友野雅志の『Tomoのブログ』 -3ページ目

友野雅志の『Tomoのブログ』

日々思うこと、あれこれいろいろ、だらだら、悩むこと、
うれしいこと、悲しいこと、そして考えること。
いろいろ書くことの他、読書、ギター、詩、俳句、料理、絵、写真が趣味です。


前回、次のように書いた・・・・・・『ナショナリズムの復権』で先崎彰容氏は、ナショナリズムが危険なわけではない、しかし、国民は頼るべき歴史あるなにかを必要とすると語る。さて、ほんとうにそうだろうか。先崎氏が語っているのは、「ナショナリズム」が宗教になるということを示しているのではないだろうか。私が確認したかったのは、ナショナリズムについては善悪の判断できないと政治学者は考えており、もし判断するとしたら、その時のナショナリズムの現実的な動きがどうあらわれたかということで行うしかないと考えているだろう。

しかし、・・・・イズムといわれるものが良いことはないと私は思っている。なぜなら、私たち人類の思想は、何かを否定するために語られるからである。現実化していないある思想が、ある世界を求めるとしたら、それは夢想になる。ナショナリズムを、それをこえる地点を求めて観ている時は善であるが、同じ視線で観る時は悪になるだろう。

わたしたちは、国として民族をこえたところまで、いつ行けるだろうか。・・・・・

ナショナリズムもインターナショナリズムも、わたしたちが何かを規定する時に、その何かを概念化するために用いる時は、善でも悪でもない。

ナショナリズムが外国による支配を否定するために用いられるなら、善になる。国民の自由を剥奪するために用いられるなら悪になる。インターナショナリズムも同じである。

『ナショナリズムは悪なのか』で、萱野稔人氏でこう書いている。「・・・・・私がナショナリズムをー限定された意味においてであれー支持するのはなぜだろうか。その理由は、『国家は国民の生活を保障すべき』というナショナリズムの原理が機能しなくなればなるほど、ナショナリズムは逆にアイデンティティのシェーマを活性化させてしまうからである。

どういうことか?格差の問題についていえば、労働市場がグローバル化し、国内の格差が拡がれば拡がるほど、社会のなかでは逆に『日本人』というアイデンティティが強調され、それを拠り所にするような傾向が強まってくるということである。」

萱野氏は、「格差」を労働市場の海外への拡大による賃金低下に見て、グローバル化に労働のグローバル化を考えている。そのために、彼の「ナショナリズム」は、その問題の解決の方法のひとつになる。簡単に言うと「同じ言語を使う同じ民族を雇い」「グローバル化で、安い労働を求めて海外進出することは国内労働者の低賃金化をまねくので止すべきである」・・・・・明確に書いてはいないが、彼の主張をまとめるとそのようになる。それを、いろいろな学者の言葉を引用しつつ、主張している。彼の「企業のグローバル化・経済のグローバル化」の理解が、労働市場の一面しか見えないために、彼の「ナショナリズム」理解も一面的になる。グローバル化している企業は、ある、あるいは複数の国民国家に本社を置き、その国家の政府と共通の立場に立っていると言うこと・・・拡大し、利益を上げ、豊かになること、しかし、国民はその目的の中には入っていない。

そして、国民がもつ不満の原因として、国家は外国の労働市場・企業のマーケットの拡大をあげることで、国家は国民の不満を外へ向かせることである。それは、中国もロシアも、アメリカも日本も同じである。

その時に顔を出してくるのが「ナショナリズム」である。

ナショナリズムとは、各民族が固有の政府をもつことだと、萱野氏はゲルナーを引用しながらいう。つまり、コルシカやカタロニアが独立することが、歴史的発展であり、中国からチベットとウィグル地区が独立し、民族国家を設立することが歴史的必然ということになる。

そのことを、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートによる『マルチチュード』(いろいろな民族によって構成された群衆)と国家を超えた組織による権力の行為(国連軍とか)が、国家と同様な暴力によって正義(あるいは、正義と信じること)を行うことをもちだして、国民国家を否定しているものではないと言う。

確かにそうである。しかし、アメリカという、多民族に国を愛することを宗教のように要求し成功している例もある。人種のるつぼといわれるアメリカだが、白人が74%で半数以上を占めている
(2006年American Community Surveyより)。しかし、「愛国心」を同一民族の共生感でなく、民族の歴史でなく、「その国にうまれた」ことから育てるということに成功しているように思う。つまり、「愛国心」の宗教化を、もっとも基本的なところでなしていると思う。

いつか、アメリカも国内での格差問題から、愛国心が「宗教」のように機能しなくなるかもしれない。国民の貧しい層から、「我々は、一部の富裕層と政治家のために生きているのではない」という反「ナショナリズム」がでてくるかもしれない。

国家はナショナリズムを高揚させようとする。排外主義で、歴史的な選民思想で、オリンピックで。しかし、同時に、国民の「ナショナリズム」への期待は、経済的格差が広がり、国内での富が一部の富裕層に集まることで、徐々に小さくなる。

しかし、ナショナリズムを超える魅力あるものは出てこない。

民族を超えて、言語を超えた共生、それは民族と言語を超えることでそれに支えられる「ナショナリズム」を超えることができる時に人類は手にすることができるかもしれない。

(2014.03.12)

5年前に書いたが手はくわえなかった。



前回、「愛国心は善か悪か、それともどちらでもありうるのか、次回考えたい。」と書いて終わった。

わたしたちが見る「ナショナリズム」は、黒船が開国を迫った時の「攘夷」、その後の「征韓論」そして「大東亜共栄圏」。「攘夷」については、清の植民地化を見て、独立国として存続するための「良い」ナショナリズムと見られている。その後の「征韓論」からのナショナリズムは、日本の帝国主義としてヨーロッパの国々の跡を追った自国の利益を求めての軍事的拡大であり、「悪い」ナショナリズムとみなされる。

ナショナリズムをどう考えるかは、幾つかの例をみるとわかる。
「ナショナリズムは近代の国民国家の思想である。近代の国民国家とは、『一つの民族が、独立国家をもち、その国の体制が国民主権となっていく』状態を目指す。」(『日本のナショナリズム』松本健一)・・・・松本健一氏は、ナショナリズムを超えるには、EUと似た形態をアジアでつくることと書いている。多分、ナショナリズムは「良い」結果をもたらさない、しかし、そのことを明確には表明できないのだろう。

松本氏は、独立するまでは「ナショナリズム」は善であるが、民族国家として独立した後には、悪となりうる、という非常に常識的な感覚なんだろう。これが多くの「ナショナリズム」の捉え方である。民族国家として独立するまでは必要で善、その後、他国への侵略や自国内の小民族に差別を行うなら悪、という考えである。

日本は、第一次大戦後の「対支二十一ケ条要求」までは善し、それ以後が誤っているという考えである。

しかし、西郷隆盛が「征韓論」を主張した時、西南の役以後に政府の中心になった人々は、その計画自体には反対しなかった。実際はもっと強硬路線を主張していた。福沢諭吉、大隈重信は同じ考えをもっていたし、ほとんどの民権主義者も、クリスチャンも、日本がアジアに支配権を拡げるべきだという考えをもっていた。この時で、松本氏の考えでいえば、日本は「ナショナリズム」を超え、「ウルトラナショナリズム」の帝国主義になっていた。

日本の侵略によって、東南アジアの国々はヨーロッパの国々の支配から解放され、民族国家として独立した。その後、同じ共産主義を掲げる中国・カンボジア・ベトナムが国境地域での支配権をめぐって戦争を行った。カンボジアでも中国でも、国内での虐殺が行われた。中国で三千万から五千万といわれる。カンボジアでは三百万が虐殺された。これは、ひとつの民族国家の中で、同じ民族に対してなされたことである。中国政府のチベット・ウィグル地区での虐殺は入っていない。

わたしたちは、民族国家は安全だと考えることなく思う。殺戮とは、ドイツがユダヤ人に対して行ったように、日本軍が占領地で非日本国民に対しておこなったものであり、ひとつの民族国家では起こらないと考える。

しかし、それは大きな誤りである。
ルーマニアのチャウシェスクの銃殺をわたしたちはTVで観た。人口二千万の国でおきた恐怖政治の結果である。北朝鮮・ロシア・多くの南米の国・アフリカの国の多くが、同一民族による民族国家であるが、その微細な違い・・・・・・農業で生きるか放牧で生きるか、その時の権力者のグループであるかが生死をわける。その最も明確なのは、ロシアであり、中国であり、北朝鮮である。ロシアと中国は少数民族を国内に残すことを許容する余裕がない。そうした瞬間、支配民族の内部まで反政府の動きがでてくるからである。それを徹底的に行っているのが北朝鮮である。

