コロナワクチンその後 | かんながら

かんながら

旅の記録です

 
 
伊勢平氏おじさんがあまりにもコロナを恐れるので、
ワクチンを打つことにした。
 
 
わたしには人生のすべてが、祈(うけい)である。
いのち張ってるんで。全部。
 
それが、この世界のために意味のあることであれば、予約でき、
そうでないなら取れないであろうと思ったら、最短の予約が取れた。
 
 
当然、理解している。
効果も危険性もすべてが「未知」であるということは。
 
おそらくこのワクチンの期待される効果は「安心」であろうが、
わたしは「安心」は求めていない。
 
わたしが求めたのは、おじさんの「安心」である。
もしくは、そろそろ人のもつ、思いの力の威力に気づいてもらいたい。
人間は、やろうと決めたことは、できるようになっているのだ。
 
 
フラれたときに「こんなに好いてくれて」みたいなことを言われた記憶があるが、
わたしが今、おじさんと付き合っているのはそんな甘い気持ちじゃないんだけどな。
 
 
だって、甘い気持ちでなんかつきあえない相手だもん。
だいたい、甘い言葉のひとつ、かけたことないじゃない。
 
愛してるとか、つきあおうとか、一切ない。
逆は山のようにある。
 
それでもわたしの方が相手にしてないときには、それなりに口説かれたように思う。
そうでなければ、さすがにないでしょ。
わたし、自分から近づいたわけじゃないんだもん。
 
それでも、すべて「なかったこと」に彼の頭の中はなっている。
 
 
ヨギの治療師に指摘されるまでもなく、「ザ・苦行」。
 

 

ワクチン接種はとってもシステマチックに行われた。

後で聞いたけど、ヒーリング映像流れてたのは8Kモニターだったんだって。会場にあったそれ。
「本当はオリンピックを観る用だったのに、おしかったよね」って言われた。
 
痛み止め飲んでおいた方がいいって言われてたから、飲んでからいったら腫れなかった。
でも、薬がきれたころ痛み出した。
 
腕があがんなくなるくらい痛いっていう声を結構聞いてたけど、ほんとだった。
それは有効成分のm-RNAのせいとはかぎらなくて、製剤化のための添加物のせいかもしれないんだけど、
こんなにもれなく痛くなる注射、普通だったらダメでしょ。
 
お医者さん(看護師さん)が接種した人たちから「ヘタクソ!!」って思われちゃって医療機関からクレーム殺到すると思う。
 
だから、マイクロチップ入れるとか、そういう「陰謀」で世界制覇しようって思ってワクチン作った、
っていう話はたぶん違うって確信した。
 
だって、それが目的で普及させるつもりだったらもっと打ちたくなるように作ると思うもん。
 
技術的に可能、とは思うけど。

今回のこれは、人々のパニックを抑えるために少々見切り発車した、ってところが真相なんじゃないかな。
 
誰(何)がパニックを誘引したか、は別として。
 

 

 

伊勢平氏おじさんだったら、絶対騒ぐレベルだから、彼には勧めない。

いちおう責任?を感じたのか、電話してきた。

 

「大丈夫?」

「痛いですよ」

「他は」

うつること心配してんのかな。

 

 

いちおう、リサーチした。

よく知ってる臨床医に。

 

今のところ、本人が「だるかった」っていうのはあっても、

家族に感染したっていうのは直接はきいてないし、

本人もワクチン接種済みの患者さんはたくさん診たといっていたが、

うつってないと言っていた。

 

 

 

 

7月30日は明治天皇祭。

祇園祭〜天神祭〜明治天皇祭。

 

同じ流れの中にある感じ。

 

お参りは行ったが、やっぱりぐったりした。

とにかく本でも読もうと思って横になるも、2分もしたらあちらに行っている。

この間の八ヶ岳(鹿の国から馬の国へ  〜アカルヒメとヒボコが出会ったら)と同じ。

 

次元が変わろうとしてる?

とにかく眠い。

 

ライオンズゲートのせいらしい。

単なる夏バテ?

紫外線強い季節だしね。

 

 

 

 

 

奉納の生花。

この形、みたら、祇園祭のときに生ける檜扇の花を思い出した。

 

 

 

この時期は檜扇。

形も決まってる。

させられてたから、興味もなかった。

母からは、そんな種はたくさんもらってた、と思う。

それがなにか、を教わることなく、たださせられていたから興味もなかった。

 

でもそれらの積み重ねで、今の自分はある、と思う。

 

 

 

 

わたしがワクチン打った、っていったら、「裏切りもの」って思われるかな、っていう考えもアタマをかすめた。

気心しれた人たちのほとんどはワクチン打たない。

 

「みんなが打ってるから打たなきゃ」と思っている人もいるけど、

「みなが反対するから、打たない」っていう人もいる。

 

大事な人たちだけど、そのときは、そのときだ、って思った。

 

 

わたしは、わたしが思う通りに生きる。

 

 

ほとんどの人には事前に報告していなかったが、たまたまその場にいあわせた3人は

それぞれに力強い言葉を送ってくれてうれしかった。

 

 

「美志摩かな」は、毒しか吐かない伊勢平氏おじさんとつきあうことで、世界平和を目指してるんで。

 

 

孔雀明王は己の中にあらわれり!!

