2015年に書いたが、最近のアメリカを見ていて以前より強く感じるので再度アップすることにした。上は世界の米軍基地である。 地図の赤いバルーンは米国領内でもちろん基地がある。赤いピンは100以上の基地(施設)がある国、黄色のピンは10-99の国で日本も該当している。そして緑は1-9の基地(施設)がある国々を表している。
私にはアメリカ人の親戚がおり、アメリカ人の友人が多い、そして多くのアメリカのミュージシャンや詩人が好きだ。しかし、アメリカ国家を動かすアメリカ政府には不信感をもっているし、その基本的な考えに疑問をもつ。理解できないというべきかもしれない。現在、ロシア、中国にも同じものを感じるが、アメリカを例に考えたい。野口広志氏のレポートから引用させてもらった。
アメリカは、建国以来の226年間で実に41回。(5年に1回!)第二次世界大戦後の57年間で19回の戦争・武力行使を行っている。(3年に1回!) 国際紛争・意見の相違を戦争・武力ではなく、話し合いと交渉で解決するというのが国際社会に求められているというが、それは建前で偽りである。アメリカは軍事力で国の経済を伸ばしてきた。
Ⅰ.アメリカの戦争の歴史
下はヨーロッパからの移民がアメリカ大陸に上陸し、アメリカ合衆国を建国し、最近までの戦争の歴史である。
1675 フィリップ王戦争勃発、この戦争によりニューイングランド地方の先住民、ほぼ制圧される。 1676 ヴァージニアでベーコンらの反乱。 1677 カロライナでカルベバーの反乱(~80)。 1689 ボストン市民、名誉革命に呼応、アンドロス総督らを本国に追放。 ニューヨークでライスラーの反乱(~91) 1711 カロライナ植民地、先住民タスカローラ族と戦争(~13)。 1720 英仏、この頃からエリー湖、オンタリオ湖周辺に砦を築き、互いに勢力拡大を狙う。 1753 ペンシルベニアとヴァージニア、内陸部でフランス勢力と衝突。 1754 ヴァージニア植民地軍、五大湖周辺でフランス軍と交戦、北アメリカ大陸でのフレンチ・インデイアン戦争始まる(~63)。 1763 オタワ族のポンテイアック、蜂起。 1773 ボストン茶会事件。 1775 レキシントン・コンコードで戦争、独立戦争始まる。 1777 サラトガの戦い。 1781 ヨークタウンの戦い。アメリカ大陸軍勝利。 1794 北部オハイオ、フォールン・テインバーズの戦闘で、北西部先住民諸族敗北。 1812 対英宣戦布告、1812年戦争始まる。 1814 ジャクソン、南部先住民との戦いでクリーク族を決定的に破る。 イギリス軍、首都に侵攻、ワシントン炎上。 1815 ニューオーリンズの戦いでイギリス軍に大勝。 1832 北部先住民部族とのブラック・ホーク戦争。 1836 テキサス共和国独立宣言。アラモの戦い。 1838 先住民チェロキー族の強制移住開始(涙の道)。 1845 テキサスを併合。 1846 メキシコに宣戦、米墨戦争始まる。 1847 アメリカ軍、メキシコシテイを占領。 1861 南北戦争始まる。(~65) 1886 アパッチ族長ジェロニモ逮捕。対先住民戦争事実上終結。 1898 米西戦争始まる。 米議会、ハワイ併合を決定。 1899 アメリカ・フィリピン戦争。(~1902) 1903 ローズベルト、コロンビアに対するパナマ住民の独立運動支援を名目に、軍艦派遣を指示。 1912 ニカラグアに海兵隊を派遣。 1914 メキシコに海兵隊派遣し、ヴェラクルスを占領。 1915 ハイチに海兵隊派遣。 1916 メキシコに進軍。 ドミニカに海兵隊派遣。 1917 対独宣戦布告。 1918 シベリア出兵。 1926 ニカラグアに海兵隊派遣。