「ナショナリズム」そのものは良いとは言えないと言ってよいだろう。

良いか悪いかを別とするならば、世界の人間は、何らかの共通性で安心し、ひとつになるということである。その最初になるのが言語である。そして、実際には民族によってわけられる。そこで終わるのではない。同一民族内で、思想でわける。その上で政権をもつ者への忠誠度によってわけられる。

つまり、愛国心は、国民のひとりひとりにとっては、どうでも良いものだということである。

それよりも自分自身の命と生きることを考えるべきだろう。

朝鮮は日本の支配下、姓名をかえられ、神社と天皇を拝むことを強いられた。もし、わたしたち日本人が同様な事を強いられたらどうだろう。昔、ヨーロッパでカソリックとプロテスタントが命を奪いあった戦争と同じように、何を「信じる」かで人間は殺すことをよいとするのである。これが良い人類の歴史とは言えないだろう。

今、日本の安倍首相は「美しい日本」として、朝鮮戦争・ベトナム戦争での利益を得て成長する日本経済に生きる「三丁目の夕日」の「国民」を求める。それはもうあり得ないだろう。

安倍氏と松本氏に共通するところを、ふたりの本を読んでいて感じた時には、驚きと言うより落胆した。松本健一氏は評論家でなかったか。評論家なら、もっとすべてに否定的な眼で観る視線をもっているのではないか。

「ナショナリズム」は善きものか? 超えるべものか? 中国・ベェトナム・民主カンプチアの戦争からわかるように、ナショナリズムによる民族国家が成立したら、それで終わるものではない。

アメリカについて考えてみよう。民族国家でない自分たちの国家を、生れ故郷の誇りと別に自分が生きるアメリカという国への誇りと忠誠を同時にもっている。アイルランド・ドイツ・イギリス・スペイン・アフリカ・中国等多くの故郷、あるいは祖先の土地に誇りをもちながら、国家としてのアメリカに仕えることである。

アメリカがどうして、今のように多民族で存立できるか、これは、国家論を考える時、もっと視線を注ぐべきだと思う。そこにある愛国心は、世界の帝国としてのアメリカの正当化でありその帝国への誇りである。よってあらゆる虐殺、侵略行為が正当化され、アメリカ国民の誇りとなる。

『ナショナリズムの復権』で先崎彰容氏は、ナショナリズムが危険なわけではない、しかし、国民は頼るべき歴史あるなにかを必要とすると語る。さて、ほんとうにそうだろうか。先崎氏が語っているのは、アメリカがそうであるように「ナショナリズム」が宗教になるということを示しているのではないだろうか。

私が確認したかったのは、ナショナリズムは善悪の判断できない、するとしたら、その時のナショナリズムの現実的な動きがどうあらわれたかということだろう。しかし、・・・・イズムといわれるものが良いことはない。なぜなら、私たち人類の思想は、何かを否定するために語られる。現実化していないある思想が、ある世界を求めるとしたら、それは夢想になる。

ナショナリズムは、それをこえる視線で観ている時は善であるが、同じ視線で観る時は悪になるだろう。わたしたちは、国として民族をこえたところまで、いつ行けるだろうか。
(2014.03.11)



【戦前の日本の地図】


前回、民族国家と多民族国家での「愛国心」の違いについて、特にわたしたちが民族国家を求めていき、多民族国家は歴史の中でつくられるべくして、つまり、民族国家としての成立を計画しない地域で自然につくられていったと書いた。

多民族国家として、アメリカ・中南米の国々・シンガポール・インドネシア、そしてロシア・中国が考えられる。

ロシア・中国は、多民族の中のひとつの民族が権力を握り、ある意味では少数民族の同化あるいは自然同化するまでの減数つまり殺戮を行っている。また、シンガポール・インドネシアそして多くのイスラム国では、一つの民族が権力をもち、他民族の権利を制限している。日本もこのグループに入ると考えてよいだろう。

民族国家は、その民族の歴史・文化にナショナリズムの基があると考えられる。

多民族国家は、民族の歴史でなく、その民族の歴史も取り込んだ国家の歴史・文化にナショナリズムの基があると考えられる。アメリカの国民は、アメリカの歴史とその多民族国家の繁栄とを誇りとし、そこに愛国心の基礎ができる。・・・・ロシアと中国、そして多くの国が多民族国家が、各民族の国家を分離独立する前の段階か、国内での民族問題に悩んでいる。国内での内戦からユーゴスラビアのように分離独立する国もある。

多民族国家として存立継続が可能な国々は、いろいろな民族問題を国内問題として抱えながら存続するために民族をこえて協力する。みんなが国家によって守られていると思うからだ。

実際に国家が守っているのか、国民が国家をささえているのかはわからない。しかし、国民は、自分たちがささえる国家を、それなしには自分の生きる場がないと思っている。また、自分が属する国家をささえることは誇りだと思っている。

その時の国家はひとつの「宗教」として集団をひとつにしている。オリンピックで自国の代表選手の活躍に喚起し、国旗掲揚の時、表彰台に立つ選手にもらい泣きする。

多民族国家で、自由国民としての権利を許されていない民族は、オリンピックへの不参加を表明することで、あるいは表彰台での態度で自分が所属する民族の存在と不平等さを表現する。

しかし、その国家の支配権をもった民族にとっては、国家はひとつの宗教に近い。日本の天皇家への国民の思い、アメリカ国民の星条旗への思い、中国国民のなかで漢民族が漢民族であるということに持つ誇り、これらは宗教に近い。それを崇拝し、従い、命をかける、そして反対する国民は、昔の宗教戦争のように排除される。

アメリカの白人支配の現実ーー実際、白人だと思っていた人がDNA検査でアフリカ系人種だとわかり驚いているというニュースがあるが、それはそのことを示すひとつであろうーーヒスパニック系、アフリカ系、アジア系の人々へのヨーロッパ系白人の優性であるという、言葉にしない感覚が白人にあるのは確かである。日本人のなかに、他のアジア人より優性であるという感覚があるように。沖縄に派遣された機動隊員が、辺野古の基地建設反対で座り込みをする沖縄の人に「この土人が‼︎」と正直に心にあることを表したように。

もしかすると人間はなんらかの絶対的なもの、永続する(あるいは永続すると思える)ものを必要とするのかもしれない。仕えるべき何かを。神を失った近代のひとびとと現代人が頼りにしたのが国家だと言える。

すると、文化的に継続した歴史をもつ国、継続する元首をもつ国、自分がその一部を支えていると実感できる国の国民は、宗教と別に、国家と言う疑似宗教をもっていると考えても良い。ロシア内でのムスリム弾圧、中国でのチベット・ウィグル地区の漢民族への同化・殺戮と居住地移動による民族の減少政策は、国家という疑似宗教からみると、ひとつの宗教戦争ともいえる。

中国の朝鮮族は少ないために国家にとって脅威にはならないし、いつかは同化されると考えているだろう、なぜなら朝鮮族の背後には朝鮮半島という小さな地域しかないからではないかと思う。いざとなったら、軍事的に支配できる大きさである。日本のアイヌ民族・琉球のように。しかし、チベットとウィグル地区はまだ侵略して完全な占領政策が終わっていない状態である。日本の十八世紀の蝦夷と琉球と同じ状態である。チベット・ウィグル地区ともに人口が多いので簡単には同化されず、中央政府に反発する人民を全員殺戮するわけにもいかず、ヨーロッパの帝国主義が歩んだ道をこれから歩むことになるのだろう。プロイセンが、フランスとの戦争によって帝国を維持できなくなったように、フランスがやはり戦争によってインドシナを維持できなくなったように。中国が国力を戦争にそそぐしかない状態になるか、経済の崩壊で現在の軍事体制を維持できなくなる時、その時、ユーゴスラビアが分裂したように、インドシナが民族国家として分裂したように、中国帝国が崩壊する時ではないだろうか。

中国は歴史的に、政権を他民族が握っても、その官僚制と国家を維持し継続してきた。「中華」という宗教は中国国民に、特に漢民族には強い影響をもっている。日本、韓国、そしてアジアの国々が他国の占領、植民地の時代をすごした経験がある。アフリカ・中南米・中近東の国々もそうだ。これらの国々にとっては、歴史のなかを継続してきた文化をもつ国としての国への「愛国心」は宗教に近い影響力をもっている。また、ヨーロッパ・北アメリカ・ロシアの国々は一時的に他国に占領されたとしても、軍事的に独立を維持してきたという自負がある。たとえドイツのように敗北し一時的に占領されたとしても、一時的に四年間連合軍の占領があったが、それでもドイツはドイツとしての「愛国心」をもっていた。

