あまり仕事のことをここには書かないがこれは一応仕事。幕張メッセで開催中のCEATEC2005という展示会を見に行った。通信・情報・映像に関するあらゆるモノ・技術などが展示される大きな展示会だ。仕事としては新技術や他社動向などの調査だが、まぁその内容はさておいて、個人的関心からこれは面白いと思ったものがいくつかあった。その中からひとつだけをここに書く。

 BOSEの「クワイアットコンフォート2」という製品。ヘッドホンひとつにここまで驚いたのは初めて。「アコースティック・ノイズキャンセリング・ヘッドホン」と言うものらしい。何でもこいつは外部の騒音に対してそれと逆位相の音?をヘッドホン内に流すことで、装着者に外部の騒音をほとんど感じさせないのだと言う。どれどれと試してみて私は本当に驚いた。展示会の会場は本当に騒がしいのだが、このヘッドホンを付けてその機能をオンにした瞬間スーッと静けさが訪れた。まったくの静寂ではないがほとんど周りの騒音は気にならなくなった。これはすごい。感動しました。使ってみて私はこれが本当に欲しくなったのだが、さすがにとてもいいお値段であります。しかし別にこれで音楽を聴かなくても、うるさいところで勉強や読書に集中したいときなどにかなり効果的だと思った。受験勉強中のお子さんに一つ買ってやるといいかも知れません。Sonyブース これはソニーのブース

 四回目のお稽。
 今日で最初の曲「宵は待ち」が上がる、、、と思っていたら先生の中では前回ですでに上がっていて、今日はもう「黒髪」だった。しかもあと少しでこれも上がりそうだった。私は今日に向けて「宵は待ち」を散々弾きまくっていて当の「黒髪」をあまり練習していなかったのが悔やまれる。あ~惜しいことをした。ということで次回までに「黒髪」をきちんと上がれるようにしておこう。
 しかし曲は進んだものの、今日は前回以上にたくさんの指摘を受けてややヘコみぎみ。先生いわく「君は自分で練習を重ねたことで、自分が弾きやすいようにいろいろ進化した。それは結構なことなのだが、良かったフォームが崩れてしまった。」とのこと。
  • 構えた三味線が立ちすぎている。棹に張った勘所紙を見て弾いたことの弊害と思われる。いかんいかん、もう取っちまおう。
  • 三味線が身体に近すぎる。これも練習のときに糸を押さえた右手を前から覗き込むように見ながら弾いてしまったことの弊害かな。もう見ません。
  • 撥の打つ位置が胴の中央過ぎるし、やはりまだ打った後の撥を右に引いてしまっている。これは一番まずいクセだな。棹を立ててしまったことで、特に3の糸を打つ位置がさらに右に移動してしまったみたいだ。これは意識的に集中して直そう。
  • 撥の先を持ちすぎている。親指が撥の先に近いほうがあたりやすそうと右手が勝手に判断したらしい。
  • 4以上の勘所がとてもずれる。・・・練習あるのみ。
  • 撥を打つ力が強すぎる。とくにこの唄はその7割で十分。
  • 打つ撥に親指で圧力をかけすぎている。もっと弾むように。
 おそらく自宅での練習で、音を譜面どおりに出すことばかりに気を取られたことがいちばんの問題だと見る。以後、妙なクセを発達させないように練習の初めにまず、正しい構え、撥捌きをきっっっちり確認してから曲の練習に入ることにする。
 「黒髪」の次が「末広狩」であることは知らされていたが、それ以降「花見踊」、「越後獅子」と進んでいくことが分かった。うーむ、越後獅子は楽しみだ。私のiPodには演奏者が異なる3種類の越後獅子が入っていて、もっとも聴き馴染んだお気に入りの曲のひとつ。願ったり叶ったり。早くそこまで辿りつきたい。ますますやる気に火が付いた次第である。
横濱ジャズプロムナード2005
 「横濱ジャズプロムナード2005」というイベントの一環で行われたジャズ・コンペティション本選を観にみなとみらいの赤レンガへ出かけた。私にジャズの良さを教えてくれたボーカリストのYさんのデュオがこのコンペティションの予選に通過し、今日の本選に出場できる5グループに選ばれたというのである(すごい!)。
 残念ながらグランプリは他のグループだったけれど、本当に素敵な歌声でギターのJさんとの息もぴったり、良かったです。今日の一曲目だった「I got rhythm」をYさんはよく歌うが、私はこの歌好きです。聴くといつもしばらく頭を離れずつい口ずさんでしまう。