1941 第2次世界大戦に全面参戦。 1945 ニューメキシコ州アラモゴルドで初の原爆実験成功。 広島に原爆投下。 長崎に原爆投下。 1949 北大西洋条約調印。 1950 朝鮮戦争始まる。 アンザス条約調印。 日米安全保障条約調印。 1952 最初の水爆実験成功。 1955 南ヴェトナムに軍事顧問団派遣。 1958 レバノンに海兵隊派遣。 1960 U2型偵察機、ソ連領空で撃墜される。 1961 キューバと断交。 対キューバ、ピッグズ湾上陸作戦失敗。 1962 キューバ危機。 1964 米議会、トンキン湾決議。 1965 北ヴェトナムへの北爆本格化。 地上軍を投入。 ドミニカに海兵隊派遣。 1970 アメリカ軍、カンボジャ侵攻。 1971 ヴェトナム戦争、ラオスにも拡大。 1983 グレナダ侵攻。 1986 リビアのトリポリなどを爆撃。 1989 パナマに侵攻。 1990 イラクのクウェート占領に対し、サウジアラビアに派兵。 1991 湾岸戦争。 1992 ソマリア派兵。 1994 NATO、旧ユーゴ内戦に介入、空爆を行う。 1996 イラクに対し空爆。 1999 NATO軍、コソボ空爆。 2001 米同時テロへの報復として、米、英と共にアフガニスタン空爆。 地上軍派遣。
そしてイラク進攻、現在に至る。
ここにある歴史は、侵略の歴史である。
まず、先住民の土地を侵略。
同時にフランスからの入植者の土地を侵略。
メキシコを侵略。
アメリカ大陸を終えると、スペインに戦争をしかけ、フィリピンを侵略。
ドミニカ・ニカラグア、超南米へ軍隊を派遣。
第二次世界大戦後、朝鮮、ベトナムへ派遣。
そのあと中近東・アフリカへ拡大し、レバノン・リビア・サウジアラビア・イラク・アフガニスタン、シリア空爆と現在に至る。
これは、アメリカ大陸内の先住民の土地を侵略したら、近くの中南米、次は太平洋を渡ってフィリピン、朝鮮、ベトナム、その後は中東・アフリカである。
どうしてこんなに戦争を必要とする国なのか。ベトナムでの虐殺行為やイラクでのレイプ虐殺はひとつの表れで、その下には、戦争を必要とする国であるアメリカの理由がある。
第二次大戦後アメリカが爆撃した国でも次のようになる。
【第二次世界大戦後、アメリカが戦争、爆撃をした国】 1945~1946 中国 1950~1953 1950~1953 朝鮮 1954 ガテマラ 1967~1969 1958 インドネシア 1959~1960 キューバ 1964 ベルギー領コンゴ 1965 ペルー 1964~1973 ラオス 1961~1973 ベトナム 1969~1970 カンボジア 1983 グレナダ 1986 リビア 1980 年代 エルサルバドル 1980 年代 ニカラグア 1989 パナマ 1991~1999 イラク 1995 ボスニア 1998 スーダン 1999 ユーゴスラビア 2001~現在 アフガニスタン 2003~現在 イラク ノーム・チョムスキー著、山崎淳訳『9.11 アメリカに報復する資格はない!』文藝春秋、2001 年、 Ⅱ.アメリカの軍事予算
どうしてこんなに戦争が好きか、下は2010年のアメリカの予算である。
全歳出 3兆5520億ドル
軍事費 673億ドル
約2%、小さい?? いや6兆7300億円。他に、今後の政策という予算項目があり、さらにその中に「世界における米国の地位回復と安全の確保1」という項目がある。その内容を以下に引用する。 ・ 国防総省関連予算の増額(2010 年度は対前年度比4%増) ・ イラクからの責任ある撤退及びアフガニスタンの焦点化(2009 年度(残存期間)に755億ドル、2010 年度に1,300 億ドルを要求。今後2~3 週間内に2009 年度補正歳出法案を議会へ提出予定) ・ 陸軍及び海兵隊の規模拡大 ・ 軍人及び退役軍人に対するメンタル・ヘルスケアの改善 ・ 対外援助倍増路線への回帰 ・ アフガニスタン、パキスタン、イラクにおける難題克服 等 というものである。
(外務省ホームページ「米国2010
会計年度予算教書(概要)」 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/keizai/eco_tusho/us_2010.html より引用。2009 年12 月7 日閲覧。)
つまり、軍事費と明確にあげられていない軍事費が、それの3倍以あるのである。合計すると数値が上
がっているだけで、25兆円、日本の国家予算の30%を超えるのである 。
Ⅲ.アメリカの戦争とGDP