こうして考えると、「想像の共同体」である国家の核には、民族の歴史があるように思う。国民が共通してもつ歴史である。

そして、それをもてない地域が全世界に残される。スペインのカタロニア地方、日本の沖縄、アフリカの多くの国々(国境が人工的にひかれたので、民族としての歴史としてまとまることができない民族をおおく含んで国家が成立した)。国家が考える「国の歴史」と一致しない民族の歴史をもつ人々、それを国は受け入れることができるか、それが「愛国心」が極めて強圧的になるかどうかの違いをつくるだろう。その強圧な状態が表れているのが、中国のチベット・ウィグル地区への政策であり、それは、戦前日本が朝鮮・中国に行った政策に近い。

わたしたちは、ひとつの国のいろいろな民族がもつ「民族の歴史」を受け入れる事ができるだろうか。「愛国主義者」を名乗る右翼が許せないのは、日本国民の歴史はひとつであるということを否定する現実である。沖縄であるし、在日の人々の歴史だし、長い歴史の中で同化されてきたアイヌの歴史である。それは、今の中国・ロシアに見られる「愛国主義」「国民同一思想」の強要と同じである。

わたしたちは、同じ国の国民が、違う宗教をもつこと、国に対して違う歴史観をもつこと、民族として違う誇りをもつことを許すことができるだろうか。自分が惹かれる歴史と違う歴史をもつひとを受け入れるだろうか、そこにナショナリズムを超える鍵があるように思う。

(2014.03.09)

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前回、「愛国心」はひとつの宗教として国民に働き、国民はその宗教を求めることについて書いた。そして、その宗教の核として用いられるのは、民族の歴史であり、その永い継続と強さがその宗教を強いものにすると。

それは、日本では日本「独自」の歴史であり天皇制である。中国では「中華」として、いろいろな他民族の支配も存続し続けた歴史と誇りである。アメリカでは、自分たちが国家を創ってきたという自負心である。多くのアジアの国が、日本と同じように独自の文化ーーそれは芸術として特に表されるが、言語で最も表されるーーを守ってきたこと、その言語を核とした共通基盤を愛国心の基礎にしている。イスラム国家では、まさに宗教そのものが核となり、国家内の少数民族にとっては言語が核となっている。

スペインのカタロニア、日本の沖縄、アイヌ、台湾の高砂族、朝鮮民族、インドネシアのアチェ・東ティモールに対する国の政策は、常に、国の中心となる民族と同一であることを要求した。それは、戦前の日本、現在の中国の方針と同じである。

そして、「想像の共同体」である国家を維持するためには、言語の同一化と歴史観の同一化が重要な働きをなすことがわかる。

現在の日本で、ナショナリスト(安倍氏を含む)が望むことは、一つの国旗・国家・日本独自の歴史性を表す天皇制と日本という国家への敬意である。実際、どの国でも「過去の歴史」を美しいものとして教育し、その国に属することを誇りとするように教育する。

それを行うのが教育である。

わたしは、明治政府を成立させ、それ以後の日本を創った薩摩の島津藩に三百年植民地とされ、蘇鉄を食べるしかない地獄を味わった島の生れであるからだろうが、明治政府以来の日本政府に好感をもったことがない。1609年から1868年まで、島津藩の資金のために砂糖きび栽培を強制され、他の植物を栽培することを禁じられ、砂糖を舐めると打ち首という三百年があった。その間に一揆は三百回以上あったが、全員死刑になり成功はしなかった。

だから、わたしは「過去の歴史」を美しいものと受け入れることはできない。それと同時に、そのような忌まわしい歴史をもつ国家を「愛する」と言えるのかは、永い間疑問であった。鹿児島県や日本に住むひとりひとりは好きであるが、日本国家となると疑問である。同様に、アメリカに住むひとびとは好きだがアメリカという国家は好きになれないし、中国に住むひとびとは好きだが中国という国家は好きになれない。

ここ二十年、中国の反日本の意識をうえつける教育について、日本は打つ手がなかった。昔、天皇の臣民としての教育を日本国民たちが受けた時と同じように、それを中国国民は受け入れる。外国は見守りつつ、いろいろな宣伝で教育があたえる印象を変える努力をするしかない。

同じ理由で、小林よしのり氏が過去の「美しい」日本を、天皇の性格、戦争で死んだ若者の手紙、いろいろな形で表現している。

わたしたちは、もうひとつ日本と似た歴史を歩んだ国を見ることができる。フランスである。

フランスは革命後、ナポレオン第一帝政、ブルボン王政復古、1848年の二月革命、第二共和制、とめまぐるしくかわり、1879年、革命から90年してようやく共和主義が安定した。その後の教育は下のような基本方針で行われた。
・7/14が建国記念日となった。
・ラ・マンセイエーズが国家となった。
・小学校で「愛国心」(同時に反ドイツ主義)を憶えるために、読本教科書が使われた。
・上の教科書を使って、「フランス語」以外の民族語を話すことに対して国民に嫌悪感をもたせた。

これは、内容としては日本という国家が行ったこととおなじである。

違うのは、アルザス地方でフランス語を話す人々は10%に満たず、1872年にフランス・ドイツのどちらの国籍を選ぶかと言う時、それらの人々はフランスへ移動した。これは日本が経験したことがないことである。しかし、それ以外のフランスが「愛国心」を教育するために行ったことは、日本が行ったことと同じである。日本の場合、それに、「反国家的」言動をおこなった者を罰する(死刑あるいはそれに近い拷問で人間性を壊す)ということを行った。

これは現在の中国・ロシア、多くの国で行われている事である。

教育・・・・・中国で、ウィグル地区の子どもを親もとから離して教育することがなされている。ソ連では、親の「反国家的」な言動を報告することは良いことだと奨励された、現在の北朝鮮の収容所でも、脱走計画を密告することを奨励する・・・・そして、密告した子どもの前で親を銃殺する。日本でも、戦前は、警察は拷問で傷ついた死体をそのまま家族に返し、ひとつの脅しの方法に用いた。

今、日本では新しい方針で教育がなされつつある。「愛国心」をもつための教育である。

さて、「愛国心」をもつことは良いことか、悪いことか。

サッカーやオリンピックで自国の選手を応援する心、それは愛国心を育てるために利用されるが、それは良いことではないのか? 違うのか ?

わたしは、国を愛することはしないと、自分の生れ故郷の歴史を調べた時はっきりした。国は、利益のために、言葉が少し違う、歴史が違う人々を苦しめることや殺すことをあたりまえに行うと思ったからである。私は、日本の政府が考える教育内容をそのまま受け入れることをしなかったことになる。

愛国心は善か悪か、それともどちらでもありうるのか、次回考えたい。

(2014.03.09)

4年前に書いたものだが、手は加えなかった。




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設立の時から多民族国家としての形態をもっていた、もたざるを得なかったのがほとんどの近代国家である。

アメリカはその特殊な例になる。もともとの住民を隔離しつつ、ヨーロッパからのいろいろな国からの移民が新しい国家を独立させた。奴隷として強制的に連れて来られていたアフリカからの人々も、公民権運動と平等のための運動を通して国民となった。

もう一つの例は崩壊したソ連である。旧帝政ロシアの崩壊の後、多民族国家として成立した。その後、ソ連崩壊後、民族国家をそれぞれに設立したが、その民族国家もそれぞれに問題を抱えている。その一つが今回のウクライナへのロシア軍の進出である。崩壊したソ連はいくつもの国家に分裂した。それらの国家が、ソ連時代より民主化されたとは限らない。アゼルバイジャン共和国・ウズベキスタンのように、ソ連時代より強力な独裁政治政権がうまれた国もある。

ソ連の崩壊は、わたしには、第二次大戦後のアジアに似ているように思える。欧米の植民地だったアジアが、日本軍の占領・崩壊の後、いろいろな状況を抱えて独立した。ロシアのように多民族を抱えて一国家を設立した中国、民族ごとに独立運動を展開して独立した東南アジアの国々と朝鮮半島。東ヨーロッパの国々とアゼルバイジャン共和国・ウズベキスタンのような中央アジアの国々。

いづれの場合も、民族主義の国家と独裁国家をうみだした。

もうひとつ、似たような国家の成立のきっかけとなった歴史上の大きい変化がある。ナポレオンのフランス帝国である。フランスに占領され、小さな公国の集まりだった神聖ノーマ帝国は完全に分解し、プロイセン・オーストリアは屈辱と多額の賠償金を課されて、フランスの占領下に入った。

