明け方、「青井阿蘇神社の五色の龍」が夢に出てきた。
伊勢平氏おじさんへの私信(本人は読んでないけど)。
本当は直接伝えたかったけど、わたしの話を聞く耳をもってなくて、こうして書くしかなかった。
今書いてて、はっとした。
「耳なし芳一」じゃん。
おじさんのかけられていた呪詛はきっとそれだった。
何回言ってるんだろ。
「もう次にいくよ。」
わたし、きっと人や自然を平らかにしかみられないように、あの世のものも平らかにしかみられなかったんだな。わたし、今まで亡くなった人たちからのそれを受け取らなくてすんだのは、パートナーに守られて生きてきたからだったと気がついた。
お彼岸だから、うちのしろくまさんも、伊勢平氏おじさんの女性たちも、全力で語りかけてくる。
でも伊勢平氏おじさんの女性たちがあの世からおじさんを全力でわたしに知らせてきたことにわたしもう十分答えたって思う。あと、日本全国に思いを残したまま亡くなった英霊たちの声。こちらはしろくまさんの要望。
伊勢平氏おじさんの女性たちは、おじさんが望んでいた「神々のめざめ」を手伝わせようとしたり、彼の「血」について知らせてきた。
何百万の英霊たちは「こんな世の中のために命を捧げたのではない」と告げてきた。
特に沖縄での日本兵のみなさんの悲しみはとても深かった(安曇の庭から琉球へ 〜瓢箪から駒は出るか? その3 久高島と魂魄の塔
)。
「隔たりを埋めてほしい」。
それは、亡くなった沖縄の人たちの思い(2週連続の沖縄 〜 駒が回り始めた!? その1 聖地の本質
)でもある。
おじさんとの関係が変わったのは、わたしが今年になって島に行くようになってからだ。
あそこにいくと、「御用」をしないでいられる。
不思議なことに、伊勢平氏おじさん自身も、人生ではじめて「静かな時間をもった」といってわたしとの関係が少し変化した。
前に「仲間を守りながら九字を切って山から降りる夢」をみたことがある(神の島 Day? 〜 次のタームへ?
)。あのとき、赤い一つ目の狐に追いかけられていた。
ふと思ったのは、伏見の稲荷山。あそこには、十種神宝神社があるからね。赤い一つ目って物部でしょ。鉄の氏族。
山から降りて、いく先は
で書いたけど、わたしが「(映画・天気の子の)穂高になる」って言われたことがある。
意味がわかんなかったけど、わたしもまた、自分が助かるために、山(籠)に閉じ込められている人たちを助け出そうとしていたんだって気がついた。
「神々が目覚める」っておじさんはよく言ってたけど、
「あなたが目覚めること」だよって、わたしはずっと思ってた。
伊勢平氏おじさんへ
きっとヒントがあると思う。
おじさんが一番気にしている、維盛の倶利伽羅峠を訪ねた旅だから。
住吉大社で上演された、能「鵜飼」。
清澄寺と石和。
秀吉の正室「ねね」が琵琶湖の人(つまり、竹生島弁財天ゆかり=浦和の波うさぎのゆくえ
)。
カトリック高槻教会。高山右近。
向かった先は倶利伽羅峠。
倶利伽羅ってサンスクリット語で、「黒い龍」だってさ。