 

 

でも、もうそろそろ、「政府がなんとかしてくれる」っていう依存心から自立した方がよくない?

オリンピックを強行したあたりで、日本がそうであったはずの、民主主義は瀕死状態である。

 

 

今度はロックダウン?

 

 

オリンピックを強行して、

それが終わったらロックダウン、ってまったく整合性なさすぎでしょ。

 

 

だいたいどうするわけ?

外出したら逮捕する?

本当に物流とめちゃう?

 

 

 

本気でゼロにしたいなら、「最低限にする」とか言ってる場合じゃないと思うけど?

根こそぎ止めなきゃなくなるわけない。

 

 

 

しかも再開したら、また出るに決まってる。

免疫獲得してウィルス克服したことにはならないわけだから。

 

 

ウィルスなんかと戦っても無意味。

 

変異するんだし。

 

 

それくらいのこと、インフルエンザワクチンをもれなく打たれてた小学生のときに習ったよ。

 

 

 

ウィルスも、菌も、嫌な人間も、共存していくしかないの。

距離を置くとか、工夫しながら。

 

 

 

相手がなくなるまでつぶす、っていうあり方も、

かつてわたしたちの先祖が試みたみたいだけど、

 



滅びたはずの物部氏も、蘇我氏も、平家も、なんか生き延びてて、子孫が今もいろんなものを引き継いでいるよ。


 

恨みまで受け継がれてたりしてて、ちっとも制圧できてないじゃん、って思うもん。

 

 

それくらいなら、工夫と努力で和解してた方がよかったじゃない?

 

 

 

逃げる、ってあり方も、

この有限の空間の中では無理。

 

 

縁があるものは、出会うようになってるんだもん。

伊勢平氏おじさんだって、何度もわたしの前から消えようとしたけど、絶妙なタイミングで再会する。

 

 

わたしたちは、きっと自分が生み出したものの落とし前をつけることになっている

最後には、受容する、ということによって。

 

 

 

そもそも自分が作った不調和でしょ。

忌み嫌っても自分が分離するだけで、身体に悪いよ。

 

 

コロナは、わたしたちの本当の姿を見せてくれてると思う。

 

 

買い占めとか、

弱いものいじめとか、

思考停止、

頼りにならないものへの依存とか。

 

 

 

よかったじゃん、

誰かの言うことを聞いたからって、責任とってもらえるわけでも、保証してもらえるわけでもないってわかって。

 

 

やっぱり自分のアタマで考えて行動しないとダメなんじゃないかな。

 

 

わたしの生活はこの疫病が流行り始めて何も変わってない。

周りは大きく変わったけど。

 

 

もともと、アフリカとか渡り歩いてきたから、未知の伝染病には敏感なのだ。

 


それに何よりも有効なのは、

 

ストレスのない生活、

良質の睡眠と食事、

そしてしあわせな人間関係

 

によって育まれる免疫力だと知っている。

 

 

 

みなが、自分の生み出す敵との戦いをやめるのはいつなんだろ。

 

総理とか、都知事のせいにしてるけどさ、

そういう人を選んだのは、自分じゃん(投票したわけじゃなくても)。

 

 

わたしは覚えてるよ、都知事が「都民ファースト」って言葉で登場したとき、

結構な数の人たちが沸いてた。

今の総理だって、前の総理のとき、評価されてたもん。

政治詳しいっていう伊勢平氏おじさんだって、そう言ってた。

 

 

もし、「けしからん」ならわたしたちの見る目がなかったってことだと思う。

 

 

もう「彼らの言うこと聞いても状況は収まらない」ってことはわかったわけでしょ。

じゃ、どうしたらいいと思う?

 

 

総理や都知事がダメだっていって、他の人に変えたらおさまるのかな。



もうそんな、戦隊ものとか、ヒーローものみたいな無責任な幻想やめようよ


きっと変わらないと思うよ。

 

 

わたしは、コロナ問題をおさめることができるのは、わたしたちの意識しかないと思う。

わたしたちが、生み出した、無責任な代表者から、主権を取り戻すこと。

 

 

はっきりいって、民意を反映してない議員いらないよね。

わたしたちが望んでないことを勝手に決めちゃって。

彼らの給料は庶民が驚くほど高いんだよ?