1807年、「ドイツ国民に告ぐ」の講演をフィヒテが行ったのはその時である。ドイツ民族によるドイツ民族の国家を語った愛国的スピーチである。

しかし、私が注意したいのは、この頃の神聖ローマ帝国のドイツ人の割合は20%で、プロイセンでもその割合はほとんど変わっていなかったということである。オーストリアを含む大ドイツ主義、プロイセンだけの小ドイツ主義が、1848年のパリの革命の時にも、どちらも主導権をもってドイツを統一することができなかった。それを明確に分けたのが、ビスマルクである。オーストリアの力を排除し、フランスへの戦争を準備し、電報一通(エルム電報事件:注1)でプロイセンの国民の排外主義・フランスへの敵意をあおり、フランスに勝利し、アルザスの割譲と多額の賠償金を得る。

結果、①ドイツ諸州の独自性はそのまま残った。
②オーストリアに一千万人以上のドイツ人を残したまままの近代国家の設立であった。(ヒトラーのドイツ・オーストリア連合の基はここにある)
③国内に多数のスラヴ系住民を抱えた。

ロシアの成立・中国の独立と比較すると、①③は一致する。中国にとっては、台湾を考えると②も一致する。

現在、ロシア系民族が生活する地域への軍事的支配をすすめるロシア、国内の漢民族の死支配に従わない民族を同化、あるいは浄化(殺戮)しようとしているのは、ビスマルク以降のドイツと似ている。

民族国家と多民族国家。現在でも、血統で国民とみとめる日本は、民族国家としての形をまもろうとしていると考えてよい。出生で国民と認めるアメリカは、多民族国家としての形を維持するだろう。

民族国家は、共通の言語、神話、文化をもち、ひとつの連帯感をもつ。そこで、言語がどれほど強い意味をもつか、文化が意味をもつか、そのことは今はかんがえない。その共通感は、それをもたない者に対する差別になり、そして、それは特攻にもなりうる。

そして、わたしたちはそれを「愛国心」と呼ぶ。アメリカのような他民族国家の場合、ひとつの国家に「属する」ということを共通感にする。

共通感覚・・・・言語、民族、所属、どこまでもわたしたちは共通感覚を要求する。それは排外主義が加わると大きくなる。どういう共通感があるのか、どこまでわたしたちは共通感に引き回されるのか、それは次回考えたい。

注1)スペインでは、1868年の革命で王位継承が問題となった。フランスはプロイセン王家によるスペイン王家継承はないという主張をした。それを知らせるプロシアの王から自分への電報を、ビスマルクは改竄し、「国王はフランスの非礼に怒り、今後フランスとは交渉しない」と発表し、国民の反フランスをあおりたて、戦争への道を進めた。

(2014.03.09)

4年前に書いたが、問題はまだそのままで、多分、人類はあと1000年は同じ問題を抱えていくだろうと悲観的に観ざるを得ない感じがする。


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前回、「国家は想像の、限られた想像の共同体である」というベネディクト・アンダーソンの考えと「国家は共同の幻想である」であり「国家は眼に視えない幻想である」という吉本隆明氏の考えを紹介した。

その幻想の共同体である国家を、わたしたちは、どうして愛するか? それが次の疑問である。

「・・・・国民は一つの共同体として想像される。なぜなら、国民の中にたとえ現実には不平等と搾取があるによよ、国民は、常に、水平的な深い同士愛として心に思い描かれるからである。そして結局のところ、この同胞愛の故に、過去二世紀にわたり、数千万、数百万の人々が、かくも限られた想像力の産物のために、殺し合い、あるいはむしろみずからすすんで死んでいったのである。」(『想像の共同体』ベネディクト・アンダーソン)

国家内で搾取され、不平等に扱われても、私たちは国家に帰属することを、生れた時に帰属した国家に帰属することを望む。そして、その帰属願望で、国家は国民を国のために、国の名前のためにスポーツでは戦い、最悪には戦争に参加することを受け入れる。それがわたしたちである。

もちろん、国籍をかえる人もいる。また、国内での迫害や命の危機から逃れるために亡命するひともいる。しかし、それは特別の事情による。そうでない限り、全国民ではないが、多くの国民が、その帰属意識の強さに合う愛国心を示す。そして、愛国心を示さない国民を責める、最悪の場合は法的に拘束することに賛成する。そして殺害することを良しとする。現在のチベット・新疆ウィグル地区で起きているのが、国家が要求する愛国心ー思想と行為での従属ーを示さない人々への同化・殺戮計画である。ドイツが過去にユダヤ人に対して行った民族殺戮の計画と同じ規模の計画である。

国民であること。日本では血統でみとめるので、日本人の子が日本人となる。ヨーロッパではドイツがそうである。フランス・アメリカでは、出生主義なので、国内で生れた子は国民になる権利をもつ。中国では血統でみとめるが、その上で国策への従属が要求される。しかし、国民が持つ愛国主義はさほど変わらない。通常は、である。

国家が、外部に敵対する時には、統一した行動を要求する。そして、それ「愛国心」と呼び、その要求に従わない者は非国民として、あるいは国家反逆者として社会から除かれる。

また、国家を分裂させる原因となる要素に民族がある。ユーゴスラビアが民族ごとに分裂した。また、ウクライナが現在分裂の危機である。

幻である国家は幻想である。しかし、その幻想が民族によって変更されるのである。ひとつの共同体として、民族の共同体を望むと考えてよい。それは、アンダーソンが言う「言語」の共同体とほぼ一致すると考えてよい。あくまで「ほぼ」である。

しかし、「なぜか」は分からない。それを次回から考える事にする。



(2014.03.09)

四年前に書いたが手は加えないことにした。


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前回、小林よしのり氏の「愛国心」について次のように書いた。

・・・・・著者は、多くの政治家・評論家に「愛国心」が欠け、自身の利益のために語り、政策を決定し、国の方向を決めていると指摘している。・・・それで、彼の「愛国心」への思いは絶望的である。また、ヤマト政権の蝦夷・琉球への支配の拡大は、彼が描くような平和なものではなかった。そのことを見落としていると、「国民の一体感」が生まれるという望みも絶望的だろう。そうしている時にも、グローバリズムで、政権も企業も、日本国民の生活の安定を無視し、国民の多くが生活困窮に陥るのを知りつつ、一部の富裕層と企業の発展のために全力をあげているのだから、著者の思いは絶望的にならざるを得ない。そこで起死回生、唯一の救済として、私欲から解放され国民を愛する天皇による親政が夢見られる。・・・・

ameblo.jp/pololitomono/entry-11786332400.html


著者が望む「愛国心」とはどういうものか? 国の体制はどのようにイメージしているか? これまで私が読んだ著作から引用してみたいと思う。上の写真の『天皇論』はまだ読んでないが、これまでの四冊で彼が考えている事の大凡が見えて来た。

一番目に、小林よしのり氏が、現代の政治家・国民を批判する時に、その根底に彼が理想とする国家がある。
彼が理想とする国家は次のようになる。
①天皇親政であること。
②主権は国家にあり、国民は天皇の臣民であること。

なぜなら、彼は、天皇家はその立場からの責任感から君主として優れており、そして血筋で育ててきたものが「聖人」を天皇家のひとりひとりに作り上げたと信じている。

また、こう書いている。「間違いなく、次は皇太子殿下が天皇となられます。天皇即位の礼の後、初めて行う新嘗祭で一代一度の限りの大嘗祭が大嘗宮において行われ、天照大神とと一体になった時に、皇太子殿下は全く別の存在になられる。新たな天皇がそこから誕生してくるんです。」このことは、多分、著者の天皇聖人論の柱である。

しかし、ここで簡単な疑問が起こる。大嘗祭は、男子が女性である豊饒の神と交わることである。そのことを形式で行うことで、歴史上の女性天皇は誕生した。それをどう考えるか。著者自身、女性天皇指示を表明している。あるいは、その時、豊饒の髪は男性だったかもしれない。しかし、シャーマンとなり、霊と交わることで「聖人」となるのなら、日本の社会は、シャーマニズムに移行することになる。

そして、彼が国民に望む「承詔必謹」の心構えを、国民がシャーマンに懐くには、国民がシャーマニズムで生きていなければならない。

小林よしのり氏の考える「天皇親政」「主権は国家」というのは、国家と言う幻(天照大神以来の霊魂)への国民の崇拝と従属が前提となる。つまり、シャーマニズムの民族が彼の理想ということになる。

そのことを彼は意識しているだろうか。あるいは認識しているだろうか。そうでないように思う。

二番目に上がる疑問は次である。
①著者は、戦前の大日本帝国とその軍隊の弁護に一生懸命である。
②そのために、国家と国家の軍隊の戦争であり、現在の国家内民族間戦争、国家を超えた利益のための戦争については触れる事が少ない。あるいは、そこは彼の関心外か彼には見えないのかもしれない。

