悪路を9時間ドライブしながら書いてた記事が消えた。
心折れそう。
前回の記事からの、つづき。
今日からむこう3泊ノープランのミシマ。
とりあえず目覚めて朝の景色を見に行くことに。
船着場に行ってみようかな。
片道1キロくらい。歩ける距離。
そこに楽しそうに記念撮影しているカップルを発見。2人の写真撮ってあげましょうか?って声をかけたら、喜んでくれて。
で、一緒に撮ってみた。
このおおらかさが好き。
どこ行くんですか?ってきいたらタナだって。
あとで調べたらアンタナナリボのことらしい。
どこに行くの?の問いはもちろん、私がどこに行くけ決められていないから。
ちなみにフランス語はカケラもわからない私はデタラメイングリッシュで、相手はフランス語。
やっぱりアフリカ旅するならフランス語できた方がいいな。
今フランス人は英語話せるけど、旧フランス領ではまだまだ。
朝7時は通学や仕事の時間帯。
教会。
昨日のガイドの子も言ってたけど、カトリック信者がそれなりにいる模様。
カトリックは貧乏人の宗教って教わったことがあるけど、その意味はこうしてふと出会う景色や経験で、納得することになる。
港でガイドが待ってて、どこにいくのか聞かれたから、多少気になってた北部のアンツィラナナ行ける?って聴いてみたら、船で渡ってタクシーでいけるって。
スピードボート 200000アリアリ 所要時間25分→後ほど10倍の価格にボラれたことが判明。
タクシーブルース 1000000アリアリ 所要時間7から8時間 私は40ユーロで支払い。
値引き交渉はあるのかないのか、よくわからないけどそんなものみたい。
フランス時らしき老夫婦が船を待ってて、北部に行くって言ってたから、私も行けるかなって思ってホテルに荷物を取りに戻る。
その間に最初の船は出てしまったようで、写真のカップルも初老のカップルもいなかった。
わたしの船は9時半頃出発。
対岸のアンキフィの船着場にはすごい数の運転手がいて客の取り扱い。
先にノシベでチケットを渡されてた私はその車に。
他のクルマがどこ行きなのかは書いてないからわからない。
言われるのを信じるのみ。
若い頃だったら怖かったかもね。
もう十分生きたから後悔ないって思ってて。
バスは10時半くらいに出発。
噂どおりの悪路でトランポリンのように飛びはねる。
そういえばオーバーランドトラックでアフリカを旅した時こんなことがあったんだった。
とくにフランス領だったところは手入れしてなくて道が悪かった。
でこぼこ道をただ次の街を目指して走る日常。
30年の時を経て、また今の私は同じことをしている。
今回はとりあえず帰る場所があり、行く場所も自分で決めているけど。
水田。
ここは、アジアなのかもしれないね。
大東亜共栄圏。
明治天皇が、王族が、思い描いた理想は、残念ながら実現しなかった。
それは実際にそれに着手した人たちの民度の問題だと思う。
日本帝国軍がやったことの光と影。
虎の威を借る狐たち。
空海は、阿波に鉄の橋がかかったら本土を騙した狐は帰ると言った。
安倍晴明の封印も約束のときがきてしばらくたつ。
ようやく目的地に到着したのは暗くなっての18時半。
到着間際にGoogleでみて海沿いのホテルをbookingcomで予約。
ドライバーに連れてってもらうように交渉しようとしてたらきづいたら自分とひとりのおじさんしか車に乗ってなくて、おじさんがホテルに連れてってくれるって言い始めて、いやいや、あなたのホテルに行くつもりはありません、って笑顔で降りて、トゥクトゥクに。
15000アリアリ。
夜料金ってとこかな。
宿のオーナーさんがいうには6000から10000アリアリらしいから。
見知らぬおじさんの泊まるホテルに案内されても困るんで自力で移動。
ビールをもらってほっと一息。
とはいえ、わたし、またあの道を10時間かけて引き返して、飛行機はノシベからなのよね。
いつ帰れば間に合うんだろ。
明日、聞けばいいか。
つづく