28歳までは大学ノートに毎日、夢からその日の出来事、考えたことやこころの中のことをなんでも書いていた。28歳からシステム手帳に変わり、現在まで同じ書式のカレンダーとメモのビジネス手帳を使っている。35年前に丸善心斎橋店で買ったAshfordの革の表紙をまだ使っている。それにバイブルサイズの日記、テーブルマット式のカレンダー、これも20年くらいになる。ビジネスダイアリーと手帳、日記、テーブルマットカレンダー、この3つは長い付き合いだ。
手帳類と同じ数の病院へ通っている。11年前から心療内科へ。きつい時や薬の量の相談に今は3か月に一回程度。
また、近くの内科で月一回処方してもらえる薬もあるので、それは近所の内科でもらう。肉体的にきつい時に近いと楽である。
心療内科は遠い。そこに決めるまで数カ所行った。抗鬱剤は頭痛や吐き気をもよおすものもあるが、最初の病院で、薬の効能副作用の説明もなく処方され、激しい頭痛で動けず電話をすると、「来週、薬を替えてみましょう」だけ。
それで薬について詳しく説明して質問に答える医者を見つけるまで探して今の私と同じ歳のツルツル頭のお医者さんのところに通っている。薬をどうするかは、薬の事典を開いてその内容を私も読んで相談して決める。
それでも一年半近く休職するしかなく、病院へ付き添い付きで通う以外外出ができず、食事、風呂、トイレが精いっぱいで、時に錯乱したように生活のなかのひとつひとつのことそのものが不可能な時期が2年少しあった。今はすこし落ち着いているが。ーーーーその時ツルツル頭のお医者さんは入院を勧めた。入院した方が回復は早かったかもしれない、と今は少し思う。その頃は、私がお見舞いに行った精神病棟の記憶から、入院するとシャバに戻って来れない可能性が高いと思ってはっきりとNOと返事したが。
心療内科と内科の2ヶ所の他、あと一ヶ所通院している。昨年の正月にウイルス性腸炎になり、一日十数回ベッドとトイレを往復するようになった。それで始まった胃腸科の病院である。
そこでアルコールを絶った。数回、どうしてか、天候と記憶がビールや日本酒、ワインの気持ち良さを思い出させて、耐えきれない時はあったが、胃腸も心地よいのか、大丈夫だった。
半年ほどおさまっていたが、昨年のクリスマスから正月。暴飲暴食、酎ハイとお屠蘇。
それで再発し、年明けから粥だけの日が2週間続いた。前回の痛みと苦しみに懲りているので、粥だけでも身体も辛抱している。それでFBも書く力が無く、ちらっと見るだけだった。
最近はお正月に年賀状を書いていたが、今年はそれもできなかった。これを機会にもう書かないと思う。お付き合いくださり賀状をくださる皆さま、お許しください。
そして今週は、三つ目の胃腸科の病院で、内視鏡手術である。それでOKならいいのだが。
OKなら、その夜はステーキを食べるつもり‼️アルコールも絶っているので、赤ワインを一杯だけ、自分へのご褒美とお祝いに。ーーーー残念ながら、手術後一週間は肉やアルコールはダメとのこと。今の食事に白身魚が加わるくらいだと。ガクッ😩
しかし、自分のダイアリーと日記を見ていて、どうして書くことを続けようと努力しなかったのだろうと考える。目の前のコンピュータの仕事がどんどん大きくなっていくのが自尊心を満足させたからだろうなぁと思い返している。
30年かけて積み上げてきたノウハウとシステムを前の会社に残して一人で再スタートするしかなかった。まだまだ、30年かけてつくりあげたものにはまるで及ばず、35年前の創業時期と似た感じである。
やってみるか‼️と思うこの頃だ。先ず、腸を安定させる、肉と赤ワインを久しぶりに味わってから、少しずつエネルギーをためよう。残り少ない時間をふたつのことに集中して向かってみようーーーー今年の新年の決心は、マイナスに大きく揺れたり、なんとか持ち直して、冬の木の芽のようにすこし上向きになってきた。さて、それを維持しなくては!!
今週は辛抱の一週間だ‼️うまくいけば、ステーキと赤ワインにありつけるぞ‼️ーーーー2週間先に😭