ている感性で書いていると思われる詩人たちである。彼らもまたインテリゲンチャであり、教師や編集者とか文化的な仕事に関わりながら安定した生活を送っていた。

吉本隆明はこう書いている。「・・・・かれらはじつに中世の詩人たちとおなじように、詩的想像の世界を『自然』と自己の内的世界とのかかわりあいにおいた。これは、高度に機能化された現代社会では、逃避を意味しただろうか、たしかに逃避を意味したのである。しかしこれらの詩人たちは、主として自然物と対話することによって日本の社会の伝統的な感性を、意識化することに成功した。『四季』派の詩人たちの詩は、当時も現在ももっとも多数の詩の愛好者にむかえられてきている。これは高度化した現実社会から逃避したときの詩的大衆の感性に共感をもたらすからではなくて、大衆が、高度化した生活様式と生活意識のために、潜在化された形を強いられることになった優性遺伝的な感覚に共鳴するからである。現在でもわたしたちの詩的想像の世界のなかで、おそらくもっとも強固なものは自然にたいする感性的な秩序であり、これは、中世詩人が『花鳥風月』詠として詩的想像の世界に意識化したときから潜在的に持続されている・・・・これらの詩人たちにとって、『自然』は、恒久的に奉職しうる強固な株式会社であり、そこで生活意識は虚像の形をとって強靭さを保証された。・・・・」

最近インターネットのブログで発表される詩や、人生での悩みをときほぐすために書かれた読みやすい詩を集めた詩集を読む機会があり、感じたのはほとんどが、自然にたいする安定した秩序をもつ感性の作品であることである。

吉本隆明は小熊秀雄や山之口貘、草野心平たちを下層庶民社会にその日ぐらしの不定職を求めるインテリゲンチャ群の詩人たちと名づけ、高度に制度的に組織された現代にはこうした生き方をすることは不可能であると書いている。

こうした詩人たちが現代では現れないことと、「四季」派の庶民大衆の伝統的自然概念の上に虚像のように強固にたてられる詩の世界がくりかえしあらわれることは、ひとつの現象の表と裏であろう。

その横にモダニズム詩人たちが詩壇を作っていると考えるとわかりやすい。

今問題にしたいのは、戦争の時代のなかでこれらの三グループの詩人たちがどのように変化したかである。

不定職インテリゲンチャ群の詩人たちは消滅していった。日本の社会や共同体の締めつけと戦争の締めつけの厳しさのなか多くは戦争を歌った。モダニズム詩人たちも、庶民の感性で戦争の詩を書いた。ただインテリゲンチャで社会的に上層生活者のかれらは完全に庶民の感性になりきることはできず、傍観者的な戦争詩を書いた。

問題は四季派の詩人たちである。四季派の詩人たちは戦争をもひとつの自然秩序の変化としてとらえ、日本の庶民が伝統的にもっていた人の力を超えた自然として戦争をとらえ、詩作品のなかで哲学的にあるいは美学的に高めていった。

わたしは四季派のように、社会や政治そして戦争までもあたかも自然の一部としてとらえ、試作品にする多くのひとびとがいることに驚いたというのが正直な思いである。

偶然、詩のブログを読んだ。その時の違和感が強くて、このことについて簡単にまとめてみようと思って上のようにまとめた。

日本では若い時から伝統的な自然への感性の美しさを好む詩人が多く、また詩人が老年になると、伝統的な侘び寂びの世界に戻っていくのが多いが、それは、個人としての書かなければいけない詩を最初から持っていないか、途中で失ってしまうのではないだろうか。

それらの美意識は個人の内面の世界だと錯覚した伝統的自然概念であり、日本語の歴史的な美的感覚や日本文化のなかに立っているのではないだろうか。そして、社会の変化や戦争またひとびとの死すら自然として受け入れているのではないだろうか、確認する必要があるように思う。



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前回、わたしの下手な詩で、現在書かれている(あるいは、わたしたちが読む)詩を、大凡三種類に分けた。詩の書き手からすると、ふざけるんじゃないという声が聞こえてきそうだが、素人の読者が感じるままに書いていると考えて許していただきたい。