沖縄問題・アイヌ問題・台湾問題・・・・どれを取り上げる時も、既にある「旧日本軍批判」、あるいは「ヤマト民族の侵略批判」の弁護に終わっている。

アイヌ・琉球の人びとを民族と呼ぶか、部族と呼ぶか、その前に、ヤマトの政権がここ七世紀に侵略し合併してきたことは事実である。また、彼が引用しているベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』には、民族・国家の基になっているのが言語であると書いてある。すると、アイヌは違う民族であったというべきだろう。それを日本が合併・同化したのである。朝鮮にもそれを行おうとしたが、それはできなかった。多分、朝鮮民族が多すぎて同化できなかったのだろう。

著者は、中国のチベット侵略・同化政策、ソ連の民族同化政策を批判する。そして、反対者に対する拷問・殺戮を批判的に書いている。しかし、それは、日本が朝鮮・中国に対して行ってきたことである。どういう拷問を行い、殺害してきたかは、日本国内での記録からだけでも想像できるだろう。そのことを問題にしないと、著者の『天皇論』の根本、聖人君主が支配すれば、良き国になるという大前提が壊れるのではないだろうか。

意識的に無視するのか、それとも著者は気づかないのか、分からない。

しかし、著者が「修身」教育の必要性を言い始め、「国家主権」と書いているのを読むと、見た目は論理派に見える著者は、実際は、通常の愛国者やナショナリストでなく、極右翼のアジテーターに思えてくる。『昭和天皇論』を読むと、そうであることを意識していると思える。

(2014.03.02)

4年前に書いたが手は加えないことにした。

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ここ一か月で私は多分アメリカ人やその家族の友人を半分以上失った。
そのひとつの原因は、下のブログである。
アメリカが、建国までの歴史、建国後の歴史は虐殺・戦争の歴史を通して、現在の、世界の人口の7%満たない人口が世界の富の半分近く手にすることになったのは、その収奪の歴史によると思うことを書いたからである。


http://ameblo.jp/pololitomono/entry-12101051333.html

幾つかの段階に分けてアメリカの歴史を考えると下のようになる。

①北アメリカでの侵略
 ・コロンブス発見時の先住民の数は、1650年には5%になっていた。それは、「開拓民の人権を守る」ための先住民に対する戦争と虐殺による。

②中南米・東南アジアへの侵略
 ・中南米への侵略はあまり語られない。
 ・しかし、有名なトーマス・ジェファーソンはその独立宣言で、先住民やスペイン・フランスの領土への支配権を示している。また、フランクリン・ルーズベルトは、自国の力を認識し、「全世界の富」を専有するように指示している。

これが今まで続いているアメリカ政府とCIA、アメリカ軍の戦略だと思う。

  ・そのために、アメリカの敵となりうる政府は潰された。軍事的な敵ではない。アメリカから自立していけることを示す可能性がある国である。それがニカラグアであり、エルサルバドル、グアテマラ、パナマである。

  ・ニカラグアでは、クーデターをおこした軍政府に反発する民主主義者は、アメリカの言葉で「民主主義の敵」として虐殺された。幼児は岩にたたきつける、女性は胸を切り頭の皮をはいて木から逆さづりにする。男は頭を切って杭に指す。これは、CIAが軍事教育したコントラが行った。その中では、ヨーロッパで指名手配中のナチスSSの人間をCIAが誤魔化して南米へ逃がした軍人たちが中心になった。

  ・スペインのフランコの流れやいろいろなファシスト政権にはアメリカは反対しなかった。そこからきちんと貿易利益が上がっていたし、その土地の政権トップも満足していたから。しかし、グアテマラ…彼らはニューディール政策に習って自立を目指した・・・にはケネディ、ジョンソンと反ファシスト運動を弾圧するために、ナチスSSのクラウス・バルビーを管理者として雇った。1982年、バルビーがフランスで戦争犯罪人として裁判にかけられたとき、米軍のユージン・コルブ大佐は、「バルビーのナチスへのフランス抵抗運動に対する弾圧の仕方から、その力が必要だった」と言った。

  ・同じことが東南アジア。フィリピン、ベトナム、インドネシアでも起きていた。

フィリピン、ベトナム、東ティモールが自立するなら、周りの国もアメリカの支配から自立しようとする。それを抑えるために、フィリピンで数十万人虐殺し、ベトナムを破壊し、シンドネイア政府の東ティモールでの虐殺のために軍事的支援をした。

③中東とアフリカ
  ・アフリカのスーダンが自国で対マラリアの薬を作る工場を建設し、安くアフリカに流通させようとすると、その工場を爆撃した。アメリカの薬産業の利益のために。そのために何百万という子供が死んだ。

  ・トルコがNATOに入ると、クルド人虐殺のための戦闘機と軍事費用のバックアップを行った。フセインにも同じことを行っていたが、フセインはアメリカの傘から離れて自立することを目指して、アメリカが攻撃してイラク戦争となった。

・コンゴが自主独立の民主主義を目指すと、大統領を拘束し反対派へ渡し虐殺させたのもCIAである。

  ・アフガニスタンが飢餓状態になると考えられた、ソ連撤退後の冬、近隣諸国からの支援物資を停止させ、支援を行うなら爆撃すると言ったのはアメリカである。アメリカの支配が完全でない国の人々の命には関心がないのである。

これまでのアメリカの政治の方向は1942年から変わっていない。アメリカの富を確保することである。小さな国が自立すると、まわりの少し豊かな国々は、我々も自立しようと考えるので、それを妨げる。

今のシリア爆撃も同じである。欲しいのはシリアの平和でなく、シリアにアメリカよりの政権である。

だから、いつも貧しい国ほど犠牲になる、見せしめとして。

アメリカが本当に何を望んでいるか、そろそろ気づいてもよいのではないだろうか。

(2015.12.09)

2年前に書いたものだが、修正しないことにした。



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2015年に書いたが、最近のアメリカを見ていて以前より強く感じるので再度アップすることにした。上は世界の米軍基地である。地図の赤いバルーンは米国領内でもちろん基地がある。赤いピンは100以上の基地(施設)がある国、黄色のピンは10-99の国で日本も該当している。そして緑は1-9の基地(施設)がある国々を表している。


私にはアメリカ人の親戚がおり、アメリカ人の友人が多い、そして多くのアメリカのミュージシャンや詩人が好きだ。しかし、アメリカ国家を動かすアメリカ政府には不信感をもっているし、その基本的な考えに疑問をもつ。理解できないというべきかもしれない。現在、ロシア、中国にも同じものを感じるが、アメリカを例に考えたい。野口広志氏のレポートから引用させてもらった。


アメリカは、建国以来の226年間で実に41回。(5年に1回!)第二次世界大戦後の57年間で19回の戦争・武力行使を行っている。(3年に1回!)
 国際紛争・意見の相違を戦争・武力ではなく、話し合いと交渉で解決するというのが国際社会に求められているというが、それは建前で偽りである。アメリカは軍事力で国の経済を伸ばしてきた。


Ⅰ.アメリカの戦争の歴史


下はヨーロッパからの移民がアメリカ大陸に上陸し、アメリカ合衆国を建国し、最近までの戦争の歴史である。

1675 フィリップ王戦争勃発、この戦争によりニューイングランド地方の先住民、ほぼ制圧される。
1676 ヴァージニアでベーコンらの反乱。
1677 カロライナでカルベバーの反乱(~80)。
1689 ボストン市民、名誉革命に呼応、アンドロス総督らを本国に追放。
     ニューヨークでライスラーの反乱(~91)
1711 カロライナ植民地、先住民タスカローラ族と戦争(~13)。
1720 英仏、この頃からエリー湖、オンタリオ湖周辺に砦を築き、互いに勢力拡大を狙う。
1753 ペンシルベニアとヴァージニア、内陸部でフランス勢力と衝突。
1754 ヴァージニア植民地軍、五大湖周辺でフランス軍と交戦、北アメリカ大陸でのフレンチ・インデイアン戦争始まる(~63)。
1763 オタワ族のポンテイアック、蜂起。
1773 ボストン茶会事件。
1775 レキシントン・コンコードで戦争、独立戦争始まる。
1777 サラトガの戦い。
1781 ヨークタウンの戦い。アメリカ大陸軍勝利。
1794 北部オハイオ、フォールン・テインバーズの戦闘で、北西部先住民諸族敗北。
1812 対英宣戦布告、1812年戦争始まる。
1814 ジャクソン、南部先住民との戦いでクリーク族を決定的に破る。
     イギリス軍、首都に侵攻、ワシントン炎上。
1815 ニューオーリンズの戦いでイギリス軍に大勝。
1832 北部先住民部族とのブラック・ホーク戦争。
1836 テキサス共和国独立宣言。アラモの戦い。
1838 先住民チェロキー族の強制移住開始(涙の道)。
1845 テキサスを併合。
1846 メキシコに宣戦、米墨戦争始まる。
1847 アメリカ軍、メキシコシテイを占領。
1861 南北戦争始まる。(~65)
1886 アパッチ族長ジェロニモ逮捕。対先住民戦争事実上終結。
1898 米西戦争始まる。  米議会、ハワイ併合を決定。
1899 アメリカ・フィリピン戦争。(~1902)
1903 ローズベルト、コロンビアに対するパナマ住民の独立運動支援を名目に、軍艦派遣を指示。
1912 ニカラグアに海兵隊を派遣。
1914 メキシコに海兵隊派遣し、ヴェラクルスを占領。
1915 ハイチに海兵隊派遣。
1916 メキシコに進軍。 ドミニカに海兵隊派遣。
1917 対独宣戦布告。
1918 シベリア出兵。
1926 ニカラグアに海兵隊派遣。

