たぶんこの頃のできごとは思い出せなくなると思う。
だから写真だけでも残しておこう。
でもすでに5回くらい消えているこの回。心折れそう。
ドーハからの帰国便はコードシェアでJALだった。
トルコ経由がアルメニアからはムリなので、カタール航空利用。
帰宅してカブトムシが落ちているのを発見。
挑戦のようにたおされていたウバユリはこっち側の誰かの執念によって添え木で復活して咲いていた。
こっち側もついに黙っていないよっていう意思表示か。
だったらよかった。
蕎麦が食べたいって思って蕎麦。
本当はうどんが食べたい。
最近そういえば、つけ麺を「おうどん」って呼んでる人いたけどね。
あの平麺をうどんって呼ぶ感覚はわたしにはないから、「ラーメンです」って言ったけど、その人の感覚ではラーメンは中華そばをいうらしい。
なつぞらの表参道。夏も盛り。
最近は朝にはもう秋を感じるからね。
人生を変えようと思って五味太郎ワークショップに行った。
最終日、自分なりのチャレンジと宣言をしてみた。
そのあとは怒涛ともいえるいろんな展開がやってきた。
ついにわたしのところに刀がきたり、飲みすぎてぶっ倒れてたり、まあいろいろ。
満月のころだったからかな、スパークリングワイン2本。最近すっかり酒飲めなくなってきたなって感じる。
いや、もう食事もひとりではできないから、しろくまさんをバロメータにしてみると最終年で間違いないんだけどね。状態は。
やり残したことがあるんだったら、
やっぱり恋かな。
「どうしたら、わたしは恋ができるようになりますか」
踊りの先生が言ったように、わたしの激しさを受け止められるような人にはまだ出会ってない。
あらわれて、ふわっと逃げるというか、消えるというか、そういう人ならそれなりにいるけどね。
そういう人にはやっぱり恋はできないもん。
わたしは。
嫌いじゃないし、好きでいられるし、愛することもできるけど、
でもそれは恋じゃないのよね。
このあいだ読んだエリザベスキュプラーロスも、神さまがいる人には人間のパートナーはこないみたいな達観したことが書いてあったけどね。
わたしはやっぱり人として生きたいのよ!!
たとえ、堕天しようが。
身勝手な人たちを受け入れることも、伊勢平氏おじさんとの関わりで証明したように、踊りの先生が指摘したように難なくできる。
でもそれじゃ恋にはならないのもその通りで、やっぱりわたしは永遠にその人があらわれるまで、扉をたたき続けるしかないのかな。
この激しさを受け止められる人か見極めるために。
けっこうそれってきつそうな修行である。
たぶんどんなものをも飲み込む修行よりきついと思う。
このところ豪雨が続く東京。
浄化の真っ最中。
とにかく帝都を守ろうって人たちの呪詛のものすごいこと。
せめぎ合い、とかんじる。
だからわたしはそこから逃げ出すように海外に出ていたのだと思う。
ちょうどわたしが出かけていたのはお盆の真っただ中だったし。
雨上がりの街は美しい。
世界で一番好きな街。
だからこの街に住んでいる。
でも、この街もこの街の空気感を失いつつある。
それは、おカネでこの街を買う人たちの消費にもう街が耐えられなくなっているからでもある。
今まではわたしのお仲間のような人たちがこの街を支えてきたのに。
その中のひとつは、DCブランド。
この街にファッションブランドができたころ、デザイナーはお金がなくて、町の人たちが軒先を貸してあげて、そこから洋服のサンプルを風呂敷に包んでデパートに行商しにいったんだって話をきいたことがある。
そうやってこの街は新しい才能を受け入れ育んできた。
だから、この街には多様な魅力があるのだと思う。
そして、宗教。このあいだ迷い込んだときには本気で気分が悪くなって危ないって思った。
こうやってこの街の記憶はどんどん新しく塗り替わっていく。
安田財閥。
安田。
安田のお姫様は与那原の御殿山。
このあいだはまだランプと時計が残っていた旧みずほ銀行青山支店もその個性を喪いつつある。
東京人は北青山特集。山陽堂書店の遠山さんが載っている。