その三種類とは次の通りである。
タイプA、書き始めから、作品全体の調和、あるいはまとまりを考えて書かれた詩。よって意味のつながりが重要視され、読みやすい。

その中でも、AABA、AA'BA、AAA'A、AABA'等、その作品の中での意味の流れを考えるといくつかのタイプがある。例えば、立原道造はAABA、あるいはAAA'Aが多いとか。また、中原中也はAABA、AA'BA、AAA'Aが多い。ソネット詩が多い立原道造や中原中也はわかりやすいが、そうでない荒川洋治ならAA'BA、あるいはAABA'が多いとか。このことは次の機会に別の視点からーーーその詩作品をなぜ書くか?ーーー書きたいと思う。

なぜなら、抒情詩は意味の流れが大切であるから意味の流れが重要になる。

しかし、意味を大切にするこのタイプの詩は少なくなっているように思う。直感で45%。『現代詩手帖』の年一度の『年鑑』を読んでのイメージである。

タイプB、二番目は、まとめることを考えずに、言葉の世界のつながりに重要性をおいた場合。意味のつながりよりも言葉の世界の調和が重要視される。その言葉は、書き手の言葉の用い方、あるいは書き手の主観の表現の仕方が何よりも優先される。

その詩人の立場や思いになって、自分が書いている思いになれると、まるで自分自身が書いているような親近感を感じる。それができないならば、違和感だけが残る。

これが45%である。

タイプC、三番目は、意味のつながりも、言葉の世界の調和も無視する場合。書き手の心の向いている方向、それが他者であるが、他者がどの程度理解するかはわからないのだから、書かれた作品がどの程度他者、もしくは読者に理解されるかは別として、そこを重要視して書かれた作品である。

前回こう書いた。「現在は一番目と二番目の姿勢で書かれることが多い。それは、時代とそこを生きるわたしたちの望みの持てる大きさと関係があるように思う。ーーーーどの姿勢が良い書き方ということはない。時代で主流になる書き方が違ってくることはある。書き手を現実と言葉の世界への向かい方が見えない枠で囲ってしまうようなものだ。」

分かりやすくいうと、現在、詩の多くの書き手は読み手を考えるよりも、ひとつの作品を作成することで精一杯ということである。

何を書くべきか、どのようにそのテーマに関わって書くべきか、言葉の意味をどのように扱うべきかーーーこれらの課題の前で、書くということを自分に生きる意味として課しているというべきかもしれない。

一番目のタイプの書き手たちは、時代の流れに乗り遅れてはいけないし、他の詩人からの「遅れている」という眼を気にして(と思う)、二番目の電車に乗ろうとする。だから、一番目の電車の特徴である抒情詩や恋愛詩は避けられる。

といって二番目のグループの詩から、抒情詩の特徴である、空、雲、花、鳥、海等の自然を表す言葉による暗喩が消えるわけではない。これは彼らのジレンマではないだろうか。もしジレンマでないとしたら、それこそ、彼らがポストモダンから脱出しようとしているが、目的地が見えていないことの表れだと思う。

課題は、三番目のグループの作品が読み手である他者を、その作品に結びつけているか?というところにいく。

1980年後半から、詩の世界ではメジャーな雑誌が残り、同人誌が減り(と思う)、1980年前半まで書いていた詩人の作品発表が少なくなった。そのことは、読み手との繋がりが見えなくなったことによると思う。

そして、読み手との繋がりの必要性を感じない二番目のタイプの書き手が増えてきたと思う。

吉本隆明が現代詩について、「これから先自分はどういうふうに詩を書いていけるかという、そういう考えが出ているかというと、それはもう全然何もない。やっぱり『無』だなと思うしかないわけです。」(『日本語のゆくえ』吉本隆明)と書いてから、七年である。

今、過去15年の現代詩年鑑を読んでいる。わたしは詩を読まない空白の期間があったので、確認の意味で読んでいる。そして、思ったのが、読み手を想定しない二番目のタイプの書き手が増えている、特に若い詩人に多いということである。