1941 第2次世界大戦に全面参戦。
1945 ニューメキシコ州アラモゴルドで初の原爆実験成功。
     
広島に原爆投下。 長崎に原爆投下。
1949 北大西洋条約調印。
1950 朝鮮戦争始まる。  アンザス条約調印。  日米安全保障条約調印。
1952 最初の水爆実験成功。
1955 南ヴェトナムに軍事顧問団派遣。
1958 レバノンに海兵隊派遣。
1960 U2型偵察機、ソ連領空で撃墜される。
1961 キューバと断交。 対キューバ、ピッグズ湾上陸作戦失敗。
1962 キューバ危機。
1964 米議会、トンキン湾決議。
1965 北ヴェトナムへの北爆本格化。 地上軍を投入。 ドミニカに海兵隊派遣。
1970 アメリカ軍、カンボジャ侵攻。
1971 ヴェトナム戦争、ラオスにも拡大。
1983 グレナダ侵攻。
1986 リビアのトリポリなどを爆撃。
1989 パナマに侵攻。
1990 イラクのクウェート占領に対し、サウジアラビアに派兵。
1991 湾岸戦争。
1992 ソマリア派兵。
1994 NATO、旧ユーゴ内戦に介入、空爆を行う。
1996 イラクに対し空爆。
1999 NATO軍、コソボ空爆。
2001 米同時テロへの報復として、米、英と共にアフガニスタン空爆。 地上軍派遣。


そしてイラク進攻、現在に至る。


ここにある歴史は、侵略の歴史である。

まず、先住民の土地を侵略。

同時にフランスからの入植者の土地を侵略。

メキシコを侵略。

アメリカ大陸を終えると、スペインに戦争をしかけ、フィリピンを侵略。

ドミニカ・ニカラグア、超南米へ軍隊を派遣。

第二次世界大戦後、朝鮮、ベトナムへ派遣。

そのあと中近東・アフリカへ拡大し、レバノン・リビア・サウジアラビア・イラク・アフガニスタン、シリア空爆と現在に至る。


これは、アメリカ大陸内の先住民の土地を侵略したら、近くの中南米、次は太平洋を渡ってフィリピン、朝鮮、ベトナム、その後は中東・アフリカである。


どうしてこんなに戦争を必要とする国なのか。ベトナムでの虐殺行為やイラクでのレイプ虐殺はひとつの表れで、その下には、戦争を必要とする国であるアメリカの理由がある。


第二次大戦後アメリカが爆撃した国でも次のようになる。



【第二次世界大戦後、アメリカが戦争、爆撃をした国】
1945~1946 中国
1950~1953
1950~1953 朝鮮
1954 ガテマラ
1967~1969
1958 インドネシア
1959~1960 キューバ
1964 ベルギー領コンゴ
1965 ペルー
1964~1973 ラオス
1961~1973 ベトナム
1969~1970 カンボジア
1983 グレナダ
1986 リビア
1980 年代 エルサルバドル
1980 年代 ニカラグア
1989 パナマ
1991~1999 イラク
1995 ボスニア
1998 スーダン
1999 ユーゴスラビア
2001~現在 アフガニスタン
2003~現在 イラク
ノーム・チョムスキー著、山崎淳訳『9.11 アメリカに報復する資格はない!』文藝春秋、2001 年、

Ⅱ.アメリカの軍事予算


どうしてこんなに戦争が好きか、下は2010年のアメリカの予算である。


全歳出 3兆5520億ドル

軍事費    673億ドル


約2%、小さい?? いや6兆7300億円。他に、今後の政策という予算項目があり、さらにその中に「世界における米国の地位回復と安全の確保1」という項目がある。その内容を以下に引用する。
・ 国防総省関連予算の増額(2010 年度は対前年度比4%増)
・ イラクからの責任ある撤退及びアフガニスタンの焦点化(2009 年度(残存期間)に755億ドル、2010 年度に1,300 億ドルを要求。今後2~3 週間内に2009 年度補正歳出法案を議会へ提出予定)
・ 陸軍及び海兵隊の規模拡大
・ 軍人及び退役軍人に対するメンタル・ヘルスケアの改善
・ 対外援助倍増路線への回帰
・ アフガニスタン、パキスタン、イラクにおける難題克服 等
というものである。

(外務省ホームページ「米国2010

会計年度予算教書(概要)」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/keizai/eco_tusho/us_2010.html より引用。2009 年12 月7 日閲覧。)


つまり、軍事費と明確にあげられていない軍事費が、それの3倍以あるのである。合計すると数値が上

がっているだけで、25兆円、日本の国家予算の30%を超えるのである


Ⅲ.アメリカの戦争とGDP


どうしてか?下は戦争とアメリカのGDPの関係である。ポール・ポースト、山形浩生訳『戦争の経済学』(バジリコ、2007 年)による。


①第一次世界大戦(1914~1918 年)
1913 年アメリカは不景気の真っ最中であった。アメリカは、戦争はしなかったがヨーロッパの軍需工場となり貿易黒字が拡大した。朝鮮戦争の時の日本と同じである。欧州はこの大戦で低い成長率しか実現できなかったし、消費者物価指数CPI が上昇して戦後は物価高に悩んだが、アメリカは16%もGDP が伸びた。
欧州の戦争のためにアメリカ経済は根本的に変化した。1918 年には政府支出はGDP の20%を占め、国家資本主義といわれたように戦争産業委員会を作って経済は戦争一色になった。

その生産力は戦後経済が停滞して凄まじい不景気を体験するのである。
また、「第一次世界大戦によって、アメリカの労働力の25%が軍需関連の事業によって支えられるようになった。アメリカの製造業の飛躍的発展が戦争によるものであり、それは平時になると軍事関連の産業がアメリカ経済に役に立たなくなることを意味した。アメリカ経済が軍需産業によって支えられていたこともまた1929 年の大恐慌をもたらす一つの原因となり、さらにそれが国際的不況を招き、第二次世界大戦への道を開くことになった。


②第二次世界大戦(1941~1945 年)
戦争前のアメリカの1939 年GDP 成長率は7.9%だった。平均失業率は15.9%であった。
第二次世界大戦の戦場は欧州と北アフリカ、アジアであった。アメリカはハワイで被害を受けたものの、概ねアメリカ以外で闘われた。この時期、同盟国のイギリス、ソ連へ武器を売って貿易収支は戦争中大幅に黒字となった。平均して毎年の軍事支出はGDP の30%以上になって、財政赤字も1943 年には30%になった。戦争費用の調達は増税と紙幣の印刷であった。連邦準備制度は金利を低くして安上がりの負債とした。
膨大な資金調達はアメリカの経済構造を自由経済から再び国家計画経済に変えた。貿易収支は1942 年から1944 年まで輸出が輸入の2 倍を超えていた。飛行機生産は1941 年では米英ソ連ではそれほどの差はなかったが、1944 年にはアメリカが群を抜いて高くなった。
戦車生産にも同様の傾向が見られ、第二次大戦中のアメリカは8 万8430 万台の戦車を生産していた(開戦前の1940 年には390 台であった)。同時期のイギリスは2 万4800 万台、ドイツは2 万4050 万台を生産していた。陸軍は1942 年の時点で900 万部隊を越すほどの兵員を確保し、失業率は3.9%に下った。インフレは8%に上がった。GDP 成長率は20%以上であった。

③朝鮮戦争(1950~1953 年)
戦争前1949 年は第二次世界大戦後の停滞から立ち直っていなかった。GDP 成長率は1.88%、失業率は5%、インフレ率はー1.2%(デフレ)であった。朝鮮半島はアメリカにとって経済的には関係の少ない場所であったが、北朝鮮の侵略に対して、トルーマンドクトリンで共産主義化を防ぐ意味から参戦した。戦争は短期で、総費用は年平均でGDP の4%である。戦争費用は国債発行を避け(低金利政策と物価安定)、増税と被軍事政府支出削減
によった。非軍事政府支出はGDP の5.4%に下げ、所得税歳入