どうしてか?下は戦争とアメリカのGDPの関係である。ポール・ポースト、山形浩生訳『戦争の経済学』(バジリコ、2007 年)による。
①第一次世界大戦(1914~1918 年) 1913 年アメリカは不景気の真っ最中であった。アメリカは、戦争はしなかったがヨーロッパの軍需工場となり貿易黒字が拡大した。朝鮮戦争の時の日本と同じである。欧州はこの大戦で低い成長率しか実現できなかったし、消費者物価指数CPI が上昇して戦後は物価高に悩んだが、アメリカは16%もGDP が伸びた。 欧州の戦争のためにアメリカ経済は根本的に変化した。1918 年には政府支出はGDP の20%を占め、国家資本主義といわれたように戦争産業委員会を作って経済は戦争一色になった。
その生産力は戦後経済が停滞して凄まじい不景気を体験するのである。 また、「第一次世界大戦によって、アメリカの労働力の25%が軍需関連の事業によって支えられるようになった。アメリカの製造業の飛躍的発展が戦争によるものであり、それは平時になると軍事関連の産業がアメリカ経済に役に立たなくなることを意味した。アメリカ経済が軍需産業によって支えられていたこともまた1929 年の大恐慌をもたらす一つの原因となり、さらにそれが国際的不況を招き、第二次世界大戦への道を開くことになった。
②第二次世界大戦(1941~1945 年) 戦争前のアメリカの1939 年GDP 成長率は7.9%だった。平均失業率は15.9%であった。 第二次世界大戦の戦場は欧州と北アフリカ、アジアであった。アメリカはハワイで被害を受けたものの、概ねアメリカ以外で闘われた。この時期、同盟国のイギリス、ソ連へ武器を売って貿易収支は戦争中大幅に黒字となった。平均して毎年の軍事支出はGDP の30%以上になって、財政赤字も1943 年には30%になった。戦争費用の調達は増税と紙幣の印刷であった。連邦準備制度は金利を低くして安上がりの負債とした。 膨大な資金調達はアメリカの経済構造を自由経済から再び国家計画経済に変えた。貿易収支は1942 年から1944 年まで輸出が輸入の2 倍を超えていた。飛行機生産は1941 年では米英ソ連ではそれほどの差はなかったが、1944 年にはアメリカが群を抜いて高くなった。 戦車生産にも同様の傾向が見られ、第二次大戦中のアメリカは8 万8430 万台の戦車を生産していた(開戦前の1940 年には390 台であった)。同時期のイギリスは2 万4800 万台、ドイツは2 万4050 万台を生産していた。陸軍は1942 年の時点で900 万部隊を越すほどの兵員を確保し、失業率は3.9%に下った。インフレは8%に上がった。GDP 成長率は20%以上であった。
③朝鮮戦争(1950~1953 年) 戦争前1949 年は第二次世界大戦後の停滞から立ち直っていなかった。GDP 成長率は1.88%、失業率は5%、インフレ率はー1.2%(デフレ)であった。朝鮮半島はアメリカにとって経済的には関係の少ない場所であったが、北朝鮮の侵略に対して、トルーマンドクトリンで共産主義化を防ぐ意味から参戦した。戦争は短期で、総費用は年平均でGDP の4%である。戦争費用は国債発行を避け(低金利政策と物価安定)、増税と被軍事政府支出削減 によった。非軍事政府支出はGDP の5.4%に下げ、所得税歳入
はGDP 比で1.32%上昇した。この期間財政赤字は1%以下か黒字になった。 この時期から冷戦戦略は永続的な軍需産業を生み出した。年間国防費の成長率は110%にも及んだ。実質GDP 成長率は三年平均で6.2%と云う堅実な成長である。失業率は3.6%であった。アメリカは軍産複合体の継続的形成過程で確実な経済成長期を経験した。しかしインフレ率1951 年に7.3%にも上昇していた。