今の現象は、戦前の日本的シュールレアリズムの拡がりのように感じられてならないというのが実感である。


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少年の死の白さ
嘆く声でできあがる時の断面

時を終点まで飛ぶことが目的なら
ひとの生の意味は
どんなに明確だろう

青を流れる雲
少女の手のソフトクリーム
老いた背から透かし見るこころ
死者をおおう結晶

これは先日わたしが書いてそのままの何行かである。今日はこれに一行を加えて、いくつかの全く別のイメージを与える詩(と読んでおきます)を作ろうと思う。

先ず一番目。書き始めから、作品全体の調和、あるいはまとまりを考えた場合。よって意味のつながりが重要視される。

少年の死の白さ
嘆く声でできあがる時の断面
時を終点まで飛ぶことが目的なら
ひとの生の意味は
どんなに明確だろう
青を流れる雲
少女の手のソフトクリーム
老いた背から透かし見るこころ
死者をおおう結晶
きみは永遠に透けて見える

二番目は、まとめることを考えずに、言葉の世界のつながりに重要性をおいた場合。意味のつながりよりも言葉の世界の調和が重要視される。

少年の死の白さ
嘆く声でできあがる時の断面
時を終点まで飛ぶことが目的なら
ひとの生の意味は
どんなに明確だろう
青を流れる雲
少女の手のソフトクリーム
老いた背から透かし見るこころ
死者をおおう結晶
きみは砕かれた生  わたしの呼吸にいる

三番目は、意味のつながりも、言葉の世界の調和も無視する場合。書き手の心の向いている方向が重要視される。

少年の死の白さ
嘆く声でできあがる時の断面
時を終点まで飛ぶことが目的なら
ひとの生の意味は
どんなに明確だろう
青を流れる雲
少女の手のソフトクリーム
老いた背から透かし見るこころ
死者をおおう結晶
終点のむこう側にいつまでもわたしは立っている

下手な詩で説明するのは申し訳ないが、一番目が最も多いかたちだろう。だから、フォークソングになれる。現実を受け入れた風俗になる可能性もある。

二番目はフォークソングとして歌うには適さないが、言葉の世界でひとつの世界を作り、書き手は現実の世界にどのように向かうかは問題にされない。多分、一番目とこの二番目が、書き手から詩がこぼれる時のほとんどの場合ではないだろうか。

三番目の姿勢は、書き手が現実に明確な向かい方をする意志をもっていないとできない。現在、その意志をもつ中身すらなくなっているのではないだろうかと思っている。

どの姿勢が良い書き方ということはない。時代で主流になる書き方が違ってくることはある。書き手を現実と言葉の世界への向かい方が見えない枠で囲ってしまうようなものだ。

現在は一番目と二番目の姿勢で書かれることが多い。それは、時代とそこを生きるわたしたちの望みの持てる大きさと関係があるように思う。

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少年の死の白さ
嘆く声でできあがる時の断面

時を終点まで飛ぶことが目的なら
ひとの生の意味は
どんなに明確だろう

青を流れる雲
少女の手のソフトクリーム
老いた背から透かし見るこころ
死者をおおう結晶

ここまで書いて、わたしは立ち止まった。もちろん、紙の上での話である。

そのまま書き続けることはできる。それは次回書こうと思う。

少年の死、生の意味、季節の白、このまま書くと、生のかなしみ、わたしなりに考える生の意味、その生のなかで感じる死とその後の意味を書くのだろうーーこれは、あくまでわたしが今想像していることで、実際にはどう書くかは、書いてみないとわからないことだ。