はGDP 比で1.32%上昇した。この期間財政赤字は1%以下か黒字になった。
この時期から冷戦戦略は永続的な軍需産業を生み出した。年間国防費の成長率は110%にも及んだ。実質GDP 成長率は三年平均で6.2%と云う堅実な成長である。失業率は3.6%であった。アメリカは軍産複合体の継続的形成過程で確実な経済成長期を経験した。しかしインフレ率1951 年に7.3%にも上昇していた。

④ベトナム戦争(1964~1973 年)
1960 年代は宇宙開発に象徴されるようにアメリカの経済は力強く成長していた。実質GDP 成長は平均4.1%、失業率は6.1%、インフレ率は1%であった。戦争は長期化して、軍事総費用は1973 年のGDP の8%(年平均で1%)で、偉大な国作りのためのアメリカの非軍事支出も年平均14%と増加した。ジョンソン政権は増税を避け国債を発行した。そのため財政赤字は1963 年GDP の0.3%だったのが、1968 年には2.9%に上昇したので増税に踏み切った。インフレ率も4.5%になり戦争が長期化されたので厭戦気分が広がった。
債権市場での金利上昇は、間投資資金を圧迫して経済成長を鈍化させた。戦争リソースとしてベトナムには最高53 万人が派遣され、軍傭員は人口の 4.3%に達した。この時期の失業率は最低3.5%に低下した。経済成長率は0~6%の間にあって特に経済は活性化されなかった。


⑤湾岸戦争(1990~1991 年)
戦争前のアメリカはローン問題と巨額の双子の赤字(貿易収支と財政収支)がたたって、消費者意向指数は大きく低下していた。戦争の場所はペルシャ湾で、石油産出国が関係しているので経済的にも敏感な地域であった。アメリカは石油の24%を中東に依存していたが、石油量よりもアメリカにとって石油価格が騰貴することは経済成長を抑圧する。戦争が終われば石油価格は直ぐにもとの水準(バレルあたり20~25 ドル)に戻った。
戦争費用600 億ドルは1991 年のアメリカのGDP の1%であった。しかし、戦闘行為だけを米国が負担し、この費用は同盟国が支払った。日本とドイツが440 億ドル(費用の約70%超)を負担し、クウェートとサウジアラビアも95 億ドルを負担していた。戦争負担が少なかったためアメリカ経済は何も影響を受けず、低成長時代から不景気に入っただけであった。

⑥イラク戦争(2003 年~)
戦争前のアメリカの実質GDP 成長は、2002 年1.8%という低成長時代にあった。失業率は6%に増加していた。戦争が近づくと不安から消費者意向指数は大きく低下した。戦争の場所はイラクで湾岸戦争と同じく石油価格が敏感に反応した。石油はバレルあたり40 ドルに上昇した。アメリカの国防費は前からアフガニスタン作戦のため上昇していた。2003 年5 月の主要戦闘終了宣言までのイラク戦争に直接関係した戦費は300 億ドルと少なかった。

その後毎年 50 億ドルほどが支出されているが、それでも、アメリカ経済の規模が大きいため、対GDP 比では1%以下である。以前より軍の技術改良が進んでいたので戦争リソースの大量動員は必要なかった。重爆撃を減らして効率的なコンピュータ化した戦争によって必要な武器が減ったこと、武器が安くなったこと、民間の技術移転を利用したことで戦費は大幅に減った。
戦争で確かにGDP 成長率は2003 年の一時期に2.4%と増加したが長続きはしなかった。
軍需産業の株価上昇も一時的に終わった。


冷戦後アメリカ経済は恒常的に軍需産業を拡大してきたので、小規模戦争では経済拡大効果はない。また確実に経済成長が続いてアメリカ経済の規模は膨大になっているので、戦争費用・リソース増加の占める率は少なくなっている。戦争の経済効果が見えにくくなってきたといえる。
以上から、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争は、経済的効果がもたらされたと言えよう。ところが、ベトナム戦争以降の湾岸戦争、現在も継続中のイラク戦争においては、「政府との契約を受けられる個別企業にとって有利だった」とされている。
これはつまり、軍産複合体が台頭してきたためである。

軍産複合体が巨大化していった背景には、「クリントン政権時代、アメリカの主要な三つの軍需産業は、政府からの奨励やまた国防総省から補助金を受領することによって巨大化していった」と指摘されるように、やはり政府との癒着関係が見えてくる。主要三企業とは、ロッキード・マーティン、ボーイング、レイセオンの三社である。
ちなみに、兵器メーカーの売り上げと利益を示したのが、下である。


【2007 年度・兵器メーカーの売上と利益(単位100 万ドルつまり、円に換算すると億である)】
企業            売上     利益
Boeing          30480     4074
BAE Systems (UK ) 29850     1800
Lockheed Martin    29400     3033
Northrop Grumman  24600     1803

General Dynamics   21520     2080
Raytheon        19540     1474
EADS (West Europe) 13100     610
L-3 Communications 11240     756
Finmeccanica (Italy) 9850      713
Thales (France)    9350      1214

(Stockholm International Peace Research Institute (2009),
SIPRI Yearbook 2009: Armaments, Disarmament and International Security,)


【2007 年度・兵器メーカートップ100 社の国別売上】
100 社売上合計は3469 億ドル(34兆6900億円)。


アメリカ    2124 億ドル
西欧      1076 億ドル
ロシア       82 億ドル
イスラエル    50 億ドル

日本        48 億ドル
インド       37 億ドル
韓国        29 億ドル
シンガポール   11 億ドル
カナダ        6 億ドル
オーストラリア   5 億ドル
(Stockholm International Peace Research Institute (2009),
SIPRI Yearbook 2009: Armaments, Disarmament and International Security)



アメリカの兵器売上は、日本の国家予算の25%を超える。そして、

トップ100社の60%である。


【2008 年度、国別軍事費】
アメリカ     6070 億ドル
中国        849 億ドル
フランス      657 億ドル
イギリス      653 億ドル
ロシア       586 億ドル
ドイツ       468 億ドル
日本        463 億ドル
イタリア      406 億ドル
サウジアラビア 382 億ドル
インド       300 億ドル
( Stockholm International Peace Research Institute (2009),
SIPRI Yearbook 2009: Armaments, Disarmament and International Security)


アメリカの軍事費は日本の総予算の70%を超えている。


Ⅳ.アメリカが欲しいもの


【石油と支配権】

アメリカは、自国の利益のために動きます、そのためなら軍事力も行使します、というスタンス。そして求めるものが、アメリカトップの発現に表れる。それは、エネルギー資源、とりわけ石油である。
「アメリカによるイラク戦争の最終的な目標は、やはりイランだと思います。アメリカがバクダッドからテヘランを攻めるのか、アフガニスタンとイラクをおさえたうえで、ハタミ政権への突き上げというかたちでイランを内部崩壊させるのか。さまざまなかたちが
ありえます。いずれにせよ、じわりじわりとイラの原理主義的な体制を崩壊させよう、そういう戦略ではないか。そしてイランを崩壊させることにより、アメリカが世界の戦略物資(石油を中心とするエネルギー)についての最終的な決定権を握ることを、狙っているのではないかと考えています」と言われてきた。


直近のイラク戦争について考察してみると、イラクは中東地域位置している。この地域には多くの石油が埋蔵されている。2008 年の全世界の石油埋蔵量は1 兆2580 億バレル22と見積もられており、中東地域には754 億バレル、世界の約60%が埋蔵されている。イラク戦争の元々の口実は、“対テロ戦争”であった。がしかし、アメリカのネオコン勢力は、この対テロ戦争よりも、イラク侵

攻を優先させた。それは石油が目的である。ネオコンが関心を向けているのは、「世界最大の産油地域における従属的な顧客国に軍事基地をもつことです。これが重要なのです。石油そのものを欲しいためではありません。市場でなんらかの方法で入手できますから。石油をコントロールしたいわけです。

②新自由主義=ネオリベラリズムの延長でネオコンの意向


イラク戦争を推進したネオコン勢力は、ブッシュ政権でもあるが、その母体はアメリカ新世紀プロジェクト(the Project for the New American Century:PNAC25)と呼ばれる保守系のシンクタンクである。このシンクタンクにはブッシュ政権の中枢を担う人たちが役員として名を連ねていた。ブッシュ大統領はじめ、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防副長官、アーミテージ国務副長官などが役員を務めていた。そのため、特にイラク戦争においては、このネオコンの勢力が中心となって、対イラク強硬策を推し進めていった。
ネオコン(neo conservatism)とは、新保守主義である。