④ベトナム戦争(1964~1973 年) 1960 年代は宇宙開発に象徴されるようにアメリカの経済は力強く成長していた。実質GDP 成長は平均4.1%、失業率は6.1%、インフレ率は1%であった。戦争は長期化して、軍事総費用は1973 年のGDP の8%(年平均で1%)で、偉大な国作りのためのアメリカの非軍事支出も年平均14%と増加した。ジョンソン政権は増税を避け国債を発行した。そのため財政赤字は1963 年GDP の0.3%だったのが、1968 年には2.9%に上昇したので増税に踏み切った。インフレ率も4.5%になり戦争が長期化されたので厭戦気分が広がった。 債権市場での金利上昇は、間投資資金を圧迫して経済成長を鈍化させた。戦争リソースとしてベトナムには最高53 万人が派遣され、軍傭員は人口の 4.3%に達した。この時期の失業率は最低3.5%に低下した。経済成長率は0~6%の間にあって特に経済は活性化されなかった。
⑤湾岸戦争(1990~1991 年) 戦争前のアメリカはローン問題と巨額の双子の赤字(貿易収支と財政収支)がたたって、消費者意向指数は大きく低下していた。戦争の場所はペルシャ湾で、石油産出国が関係しているので経済的にも敏感な地域であった。アメリカは石油の24%を中東に依存していたが、石油量よりもアメリカにとって石油価格が騰貴することは経済成長を抑圧する。戦争が終われば石油価格は直ぐにもとの水準(バレルあたり20~25 ドル)に戻った。 戦争費用600 億ドルは1991 年のアメリカのGDP の1%であった。しかし、戦闘行為だけを米国が負担し、この費用は同盟国が支払った。日本とドイツが440 億ドル(費用の約70%超)を負担し、クウェートとサウジアラビアも95 億ドルを負担していた。戦争負担が少なかったためアメリカ経済は何も影響を受けず、低成長時代から不景気に入っただけであった。
⑥イラク戦争(2003 年~) 戦争前のアメリカの実質GDP 成長は、2002 年1.8%という低成長時代にあった。失業率は6%に増加していた。戦争が近づくと不安から消費者意向指数は大きく低下した。戦争の場所はイラクで湾岸戦争と同じく石油価格が敏感に反応した。石油はバレルあたり40 ドルに上昇した。アメリカの国防費は前からアフガニスタン作戦のため上昇していた。2003 年5 月の主要戦闘終了宣言までのイラク戦争に直接関係した戦費は300 億ドルと少なかった。
その後毎年 50 億ドルほどが支出されているが、それでも、アメリカ経済の規模が大きいため、対GDP 比では1%以下である。以前より軍の技術改良が進んでいたので戦争リソースの大量動員は必要なかった。重爆撃を減らして効率的なコンピュータ化した戦争によって必要な武器が減ったこと、武器が安くなったこと、民間の技術移転を利用したことで戦費は大幅に減った。 戦争で確かにGDP 成長率は2003 年の一時期に2.4%と増加したが長続きはしなかった。 軍需産業の株価上昇も一時的に終わった。
冷戦後アメリカ経済は恒常的に軍需産業を拡大してきたので、小規模戦争では経済拡大効果はない。また確実に経済成長が続いてアメリカ経済の規模は膨大になっているので、戦争費用・リソース増加の占める率は少なくなっている。戦争の経済効果が見えにくくなってきたといえる。 以上から、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争は、経済的効果がもたらされたと言えよう。ところが、ベトナム戦争以降の湾岸戦争、現在も継続中のイラク戦争においては、「政府との契約を受けられる個別企業にとって有利だった」とされている。 これはつまり、軍産複合体が台頭してきたためである。
軍産複合体が巨大化していった背景には、「クリントン政権時代、アメリカの主要な三つの軍需産業は、政府からの奨励やまた国防総省から補助金を受領することによって巨大化していった」と指摘されるように、やはり政府との癒着関係が見えてくる。主要三企業とは、ロッキード・マーティン、ボーイング、レイセオンの三社である。 ちなみに、兵器メーカーの売り上げと利益を示したのが、下である。
【2007 年度・兵器メーカーの売上と利益(単位100 万ドルつまり、円に換算すると億である)】 企業 売上 利益 Boeing 30480 4074 BAE Systems (UK ) 29850 1800 Lockheed Martin 29400 3033 Northrop Grumman 24600 1803
