ちょうど、4年前の今日の写真があったので開けてみたら、奄美のカトリック教会の写真だった。
この時は、自分たちがカトリックの洗礼を受けるつもりはなかったので不思議なものである。
奄美大島は「サンタマリアの島」と呼ばれていた。
カトリック教徒が多い(かった)島なのである。
寺よりカトリック教会のほうが多いと思われる。どんな小さな集落にも宣教師が出かけて行っていたのである。
奄美におけるカトリックの歴史はかんたんに語り尽くせるテーマではないので、ここでは触れないが、すごくたくさんのカトリック教会が存在している。
このイエス様は、きっと復活の時のイエス様だ。
この頃は、何も知らなかったから、
「なんでこんな生々しいやつなんだろうね」と恐れ慄いて私は近くに寄らなかった。
彼はとにかく記録する人だったからちゃんと写真を撮っている。復活節だったんだな。
西阿室カトリック教会。
ここにもいろんな思い出がある。加計呂麻島でたった一つの教会。
海に流れ着いて、神人の夢枕に立ったマリア観音。
しろくまさんもしょっちゅう夢枕に立ったり、あちらこちらに行くみたい。
たくさんご縁を運んできてくれてありがとう。
今朝のメッセージは、
「ドイツと日本が重要な働きをする」と、ババが言っていたこと。
ババのアシュラムにはドイツ人と日本人(と言っても私たちが会ったのは「千の風になって」を歌ったAさんだけである)が呼ばれていたようだ。
ドイツと日本というのがどういう意味なのかはわからない。
ユダヤ人との関係なのか、
太平洋戦争で敗戦を体験しているということなのか、
勤勉だということなのか、
その他なのか。
それから疫病と殉教。
ペストの流行当時も各地で弾圧があったようだ。
宣教師が伝染病を持ってきた、とも言われている。
少なくとも、宣教師の方は、キリシタンたちの、弱いものたちが助け合う姿に感銘を受け、それを記録に残している。
思えばキリシタン迫害は時代の変わり目になる頃に起きている。
なんか、今後予想される展開や今の状況と似てなくもない。
今の日本は、思い思いのことを口にする自由が認められている。
すごくありがたいことである。
そのありがたみを忘れずにいたい。
そんな自由があった時代は過去にないのである。
今それが私たちの手にあるのは、私たちの努力の結果ではなく、明らかに過去に命を賭けてまで望んでくれた勇気ある先人たちの尊い犠牲の賜物である。