芭蕉は、実際に書いた時と、全く違う季節に変えて発表した作品がいくつもある。

季語を変えることで季節が変わる俳句では、季節を変えるのはまだ易しいかもしれない。下手なわたしの俳句でも、これは春にしてしまえ、と春にすることがある。

しかし、詩の表現する世界を変えることは難しい。かなしみの詩をよろこびの詩に書き変えることはまだ簡単だと思う。

言葉が掴んだか掴みきれたかわからない世界を表現した詩や、明確に最初から最後までひとつの心の情景を表現した詩は、全く別の作品にするのは難しい。

島崎藤村の詩は書き変えるにはそんなに困難でない。立原道造の詩もそうである。しかし、中原中也の詩は困難である。言葉の下に作者が残した肉体の感じがある。

この違いが何によるか、何を示しているかはわからないが、そこには、わたしたちが知性で把握できない何かが言葉を通して表れているように思う。

詩が咽喉からこぼれる、と書いたが、そうでないのはどこからか、口からか、それを考えるのは無意味ではないように思う。

次回は、最初にあげたわたし自身の詩の書きかけを全く違う世界に仕上げることで試してみようと思う。

下のブログに書いたように、10年前にわたしは鬱になり一年半休職し、その半年後退職した。病名は、鬱症状を含む全般性不安症、及びパニック障害である。

https://ameblo.jp/handinhandworld

同じ症状で苦しんでいる方が多いと聞いたので、簡単に私の症状とリハビリについて書くのも役立つかもと思い書くことにした。

当初、自分の字が読めず、スーパーに並んでいる果物の名が出てこない、街へ出ても名前を知らないものばかりなのでパニックを起こす。それは、書店の本棚でも、長いあいだ使ってきたコンピュータでも同じだった。吉本隆明⁉️誰⁉️4GBメモリーのノートパソコン⁉️何⁉️という具合である。何しろ、林檎とタマネギとニンジンの区別がつかないのだから。

退職後、症状は残ったが少し改善された。時にひとりで電車に乗れるようになった。

しかし、その後、昔この病気の発生と似たような現象に出会うと再発した。昔ほどではないが、根本的な症状は同じである。それが、短い時間ーー10分とか30分とかーーひどい症状が出てくるまで辛抱できるようになった。

それでも人混み、罵声、悲鳴には耐えられない。

今は、静かな早朝や夜間の散歩、昼間は妻に付き合ってもらって人通りが少ない道の散歩を短い時間している。

お医者さんによると、環境、人間関係が完全に変わらないと完治は難しいという。また、南西諸島に引っ越したら、即治るだろうと言う。

自分で読んだ専門書も数十冊になるだろう。そして、わたしは少しずつ改善するように生活をリハビリとして考えている、もちろん必要な仕事は処理するが、速度と内容では仲間に迷惑をかけているだろう。

責任ーーというほどのものではないが、まずそれを優先して、その中で病気が良くなるようにしていこうと考えている。

同病の方々には、まず環境、人間関係を変えることをお勧めする。それができない場合は、生き続けることを大切にして、自分に与えられた環境での最善をはかることだと思う。

生きていて良いことは無い、という考えがきたら即否定し、生きることが無意味でないことを確認すること。ーーー私はそれを一日に何度も行っている。正しいかどうかはわからない、しかし、それはひとつの方法だし、私にとっては最良だと思っている。




上は伊勢神宮の秋の神宮祭である。
日本的か、どうかは後ほど判断してもらおう。

これまでナショナリズムについて、特に民族国家のナショナリズムについて書くために、何十冊か読んだ。小林よしのり氏、その友人の浅羽通明氏、安倍氏のナショナリズムについての本、それらと少し距離を置きながら根本は変わらない松本健一氏、そして丸山真男氏、橋川文三氏、網野善彦氏、ベネディクト・アンダーソン氏、吉本隆明氏等の正当学術グループの書籍、さらに、先崎彰容氏や萱野稔人氏という新しい日本ナショナリズムの肯定論者・・・・・そして気づくことが幾つかある。先ず、丸山真男氏や橋川文三氏の跡をついで、日本の政治に具体的に神経をむけた研究をする若い研究者がいないし、吉本隆明氏のように、歴史の事実と理論とをひとつにして、「国家とはなにか」探求するひともいないということである。

また、先崎彰容氏や萱野稔人氏という新しい日本ナショナリズムの肯定論者が、その文面にグローバリズムから国民を守るためとか、死と関わる文明論であるとか語っているが、ほとんど的を得ていない、大学で食べるための作文にしかおもえないことである。

イギリスの学者が言ったことを思い出した。「日本人は、本当に、イギリス・フランス・ドイツの政治論を読んで理解して、それぞれの考えを書いているのか? だとしたら、日本にはたくさんの天才がいることになる。原語を読み書きするわたしたちが、それぞれの著者の言わんとするところを、その前の歴史の言葉と比較しつつ内容を理解するのに苦労するのに、ほとんど話せない学者が、ヨーロッパの書籍を引用し、それを評価するのだから、天才的である。」・・・・・天才的詐欺と言ってよいだろう。先崎彰容氏や萱野稔人氏が、引用しているフランス語・ドイツ語の学会で討論したくなるほどになったら、彼らの著作に少しは実がつまったと思って読もう。しかし、いまは、大学生が、いろいろなインターネットのページからカット&ペーストして課題論文をつくったようにしか見えない。私が読んで、多分、原作を読んでないから、この誤解があるなとわかるくらいだから、当たっているだろう。