 

 

発表される数字に一喜一憂しないで冷静になる、

必要な感染防止対策をする、

 

 

我々の民度をあげるしかないんじゃない?

 

 

わたしはテレビ持ってないし、ネットニュースもみないからよくわかんないけど、

伊勢平氏おじさんなんかは毎日ニュースに注目してる。

 

 

日々発表されるコロナの数字に一喜一憂してる姿は、

さきの大戦で、大本営発表を聞いて、勝ち目のない戦争の勝利を信じて(たぶんおかしいってわかってたはず)いた国民の姿と重なる。

 

 

みんな「おかしい」って思ってても、

そのまま突き進んじゃったでしょ。

 

 

わたしは、あの失敗は、

 

「では、どうする?」

 

がなかったからだって思う。

 

 

「やめよう」
ってなればよかったのに、ならなかった。
 
 
結局、戦争を終わらせたのも、わたしたち国民じゃなかったじゃん。
 



だから、日本にはこの憲法が必要なんじゃない?
トップに力を持たせると、暴走したとき、国民は止める意思を発揮できないんだもん。
日本人の国民性?
 

わたし、今回のコロナ騒動みてて、日本人には抑止力ないな、ってすごく思った。

 

 

 

ワクチン打つ、っていったとき、

反対運動を繰り広げてる赤べこのヨギの治療師は、当然反対した。

 

 

でも、わたしは大して長くもないけど、短くもない人生で学んだことがある。


 

 

「嫌なこと(問題)は、結局、受け入れるまで、姿を変えてあらわれる」

 

 

転職とか、

離婚とか、

相談されるたびに、わたしは答えた。

 

 

「同じ問題は、もう少し難易度あげてまた起こるよ。」

 

 

あとになって、「あのとき言われたことがわかった」って言ってくれる。

その場で乗り越えた人も、その次の、ハードルが上がったところで乗り越えた人も。

 

 

 

わたし自身が相当繰り返したから学んだ。

 

 

だから、ヨギの治療師には、わたしがワクチンを打つことを受け入れてもらった。

 


わたしは、わたしの世界は、わたしが創り出したもの、と思っている。

 

 

わたしひとりしか、いない、わたしの世界」。


それをスピリチュアルの世界では、「ワンネス」っていうみたい。

 

 

キャッチーな言葉で大衆の人気をさらって、地位を得ている(ようにみえる)都知事も、

お友達企業の利益のために、なんか妙にお高いマスクを配った(らしい)前の総理も、

(わたしは実は好きなんだけど)器以上の大役を引き受けて大変そうな総理も、

キミは思考停止している!!ってわたしをなじるけど、わたしからみたらそちらの方が、と思う伊勢平氏おじさんも、

ワクチンが足りないって不安になってる人たちも、

ワクチンが毒だ!って反対運動をしている赤べこ治療師も、

コロナウィルスも、

ワクチンすらも、

 

わたしの生み出した現実の一部だって思ってる。

 



だから、わたしの思いを変えることによって、状況は変わる、って思う楽観主義。


ただ、「みんなの思いの総意によって」だから、

 

 

多くの人がコロナやワクチンを、幻想ではなくて、現実として怯えている限りは簡単にはなくならないな、って思うし、



具現化のチカラの強い人たち(たとえば政治家や専門家)に、自分たちの思いの力を譲り渡す(依存)状況では、


そう簡単に彼らの生み出す悪夢に勝てないなって思う。

 



 

前回の記事(ありがとう 〜 ”〇〇ちゃんへ 届くかなー?”)に紹介したrukoちゃんが、

イルカにはメロン体っていうのがあって、そこで超音波で会話してる、って言ってたけど、


 

人間にもある機能だってわたしは思う。

でも、「恐れ」はその機能を萎縮させる。

 

 

「恐れ」にもっと敏感になればいいのにな。

「恐れ」は心を曇らせる。

 
 

冷静に、なれば、みえてくるものがある。

恐怖にとらわれて、闘うのは、もうやめたい。

 

 

あ、メロン体、って聞いて、瓜だ!スサノオだ!!って思って、

 
牛頭天王=赤べこ!!で、疫病退散の鍵は、やっぱりスサノオだって思ったのだった。



牛頭天王(熊野権現)=素戔嗚尊(スサノオ)
祇園精舎の鐘の声=平家物語。



平家の因縁をどっさり背負って旅を続けてきた暴風の誉高い「美志摩かな」はワクチン打っても生命ある限り大人しくなんかならないよ。