ネオコンが力を持つようになったのは80 年代に入ってからのことである。

ネオコンはもともと、ニューディーラーと呼ばれる頭脳集団の路線に近い極左(ニューヨークトロキツト)であった。ニューディーラーとは、1930 年代においてルーズベルト大統領がすすめたニューディール政策を実行し、支持した人たちを指す。この政策は社会主義的な要素を含む政策であった。彼らは再分配政策を支持していたし、その意味でいえば民主的でもあった。
60~70 年代のアメリカにおいては、公民権運動に代表されるリベラルな流れが生まれた。
その延長に、マイノリティへの権利を大幅に認め、弱者(ここでは民族や階層、性的マイノリティを指す)への再分配の範囲を拡げていく。


ところが、80 年代になってこの流れは変わっていく。人びとはセキュリティを問題にし始める。少数者や弱者を保護する再分配政策が、犯罪を増加させる、と主張され世論を形成していくことになる。犯罪が増えると、不特定多数の人びとと触れ合う実社会において、人びとは自分のセキュリティを案じ、隣の人を信用できなくなっていく。そうなると、人びとは、不安が解消されるのであれば、自由が制限されても止むなし、という形で監視に頼るようになる。増加する犯罪が、少数者や弱者を保護する再分配政策のせいだと喧伝され、断固たる措置が主張される。この流れで登場するのが、新自由主義、いわゆるネオリベである。犯罪者をつけあがらせないためには、恩情的な社会政策、すなわち再分配政策で責任をうやむやにするのではなく、金持ちになろうが、貧乏になろうが自己責任であることを徹底させた。かくしてネオリベの支持者は、「再分配政策が社会のセキュリティを危うくする」と主張する。80 年代、ちょうどこの時期に大統領となったのはレーガンである。
彼がとった経済政策はレーガノミックスとしてあまりにも有名である。
この新自由主義的な姿勢からネオコンの立場も考えることができる。上述したとおり、ネオコンはもともと民主的な立場でもあったが、今ネオコンと呼ばれている人たちは元の姿とは違う。ネオコンを形成する勢力は、ブッシュ政権の中心勢力や複合企業体の総帥である。(ブッシュ政権には企業の取締役を務めていた人物が多数在籍した。チェイニー副大統領は軍需会社ハリバートン社のCEO を、ラムズフェルド国防長官は数々の会社の取締役を歴任し、ライス国務長官は石油会社シェブロン社の取締役を務めて
いた。) 今のネオコンの考えは、ネオリベのスタンスの延長でえられる。再分配をすると、変な奴らや悪人にリソースを与えてしまうし、犯罪やテロが増加する。怨念を緩和するための社会政策の遂行なんてあとまわしでいい、断固たる措置を取れ、と論を展開する。「断固たる措置」それはつまり攻撃を意味する。
まとめると、「成熟社会化で社会的不透明性が上昇すると、消費動機にせよ宗教動機にせよ犯罪動機にせよ不透明になり、動機を手当てする再分配政策的な『社会政策の遂行』は実効性を疑われはじめます。すると『法的意思の貫徹』すなわち断固たる措置を主張する
立場が優勢になります。これがまず内政において生じたのがネオリベ。ついでこれが外交軍事に投射されたものがネオコンです」。


ネオコンは何事につけても「危険があれば切りつけろ」と先制攻撃論で対処する。合意調達や自発的服従の調達を無視し、人々を震え上がらせることによって逆らわなくなるだろうと考える。この考えは、国際協調路線を展開する場合のロジックを完全に無
視する態度である。


さて、その国家についていくのは同じ道を歩むことになるのでは??



(2015.11.30)






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上は小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言NEO1』である。『ゴーマニズム宣言』、『ゴーマニズム宣言EXTRA』、『昭和天皇論』と読んできて、小林ゆしのり氏の思想が少し分かってきた。そして、『ゴーマニズム宣言NEO1』『ゴーマニズム宣言NEO2』と読み進めようとしていて、ここまで読んで、理解できたことと、理解できないことを整理しておこうと思う。なにしろ、『NEO1』と『NEO2』は沖縄論・アイヌ論とさらに詳細な情報収集とそれへの著者の意見が書かれている。それを整理するのは時間がかかるので、これまでのところを簡単にまとめておきたい。

下は、私の印象も含めた小林よしのり氏の思想である。
①小林よしのり氏は、日本という国家が天皇の親政であり、国民が天皇に「承詔必謹」(天皇を信頼尊敬し従う)ことになることを望んでいる。
②歴史での天皇の決定には、その聖なる思いと判断があり、天皇は国民を臣民として愛している。
③現在の天皇と国民の間には、障害となるもの(さまざまな天皇への反感等)があり、最上の関係ではない。
④ナショナリズムは、故郷を愛する思いが拡大して国家を愛するものとなるものだが、現代の日本では、故郷への愛も国家への愛も小さい。それは、政府が国民の多くを見捨てる政策をとることと、国民のエゴイズムが原因である。
⑤よって、沖縄問題やアイヌ問題を、日本内部で対立が起こるように持ち出すべきではない。
⑥同様に、戦前の日本軍が残酷で会ったとか、民間人殺戮を行ったとか、集団自殺を教養したとかは、日本国内での対立で利益を得る(政治的に利用する)ための宣伝と考えるべきである。

さて、ここで一つのことが問題になる。

中国国民軍が台湾へ渡って行った殺戮行為、中国軍がチベットで行ってきた殺戮・拷問については書く著者が、どうして、日本軍が朝鮮半島・中国大陸で行った同じ行為については触れないのか。そして、台湾やパラオでうけいれられていたことを強調するのか?
軍隊は同じことを行うものである。アメリカ軍もソ連軍も、そして日本軍も。その国のトップが大統領であれ、共産主義の独裁者であれ、「臣民を愛する」天皇であれ、それは変わらない。軍の機構・目的が、殺戮し、収奪し、占領することであるのだから。

この問題は、小林よしのり氏の語る沖縄論・戦争論・著者がいくども使っている大伴家持の歌「大君の辺にこそ死なめ、かへりみはせじ」と歌い死んでいった兵士たちの思いを正確に伝えるために、必要だろう。現在のままでは、「愛国心」を熱愛するために、一部の事実に触れないままになる。そして、それがゆえに、かれの「愛国心」は半分隠れたまま、あるいは半分虚構のままになるのではないだろうか。

著者は、多くの政治家・評論家に「愛国心」が欠け、自身の利益のために語り、政策を決定し、国の方向を決めていると指摘している。しかし、彼の「過去の悲惨さ」を見ずに、今の「愛国心」を語るのは、日本国民への、日本に占領された国の国民への「人類愛」の欠如であり、その欠如が彼の「愛国心」にも欠けていると多くの人びとは気づいているのではないだろうか。

それで、彼の「愛国心」への思いは絶望的である。また、ヤマト政権の蝦夷・琉球への支配の拡大は、彼が描くような平和なものではなかった。そのことを見落としていると、「国民の一体感」が生まれるという望みも絶望的だろう。

そうしている時にも、グローバリズムで、政権も企業も、日本国民の生活の安定を無視し、国民の多くが生活困窮に陥るのを知りつつ、一部の富裕層と企業の発展のために全力をあげているのだから、著者の思いは絶望的にならざるを得ない。

そこで起死回生、唯一の救済として、私欲から解放され国民を愛する天皇による親政が夢見られる。

著者は、昭和天皇の終戦の判断、戦後の生活から、そこに聖なるものを見ているようである。そして、天智天皇の大化の改新に。しかし、戦前の日本の政治は素晴らしかったのか? 八世紀初めに「日本」と名乗ってからの天皇の政治は国民をあいしていたか? 歴史で、ひとりの権力者が国を支配する時、国民が幸せなことは少ない。毛沢東・スターリン・北朝鮮・ポルポト・プーチン・・・・いくらでも例をあげることはできるだろう。

著者は、昭和天皇の一面に聖なるものを見ている。戦前の歴史を美化すること(国民は天皇のために死を望んだと信じること・天皇は国民を愛していたと信じること)で、天皇親政が望ましいという。それは、著者の「ナショナリズム」に必須である国民の「愛国心」のために、著者が想像できる唯一の道だろう。

こうして考えると、二・二六事件の中心となった青年将校と小林よしのり氏が重なって見える。一方的な天皇との一体化の希望である。社会は、格差社会として国民を一部捨てつつ、政治はそれを良しとしつつ、一部の富裕層になろうとしていきつつあり、その希望は徐々に絶望的になっていく時である。

著者のいう「修身」教育の必要性が、1930年代からの「愛国心」教育と重なって思える。そして、そうならないことを願うものである。

(2014.03.03) 2014.03.03に書いたが、そのまま修正しないことにした。

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