先ず、ひとつの簡単な疑問である。

小林よしのり氏、浅羽通明氏、安倍氏、松本健一氏、丸山真男氏、先崎彰容氏や萱野稔人氏は、「民族の伝統」「民族固有の文化」を民族国家設立の必要性あるいは必然性にする。

民族国家そのものが、ここ二百年でうまれたものであるにかかわらず、あたかも二千年間、各民族が伝統を保ってきたかのような感覚で書いているのである。

日本で千三百年続いたのは、新嘗祭という、天皇家の儀式と日本語しかないのではなかろうか。江戸時代になって、褌をする習慣ができた。それまでは、平安時代も室町時代も、男も女も下半身を見せながら博打をし、夜寝ると、夫以外・妻以外の異性と寺社で性行為をしていた。それが、日本人の家族感覚であった。同じように、娼婦が天皇家にも住まい、どうように天皇と性行為をしていた。どこが万世一系の一族だろう。御所に住んでいたという以外、全く一般の日本人と違いはない。多分、御所はひとつの神社と同じで、夜に男女が交わる場所だったろう。藤原氏や平家の権力が強い時は、そこを支配したのは天皇家でなく、彼らであり、天皇家には彼らの子孫が散らばったと考えていい。(参照『日本社会の歴史』網野善彦)

ヨーロッパの例をあげよう。クリスマスはあたかも永い伝統のように現在思われているが、キリスト教のヨーロッパでも、イギリスのジョージ三世が十八世紀に始めた。サンタクロースは一九三○年、コカコーラ社が始めた。それを伝統と読んでいる。

門松は室町時代に神社で始まった。まだ古い方である。

では、現在の「天皇陛下万歳」の掛け声はいつ始まったか。実は、明治になり、京都から東京へ天皇が引っ越したが、江戸の人々は天皇への敬意をもっていなかった。

明治政府は天皇の偉さを宣伝するために、「お稲荷さんより天皇は偉い」と宣伝している。しかし効果がなく、当時の読売新聞等には、天皇が馬車で通れば「所きらはずおり重なりて・・・其の喧噪一方ならず」「一時に右往左往に散乱する」「国旗だも掲げず冷淡に観過し・・・」という状態である。物珍しさに集まって中を覗いてはちっていくという状態だった。

これを森有礼は統括するために、いろいろなかけ声を検討するように指示し、中国語の「万歳」(バンゼイ)から帝大教授の外山正一が「バンザイ」を考えた。そして、一八八九年二月二十一日、『大日本帝国憲法』授与式から帰る天皇の馬車に、集めた帝大生数千名に「天皇陛下万歳」を叫ばせたのである。まったく、握手の仕方を教わるように、国から「万歳」の仕方を指示されたのが日本国民である。(参照『客分と国民のあいだ』牧原憲夫、吉川弘分館、『無境界家族』森巣博 集英社文庫)

それまで、天皇の前で声を出すことは不敬であった。それを西欧式に「ホレーッ」とか「奉加」とかいう案もあったが、「ホーガァホーガァ」となり「アホー」に聞こえる。「バンゼイ」は「マンザイ」に聞こえる等々の末にできた、新しい伝統である。

伝統とは、このように過去を変えつつ、新しくできるものである。

現在の近代民族国家はまだ百五十年、まだ新しく作りつつある時である。その程度の伝統を、「民族の伝統」と大切にしても仕方ないだろう。江戸時代の伝統がどのように消え、変わってきたか見れば、あと百年でどのように変わるかはわからないとおもっているべきだろう。

隣の中国で、共産党政権が成立し、三十年で指導者・毛沢東は死ぬ。しかし、その間に、文化大革命・四人組時代を通り、約三千万名から五千万名が粛清された。先日、その粛清についての外国の記者からの質問に、「内政問題で答える必要はない」と報道官は答えた。わずか三十年、しかし、その間に、国家の中枢の事務・教育・芸術に関わる人びとを殺し去り、一世代生まれ変わる中で新しい伝統・制度を確立した。

