岩手の狐は九尾の狐!? 〜速報!キツネにばかされた!からの続き。
今週もいろいろあった。
「キツネにばかされた!」ってわたしがつけたタイトルじゃなかったんだけど、
ほんとに化かされてた、って気づくようなことがあった。
だって、「隠り世」にいたってようやくわかったんだもん。
すずめの戸締まりでいう、後ろ戸の向こう。
あの映画のおかげで、わたしが閉じ込められていた世界のカラクリに気づけたかも。
昔のお客様方にも、もれなく「鏡」って言われてたけど、本当の意味でそれを思い知った1週間だった。
この間も書いた(月が日に触る日 〜日蝕は北陸へ その2)けど、わたし、みえないの世界の住人だなって気づいてはいた。
だって、まだ起きてないことが人よりずいぶん先に察するみたいだから。
でも別に、わたしが発揮しているのは予知能力じゃない。
それは特殊な能力じゃなくて、兆しを察するだけなわけ。
わたしは人が意識を向けないことに意識が向く。
人の意識っていうのは、自然じゃないからね。
桜の花が咲くずっと前に、枝先が膨らみ始めていることが目に入る。
ただそれだけ。
人が行動する前、世の中が変わる前、会社が潰れる前、いろんな変化は突然起きない。
変化の前には必ず兆しがある。
あと、人って、「霊止(ひと)」って書く人がいるけど、「自分」って思っているものの他に「感情」と呼ぶものも含めていろんなものが憑りつく。
意外と「思ってもいないこと」を言ったりしているものなんだよ。
乱れなかった人にも会ったことがあるけど、その人たちは「いい人」っていうより中庸っていうか、平らかだった。
伊勢平氏おじさんがめずらしくランチしようっていうから喜んででかけたら、粗末な扱いで、せっかくこのところ、コンサートに行ったり、口にする食べものを吟味したり、全力で気分を上げることに邁進していたのに、ドスンと落とされた。
今までは「御用」って思ってたから頑張ってたみたいで気持ちが下がることはなかったから、ちょっと不思議な気分。
相手が相手だけに、期待してた、ってことはないはずなんだけど、なんでだろ。
心理学では「相手に対する期待が怒りになる」っていうけどさ、わたしこのところ「これからは自分を大切にしよう」って思ってはいたけど、別に伊勢平氏おじさんが「わたしを大切にしてくれる」なんてさすがに思ってない。
「自分を大切にしよう」って思ったのは、震災前の記憶がほんのわずかだけど戻ってきたから。
阪神淡路大震災前はちゃんとしたお嬢さん(奥さま)だったのでね。
もう25年以上前になる。
あのころは、明らかに今とは違う世界の住人だった。
みえない世界を知ってはいたが、わたしの世界は充実していて、決していいことばかりではなかったが、色鮮やかで賑やかだった。
落ちた気分をもどさなければならないが、誰かに聞いてもらって引き上げてもらう以外の方法を使おうって思った。
で、ジャンポールエヴァン。
「御用」でモチベーションを保てない今は、伊勢平氏おじさんとのつきあいはコストがかかりすぎるって悟る。
人と話すことはよくも悪くもその人の思念の影響を受ける。
人は誰でもそうなのであるが、「ある人」に対するイメージは、「その人本人」ではなく、「(自分がそうだと思っている)その人」である。
でも、大抵言われる方は、言う人の持っているイメージを押し付けられる。
それが、等身大かそれ以上である場合は問題がないが、望ましくないものだったときは悲劇である。
多くの善意の相談相手は、無意識に「自分の思いの投影」を相手に押し付けている。
このところのわたしは完全に「あの世=隠り世」の住人だったから、私がこの世の住人だった頃のことを知る人はほぼいない。
思えば、ちゃんと生きてたころにつきあいのあった人たちは、しろくまさんの散骨以来、そういえば疎遠になっていた。
見事といえるくらいに。
しろくまさんのお骨と一緒にわたしも北極の風になっちゃったんだろうか。
それ以前から残っている人は、伊勢平氏おじさんとそのあたりに差し向けられたギラついたおじさん方だけだった。
そして、尾鷲の大先生の訃報をお誕生日にようやく聞いたりとか。
山のようにお手紙をもらって文通してはいたけど、わたしはやっぱりこの世の住人でなかったからか、お知らせはこなかった。
最後のお手紙は「会津に行きました」って報告のお返事の「一切経山」の絵葉書だった。
手元にあるのはオリジナルの高級ボールペン1本だけ。
わたし、今付き合いのある人たちってみんなそんな感じになりそうな気がする。