 この日の5グループの演奏を見ていて思ったこと。
  • ウッドベースにはフレットが無いので、習い初めの人は勘所を覚えるのが大変そうだ。
  • ウッドベースの演奏者が、三味線でやるのと全く同じように弦を押さえた左手の指を動かしてビブラートを作っているのを見て、なんだか不思議な感じがした。歌でも楽器でもそうだが、どうしてジャズも長唄もビブラートをやるんだろう?まさか長唄とジャズの間に歴史的に交流が過去にあって、どちらかがやっていたビブラートが他方に伝播したってことはあるまい。やはりビブラートが耳に心地よいと人間は本能的に知っていて、音楽となればみんな無意識にビブラートを作ってしまうのだろうか。うーん、不思議なやつだ。
  • 出場者の一人が手を怪我して参加できなかったらしい。確かに楽器を演奏する者にとって手の怪我は一大事だ。それまで深く考えたことは無かったが、私も手を怪我したら大好きな三味線を弾けなくなってしまうのだとこのとき自覚した。気をつけねばならん。包丁は1ヶ月に1回程しか握らないが、細心の注意を払って扱おう。閉じそうなエレベータのドアに手を突っ込んで開けたりするのももうよそう。
  • 書いてて自分で思うが、今はジャズを聴いても発想が全て三味線の方を向くようだ。
 近頃聴くのはめっきり長唄ばかりになっていたが、やっぱりジャズもいいもんだ。たまには違う音楽も聴いて耳を耕さないといけないな。
 春先から続いていた私の「新撰組ブーム」はまだ続いている。しかし新撰組に関する本を読んでいると、この幕末の時代の他のいろいろな人物が否が応でも気になってくる。その筆頭が江戸幕府15代将軍のこの「徳川慶喜」だった。(大河ドラマの「徳川慶喜」を私は見なかった)
 新撰組のストーリーに登場するこの将軍の印象はあまり良いものではない。というより悪い。この将軍は、薩長の軍勢が大阪城を攻め立てている最中に、新撰組を含む佐幕派の兵たちを全員大阪城に置き去りにして自分は船で大阪から江戸へすたこらと逃げていったのである。それを聞いた新撰組の連中はどの本でも「えっ!?」との反応である。そして慶喜は全く薩長に抵抗する意思を見せず大政奉還を行い、260年余り続いた江戸幕府による政治にピリオドを打ってしまうのである。 
 しかし今日、NHK大河ドラマの原作である司馬遼太郎の「最後の将軍ー徳川慶喜」を読み終わってみて、私が今まで持っていたこの人のイメージは全く変わった。この人は周りに踊らされるだけの自我のない軽薄な将軍などではなかったんだと分かった。どういういきさつで大阪城を捨てたのか、なぜ薩長に抗戦しなかったのか、そしてどうして大政奉還に至ったのか、よーく分かった。今朝の電車の中で、この徳川慶喜が余生を送る部分とこの世を去る最後の部分を読んだが、感情移入してちょっと目頭が熱くなった。本当に面白い本です。司馬遼太郎はすごい。
 どうやらこの本を読むと自動的に、慶喜を思い「私はこの人のために死のう」と言った坂本竜馬のことも深く知りたくなってしまうようで、「竜馬がゆく」も読まねば気が済みそうにありません。
 今日自宅で三味線を練習している最中、なぜにこうも私は撥が空振りするかが分かった。
 糸を押さえる左手が無意識に棹が左に傾くのを支えていたようだ。座ってギターを弾くときに、左手でネックを握って支えながら弾いていたクセだろう。特に音を出す瞬間が問題で、左手に棹が軽く乗っかり三味線は安定しているので、胴かけに乗ってる右腕は三味線を支えることを放棄している状態で撥を打っていた。見た目の違和感は無かったが、これがいけなかった。撥を打つ右腕と三味線は一体(同じ座標系)となっていなければ、あの狭い糸三本を撥で正確に打ち分けるのが難しいのは当たり前ってもんだ。隣の船の釘をトンカチで叩くのは非常に難しいけれど、自分の船の釘なら簡単だ、とそんな感じ。そもそも左手は全く使わなくて右手だけで撥を楽に打ち続けられなければ演奏中の調子合わせができない訳で、これは基本中の基本なのだろうが私は今日までできていなかった。
 ということで今日は左手は床に置いて、右手で撥だけをしこたま打ち分ける練習を足のシビレが限界に達するまでやった。そのあとで、左手をそっと棹に添えるように「宵は待ち」を弾いてみると、今までとの違いが非常に良く分かって大変満足。
 ますます練習が楽しくなってきた。