一世代変わると文化・伝統は簡単に国全体で変わるのである。カンプチア、インドネシア、パキスタン、イラン・・・・どこまであげればよいか・・・南米・中東・アフリカ・東欧、全世界ほとんどである。変わっていないのは、カナダ・アメリカ・オーストラリア・サウジアラビア等、近代国家の最先端をいく国家か、ひとつ前の専制君主のまま残っている国家である。

現在の民族国家がこれからの百年あるいは二百年でどのように変わるかは分からない。新しい子どもたちはまっさらに、何にでも染まるように生れてくるのだから。ヒトラー・ユーゲント、ソ連のピオネールに両国はそれぞれ力を入れ、親を密告するところまで作ったのは教育である。

安倍氏の教育基本法改悪、これからの愛国教育も本質は同じようにものである。

負の変化とプラスの変化が想定されるが、それは次回にしたい。

(2014.03.25)





前回、安倍氏のナショナリズムについて、その著書「美しい国」に書かれているのは、故郷への愛、自然への愛をかたっており、それは、日本人は同じ美意識と美の基をもつので、そのために生きよう、あるいは死んでもよいだろうという戦前のナショナリズムと変わらないと書いた。

また、先崎彰容氏は、ナショナリズムを無条件に必要だと語る(『ナショナリズムの復権』)が、彼自身が語るように、彼のナショナリズムは「死をめぐる問題であり、私たちにとっての最大の問いーどう生きるのか、死とは何か」とかかわる問題だと捉えている。つまり、美意識・伝統・共通の意識が、自分の中の否定的な部分から逃れさせてくれ安心をあたえる。それがナショナリズムだといっている。

また、萱野稔人氏は社会を暴力で(警察力で)治めるには国家が必要であり(『ナショナリズムは悪なのか』)、民族の集まりは国家となってその国民、つまり民族を守る。民族には国家が必要であると語る。

本当にそうであろうか。

まず、近代国家がうまれてまだ二百年である。どれほどわたしたちは国家を知っているだろうか。ナショナリズムを必要だと主張する人びとの意見の主なるところは視点をかえると簡単に誤りが見える。

一番目、被抑圧民族が独立し国家として存在することは良いという意見がある。

二番目、ナショナリズムが定着すると、侵略的な暴力はなくなり、防衛的な国家になる。

三番目、ナショナリズムで国家をまとめ、国家が暴力装置として国内外に力を見せなければ、国内を安定させることができず、平和が保てないという。よって民族国家とナショナリズムが必要であるという意見である。

先崎彰容氏と萱野稔人氏の難しく書いた本の内容をわかりやすくまとめると、上の三点になる。また、多くの民族国家必要論・ナショナリズム肯定論の理由としてあげらるのが、この三点である。

その基礎にあるのは、民族国家の必要性であり、その国家をなりたたせるためにナショナリズムが必要であると言う考えである。ひとつひとつ考えると、全く必然性がない意見であることが簡単に明らかになる。

一番目、被抑圧民族が独立し国家として存在することは良いという意見であるが、まず、このなかなか否定されない考えを疑うべきである。ベトナム・カンプチア・中国が共産主義国家として独立して、三国は戦争を開始した。中東の国々、アフリカの国々が独立し、その土地と回りの資源への権利のために殺し合いを続けているのが、たくさんの民族国家がナショナリズムで独立してからのことである。また、被抑圧民族が権力をもつと抑圧民族になる。漢民族が満州族と欧米から解放されると、チベット・ウィグル族・国内貧農層への抑圧と民族浄化政策をとった。多くのイスラム国家やアフリカの国家でも同様である。

二番目、ナショナリズムが定着すると、侵略的な暴力はなくなり、防衛的な国家になる。これは、現実を見ない夢物語である。ソ連のアフガニスタン侵略も、ロシアのクリミア侵略、国内言論統制、アメリカのイラク侵略、すべてナショナリズムによる。

三番目、ナショナリズムで国家をまとめ、国家が暴力装置として国内外に力を見せなければ、国内を安定させることができず、平和が保てないというのが、ナショナリズム必要論である。これは、現代の現実は仕方ない者として受け入れるしかないと言う諦め論である。

