天路の旅 | かんながら

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旅の記録です




お仲間からお勧めされていた、沢木耕太郎著 天路の旅。

ようやく図書館の順番が回ってきて読了。


主人公は、「秘境西域八年の潜行」の西川一三。


第二次大戦末期、チベット仏教の蒙古人巡礼者になりすまして敵国である中国のその大陸の奥深くまで潜入したスパイ。


私は誰に頼まれてもいないし、目的もないただの放浪者だけど、旅人としての感覚がとても似ていて驚いた。

私は時代に恵まれて、苦労なく東欧もアフリカもロシアも行けたので、思い入れのある観光客がたくさんいそうなシルクロードは騙されたりしやすいから行っていない。


空前の円安の今だけど、私が海外ひとり旅をはじめた1989年から円安は急激に進行してドルは160円だった。

安くないから地元の人たちと同じものを食べ、ローカルの移動手段を使って現地の人が泊まる安宿を探した。


そのときに培ったスキルで今も物価が安い場所をみつけて世界中を旅できる。



お金がなくても旅はできる。

この世界には、大卒初任給が80万円って国も、200ドルって国もある。

わたしはこの格差を利用してきたような気もする。


私が民主化直前にみた東欧も、ネルソンマンデラが大統領になったばかりの南アフリカも、今の日本の状況と何かが重なってみえる。

どちらもみんなは希望をみていたが、起きたことは、新たな支配者が現れただけだった。


それが、支配するもののせいだと、わたしは思わない。

コロナを通じて確信した。


今ならまだ間に合うと思う。

私たちの主権を取り戻そう。

まずは私たち自身の自立からだ。





(以下引用)

「日本軍は、今度はいつ来るんですか」

その言葉を聞いて、西川は、日本軍がアジアの地で、ひどいことばかりをしていたわけではないのだと気持が明るくなりかけた。


しかし、次の瞬間、兵士のひとりがこう言うのを聞いて、いたたまれなくなった。

「今度、進出してきたときは、ビンタだけはしないようにしてくださいね」きっと、何かといえば、日本兵は彼らにビンタを食らわせていたのだろう。


彼らは、あくまでも懐かしそうに、明るい笑顔で話してくれていたが、日本兵の中には、「死んでしまえ」とか「豚を食わせるぞ」とかいう言葉を頻繁に使う人がいたらしい。それは、イスラム教徒の自分たちには、本当に恐ろしい言葉だったという。


西川は、彼らの話を聞きながら、こんなことを思っていた。


この戦争で、日本軍は、その土地その土地の人々の感情や習慣を無視して、どれほどの失敗を犯したことだろう。それは、多くは無知によるものだった。何も学ばず、知ろうとせず、ただ闇雲に異国に侵攻していってしまった。


日本は、戦争をする前に、自分や木村のような者たちを、あらゆる国に送り出しておくべきだったのだ。


あるいは、実際に送り出されていたのかもしれない。だが、その人たちは、自分たちのように、地を這うようには人々のあいだを歩くことをしていなかったのだろう。

同じ言葉を話し、同じ物を食べ、同じ苦しみを味わったりはしなかったのだ・・・・・・。