そして近く、奄美を描く代表的な画家の田中一村展があるらしい。
田中一村。
あの人は奄美の裏も表も知っている、と感じる。
ひかりと闇。
わたしは奄美の美しさには、悲しみをかんじる。
黒酢が抜け毛にいいって年長の友だちが教えてくれてしろくまさんが生きていたころ買い物していたスーパーに。
今思えば戸山にあるここは、まさに陸軍戸山学校の跡地じゃん。
しかも731部隊があったとかいうとこでしょ。
だからお盆は怖いのよ。
この強い引きはなんなんでしょ。
もちろん行きましたよ。逃げてもまたどうせくるしね。
ここにも植わってる梶の木。
誰もいない真昼間の森を歩いてブランコにのる。
関係者と電話しながら。
それが、わたしなりにさっさと御用を終えるポイント。
そういえば、この場所は都の西北。
この大学の関係者ばっかり送り込まれてきたけど、ようやく御用も卒業だろうか。
代わりにいくつかの学閥がきたけど、その中のひとつに相撲部が不祥事を起こして林真理子新学長を迎えた日大のメッセージもきたよ。
ひとりのおじさんは「(林)真理子を送り込んでも日大の伝統は壊せない」みたいなことをいってて、要はスポーツで目立つには、ルールなんか気にしちゃだめだ、目立つことが大事だっていうのが日大の伝統だみたいなことだったけど、わたしの周りに差し向けられているもう少し下の世代の人たちにはそういう傾向を感じないから聞いてみたら、「伝統」なるものを知らなかった。
だからわたしは確信した。
この世は変わるって。
しかも、本屋って昔は町の有力者の仕事だったんだってさ。
だから本屋の娘の彼女が学長になったっていうのは「意味がある」ってことよ。
さらに、それが示すのは女系よ、女系。
だからあの本屋も緑の石だったのよ。
青山のお店は2日連続の豪雨で鍋の水がいっぱいになったと言っていた。
最近龍がついに飛び出したって感じる。
表参道の杭もいよいよすくなくなってきたからね。
特に青山は、成金の街に化している。
日曜日は勉強会に誘われて行ってみたが演題が変わってて自分にはあわなかった。
帰りにふらっと代々木によって身体によさそうなレトルトカレーとパン。
大きな満月をみてからの青山。
青山は善光寺が舗装していなくて一番高いところにあるので、水がたまって、それが周りに流れる仕組みらしい。
で、凝固剤なるものをうっかり入れた場所は毛細管現象で水が上がってきたりがあるらしい。
まるで龍。
っていうか、龍神って水のことだからね。
どこかを押さえたらどこかに逃げるのはあたりまえのことだけど、人間って本当にめさきのことしかわかんないのかしらね。
昔は町の長老が、そういうことを教えたんだろうけど、今は知恵だけ借りて言うこと聞かない人ばかりだから、もういっそ何も教えないで自分たちがやったことを自分たちで尻を拭わせる方がいいように思う。
大難を小難にするから、学びも薄くてちっとも学習しないじゃん。
明治天皇御製 水
器には したがひながら
いはがねも
とほすは水の ちからなりけり
水は器にしたがひて、とうたったのは、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)。
でも本当の水というのは、そのときが来たら、その力を発揮する。
わたしたちは、海人族の末裔。
黙っているのは保身からではないのだよ。
きっと明治陛下はその力をわかっておられた。
なぜなら、彼は(当然)みえる人だったから。
仏の顔は3度かもしれないが、わたしたちのこの無限の忍耐をナメるなよ。
最近、要石が減ったせいで龍が動き始めた明治神宮。
だからこの世界も崩れつつある。
いよいよおかしくなってきたから御用の旅に出ることに。
目的地は完璧な雨予報。
沖縄・宮古方面の熱いよりはまし?
あっちも台風だし、東京にいたら不審な行動が止められないし。
薬の副作用のせいか自分でも自分が怖いってかんじるもの。
元の傾向が強まるというか。
そもそも見えない世界の住人だったんだからそちらの傾向が強まると社会復帰に支障がある。
なぜかこの頃の話題に。
なんででしょうか?