わたしたちは、まだ二百年しか経験していない民族国家が本当に人類に必須であるかどうか、そこで鼓舞されるナショナリズムが人類の発展に必要かどうか、まだ考える知恵はないのではないだろうかと思う。

(2014.03.24)

4年前、鬱による言葉忘れからぬけ出るために書いていた頃のものだが、そのまま載せることにする。



日本は単一民族国家だと言われるがそうではない。アイヌ民族は違う言語をもっていた。また、在日の人々も多い。アメリカには、いくつの民族が現地人として住んでいたか、研究の歴史とともに増えて来た。現在では百を超えていると言われる。

ひとつの民族の生活共同体が壊れるのと同時に、ひとつの民族が消える。

近代国家の成立は、多くの民族の言語・文化を消し去り、政権を握る民族の言語に統一することだった。言語は公教育で統一することが可能だが、文化・宗教は簡単にはできない。

日本で沖縄に旧正月他の習慣が残っているのも、シンガポールが、西洋歴の正月、中国、インド、イスラムの正月と四つの正月をもつのも同じ理由である。

一方で、単一民族国家のもつ歴史・同じ美学の重要性をかたるのが、安倍氏他、ヨーロッパの民族主義者である。この考えは、多くの人の共感を得る。特に、独立まもないアフリカの国々、ユーゴスラビア等元共産圏から独立した国々である。

また、同時に、そうした民族の独立を抑える国々もある。チベット・ウィグル地区をもつ、中国。イスラム民族をかかえるロシア。その土地の地下にある資源の価値、一民族の独立を認めた後に起こる可能性がある国家の分裂、それを避けるために、民族独立と言う百年前からの世界の流れと逆行する方針をもつ国もある。

他方で、民族の閉塞性をこえようと国家間での国民の移動を認めたのがEUである。

あとひとつ、植民地としての独立で、多民族国家としてナショナリズムを維持しているのがアメリカである。

まとめると、単一民族のナショナリズムのうまれるのは、次のようになる。
①多民族の大国から単一民族国家として独立する。
②多民族の小国がひとつの国家として成立する。
③多民族国家からの独立を要求する。

単一民族国家でない場合は、珍しい例としてアメリカのように植民地として独立した場合、EUのように、独立していた国家が共通の経済基盤をもつ場合。

すると、日本の場合は、②と考えてよいだろう。

そこで、国家と文化・歴史の美意識の関係である。現在、国家として独立していようがいなかろうが、ひとつの民族としての言語・文化・統一感をもっているのが単一民族である。

日本は、百五十年前までは小国の集まり、八百年前までは、完全に別れた国・・・蝦夷、東北、瀬戸内海の海軍国家、南九州、琉球・・・・がそれぞれの力をもち、ヤマト国家は滅ぼされる可能性もあった。

その日本で、ナショナリズムをどのように語るのか。安倍氏は、「美しい国」という題で、故郷への愛を語る。戦前のナショナリズムを支えたもの、日本人は同じ美意識と美の基をもつので、そのために生きよう、あるいは死んでもよいだろうというのと変わらない。

先崎彰容氏は、ナショナリズムを無条件に必要だと語る(『ナショナリズムの復権』)。萱野稔人氏は社会を暴力で(警察力で)治めるには国家が必要であると語る(『ナショナリズムは悪なのか』)


本当にそうであろうか。私たちは、安倍氏が語るような「美」をもとめているだろうか。そもそも日本の政界のトップがその美を求めて生き、私たちは彼らに美を見つけることができるだろうか。

国家の権力・何を善とし悪とするか・悪に対し力を行使する権限がなければ、本当に社会は成り立たないだろうか。私たちは見ていないが、近代国家成立前前は、近代法も警察力もなかった。それでも、人類は生きて来た。

わたしたちは、誰をも受け入れること、差別しないこと、グループで集まり仲間外れをしないこと等、あたりまえのこととして知っている。あるいは教わる。しかし、民族間、国家間ではそのルールは無視されてあたりまえになる。

本当に民族国家でないと人類は平和に生きていけないか。ナショナリズムが本当に必要か。わたしたちは、これからの時代を生きるために、これまでに見ることができなかった、民族国家でなく、ナショナリズムで維持されるのでない世界を考える時がきているのではないだろうか。

(2014.03.16)