General Dynamics 21520 2080 Raytheon 19540 1474 EADS (West Europe) 13100 610 L-3 Communications 11240 756 Finmeccanica (Italy) 9850 713 Thales (France) 9350 1214
(Stockholm International Peace Research Institute (2009), SIPRI Yearbook 2009: Armaments, Disarmament and International Security,)
【2007 年度・兵器メーカートップ100 社の国別売上】 100 社売上合計は3469 億ドル(34兆6900億円)。
アメリカ 2124 億ドル 西欧 1076 億ドル ロシア 82 億ドル イスラエル 50 億ドル
日本 48 億ドル インド 37 億ドル 韓国 29 億ドル シンガポール 11 億ドル カナダ 6 億ドル オーストラリア 5 億ドル (Stockholm International Peace Research Institute (2009), SIPRI Yearbook 2009: Armaments, Disarmament and International Security)
アメリカの兵器売上は、日本の国家予算の25%を超える。そして、
トップ100社の60%である。
【2008 年度、国別軍事費】 アメリカ 6070 億ドル 中国 849 億ドル フランス 657 億ドル イギリス 653 億ドル ロシア 586 億ドル ドイツ 468 億ドル 日本 463 億ドル イタリア 406 億ドル サウジアラビア 382 億ドル インド 300 億ドル ( Stockholm International Peace Research Institute (2009), SIPRI Yearbook 2009: Armaments, Disarmament and International Security)
アメリカの軍事費は日本の総予算の70%を超えている。
Ⅳ.アメリカが欲しいもの
【石油と支配権】
アメリカは、自国の利益のために動きます、そのためなら軍事力も行使します、というスタンス。そして求めるものが、アメリカトップの発現に表れる。それは、エネルギー資源、とりわけ石油である。 「アメリカによるイラク戦争の最終的な目標は、やはりイランだと思います。アメリカがバクダッドからテヘランを攻めるのか、アフガニスタンとイラクをおさえたうえで、ハタミ政権への突き上げというかたちでイランを内部崩壊させるのか。さまざまなかたちが ありえます。いずれにせよ、じわりじわりとイラの原理主義的な体制を崩壊させよう、そういう戦略ではないか。そしてイランを崩壊させることにより、アメリカが世界の戦略物資(石油を中心とするエネルギー)についての最終的な決定権を握ることを、狙っているのではないかと考えています」と言われてきた。
直近のイラク戦争について考察してみると、イラクは中東地域位置している。この地域には多くの石油が埋蔵されている。2008 年の全世界の石油埋蔵量は1 兆2580 億バレル22と見積もられており、中東地域には754 億バレル、世界の約60%が埋蔵されている。イラク戦争の元々の口実は、“対テロ戦争”であった。がしかし、アメリカのネオコン勢力は、この対テロ戦争よりも、イラク侵
攻を優先させた。それは石油が目的である。ネオコンが関心を向けているのは、「世界最大の産油地域における従属的な顧客国に軍事基地をもつことです。これが重要なのです。石油そのものを欲しいためではありません。市場でなんらかの方法で入手できますから。石油をコントロールしたいわけです。
②新自由主義=ネオリベラリズムの延長でネオコンの意向