伊勢平氏おじさんとも思い出しかないし、きっと彼になにかあってもわたしに連絡はこないだろう。
ヨギの治療師も、なにわの審神者(さにわ)も、白山のサルタヒコも、母より交流している富山の実家やrukoちゃんですら。
もちろん逆もしかり。
せいぜいあの神の島くらいか。
あのコミュニティの中の複数を知っているから、タイムリーに連絡はなくても、どこかのタイミングで知ることはありそうな気がする。
私のことは頼んでおかないとあちらには連絡がいかないから頼んでおかなくては。
私の散骨をあそこにしてもらえば、ついでにお知らせもしてもらえて一石二鳥。
さすがに骨になったわたしをあの大ニーニーも拒絶できなかろう。
海はつながっているしね。
今のわたしは、こうして生きていても、社会のどこにも所属していないし、できていない。
それを自分自身が選んできたことはもちろん自覚している。
これでは仕事ができないのはあたりまえ。
世捨て人で、この世にいないんだから。
業務委託契約をしてもらっている会社が数件あって、その中のいくつかに、「〜として働いてもらう」とか
従業員と同じように扱われることがいくつかあったんだけど、それを不快に思うようになったりとか。
業務委託っていうのは、立場は対等だということをわかっていないみたい。
だんだん川口由一さんが言っていた「個々別々」がわかってきたよ。
わたしが今生きている「ひとつの意識」っていうのは、やっぱり「あの世=隠り世」の世界観なんだなって思い知る。
肉体を持って生きるってことは、「個々別々」を生きるってことなんだと思う。
だって、なんでも受け入れていたら、他人のエネルギーとして利用されるだけで何も為せない。
活躍する人たちをみて、自分のこととして喜べて、わたしはそれはそれでしあわせだったけど、それって身体を離れてもできるからね。
わたしに語りかけてくる「かつて生きていた人たち」と同じように。
久しぶりに華やかな集まりに呼んでもらった。
たぶん来ないと思ってのお誘いだったと思われるけど、
行ってみたい場所だったから「行きます!!」って即答。
プールだった場所がワインセラーになっていて、5大シャトーの30年もののワインとか。
そういえば、このあいだもらったワインも30年ものって言われてた。
「毒味して」って言われたから真に受けて飲んじゃったけど、ひとりで飲むようなものじゃなかった。
でも過去の記憶を思い出し始めたのは、もしかしたらあのワインのせいかも。
ワインって不思議な力があるような気がする。
ストーリーのあるお酒だもん。
エチケットもそうだけど、瓶の質感とか、香りや色。
一瞬でどこかにつれていかれるようななにか。
そして、場所も。
あの頃、円高の恩恵を受けて、小娘なのに、普通にこんなところに行っていた。
ヨーロッパの古城ホテルとか。
民主化前のヨーロッパには驚くほど物価が安いところがいくらでもあった。
悲しいことがあったら、飛行機に飛び乗って翌日にはドイツで夕日を見てたってこともあった。
あのころはスマホどころかネットで航空券が買えるなんてこともなかった。
それでも今よりずっとフットワークが軽くて自由だったし、それがわたしの当たり前だった。
アフリカにいくのも沖縄にいくのも東京にいくのと同じ感覚。
南米もロシアも世界中思い立った場所にいつでもいけたし、
欲しいものも、食べたいものも、手に入った。
あの頃に比べたら、今のわたしは魅力がないかもしれないな。
「できない」わけじゃない。
「したい」と思わなかっただけ。
ジャンポールエヴァンで、悲しみの沼の深みにハマることはなんとか持ち堪えたが、
伊勢平氏おじさんとの一件のあと、隠り世に封印されたって感じがすごくした。
今の彼がそれを自覚しているかどうかは知らないけど、そもそも彼は、瀬織津姫を祀っていた家だからね。
伊勢平氏おじさんに続いて、何人かの人たちから、小馬鹿にされることが連発して、さらにしろくまさんの初めてのプレゼントだった電子レンジが再び壊れた。
絶望的な気持ちになって泣いたら気絶して丸一日眠った。
電子レンジは夢の中で修理が完了したのか、またしても奇跡的に復旧。
後で聞いたら同じ頃伊勢平氏おじさんも電気系統の故障に見舞われたみたいで、それも9月の大神島の頃と同じパターン。
ここもエネルギーの変換地点だったのかなってわたしは思うけど、伊勢平氏おじさんは「変なもの」を疑っているもよう。
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