イラク戦争を推進したネオコン勢力は、ブッシュ政権でもあるが、その母体はアメリカ新世紀プロジェクト(the Project for the New American Century:PNAC25)と呼ばれる保守系のシンクタンクである。このシンクタンクにはブッシュ政権の中枢を担う人たちが役員として名を連ねていた。ブッシュ大統領はじめ、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防副長官、アーミテージ国務副長官などが役員を務めていた。そのため、特にイラク戦争においては、このネオコンの勢力が中心となって、対イラク強硬策を推し進めていった。 ネオコン(neo conservatism)とは、新保守主義である。
ネオコンが力を持つようになったのは80 年代に入ってからのことである。
ネオコンはもともと、ニューディーラーと呼ばれる頭脳集団の路線に近い極左(ニューヨークトロキツト)であった。ニューディーラーとは、1930 年代においてルーズベルト大統領がすすめたニューディール政策を実行し、支持した人たちを指す。この政策は社会主義的な要素を含む政策であった。彼らは再分配政策を支持していたし、その意味でいえば民主的でもあった。 60~70 年代のアメリカにおいては、公民権運動に代表されるリベラルな流れが生まれた。 その延長に、マイノリティへの権利を大幅に認め、弱者(ここでは民族や階層、性的マイノリティを指す)への再分配の範囲を拡げていく。
ところが、80 年代になってこの流れは変わっていく。人びとはセキュリティを問題にし始める。少数者や弱者を保護する再分配政策が、犯罪を増加させる、と主張され世論を形成していくことになる。犯罪が増えると、不特定多数の人びとと触れ合う実社会において、人びとは自分のセキュリティを案じ、隣の人を信用できなくなっていく。そうなると、人びとは、不安が解消されるのであれば、自由が制限されても止むなし、という形で監視に頼るようになる。増加する犯罪が、少数者や弱者を保護する再分配政策のせいだと喧伝され、断固たる措置が主張される。この流れで登場するのが、新自由主義、いわゆるネオリベである。犯罪者をつけあがらせないためには、恩情的な社会政策、すなわち再分配政策で責任をうやむやにするのではなく、金持ちになろうが、貧乏になろうが自己責任であることを徹底させた。かくしてネオリベの支持者は、「再分配政策が社会のセキュリティを危うくする」と主張する。80 年代、ちょうどこの時期に大統領となったのはレーガンである。 彼がとった経済政策はレーガノミックスとしてあまりにも有名である。 この新自由主義的な姿勢からネオコンの立場も考えることができる。上述したとおり、ネオコンはもともと民主的な立場でもあったが、今ネオコンと呼ばれている人たちは元の姿とは違う。ネオコンを形成する勢力は、ブッシュ政権の中心勢力や複合企業体の総帥である。(ブッシュ政権には企業の取締役を務めていた人物が多数在籍した。チェイニー副大統領は軍需会社ハリバートン社のCEO を、ラムズフェルド国防長官は数々の会社の取締役を歴任し、ライス国務長官は石油会社シェブロン社の取締役を務めて いた。) 今のネオコンの考えは、ネオリベのスタンスの延長でえられる。再分配をすると、変な奴らや悪人にリソースを与えてしまうし、犯罪やテロが増加する。怨念を緩和するための社会政策の遂行なんてあとまわしでいい、断固たる措置を取れ、と論を展開する。「断固たる措置」それはつまり攻撃を意味する。 まとめると、「成熟社会化で社会的不透明性が上昇すると、消費動機にせよ宗教動機にせよ犯罪動機にせよ不透明になり、動機を手当てする再分配政策的な『社会政策の遂行』は実効性を疑われはじめます。すると『法的意思の貫徹』すなわち断固たる措置を主張する 立場が優勢になります。これがまず内政において生じたのがネオリベ。ついでこれが外交軍事に投射されたものがネオコンです」。
ネオコンは何事につけても「危険があれば切りつけろ」と先制攻撃論で対処する。合意調達や自発的服従の調達を無視し、人々を震え上がらせることによって逆らわなくなるだろうと考える。この考えは、国際協調路線を展開する場合のロジックを完全に無 視する態度である。
さて、その国家についていくのは同じ道を歩むことになるのでは??
(2015.11.30)