この日はKG+メインで回ります。
その前にKYOTOGRAPHIE
八竹庵(旧川崎家住宅)
01
松村和彦:心の糸
昨年のKG+ Select 2022 Winner
だそうで、
京都新聞社の写真記者。認知症を
テーマにした写真展。
なかなか見ごたえがあるというか、
いつかは私もこうなるのか?と思うと
身につまされる思い。
ところで会場となった八竹庵(旧川崎家住宅)
素晴らしい場所。この写真展の楽しみは
こういう所にもある。
KYOTOPHONIEの紹介の展示もあった。
思った以上に見どころがあった会場
だった。
ONE AND ONLY
57.逢坂憲吾
57.逢坂憲吾:枯花
タイトル通り、枯れ花の写真。そういえば
山岸伸さんお女性アシスタントのひとも
同じテーマで写真撮っていたな。今どうして
いるのか・・。
ここでパンを購入。このお店もお気に入りの店。
昼食は「和醸良麺 すがり」もう行列が出来る
お店になったな。久々に「もつつけ麺」頼みました。
ただ皆さん普通のラーメン頼んでいるので、こちら
の方が有名なのか?
人数が多いけど、オペが上手でそんなに時間が
掛からなかった。さすが。
こちらもKYOTOGRAPHIE の展示
伊藤佑 町家跡地
15Inma Barrero
インマ・バレッロ
Breaking Walls
割れた陶器を金網の入れ物に入れて展示。
「金継ぎ」にインスパイヤされた作品とか。
バレッロさんの生まれたスペインでは、陶磁器
は金属の鎹(かすがい)を用いて修復するそうで。
そのせいかこういう作品になったのか?
会場では他の作品の映像も流しており、
確かに陶器のかけらを鎹で繋げた作品も
あった。
歩くとシャリシャリ音がしてそれも良かった。
陶器のかけらはそれぞれが歴史を持っていて
そう言う物も想像しながら見るのも楽しい。
カリモクコモンズ京都
HUB - 接点
マウロ モンジエーロ (Mauro Mongiello)
柏田 テツヲ
2人による作品の展示。異なる視点を
持った作品が面白かった。
会場はカリモク家具のショースペース。
会場で屋久島の新茶を頂いた。容器が非木材である竹とバガス
で作られた物。wasara(わさら)というメーカー。
デザインもかっこいい。
新風館 SPOT
1枚、1枚の写真も力強いが、こうやって組み合わせて
展示されているのが説得力がある。
赤々舎が写真集出てる。買おうかな・・。
JARFO京・文博
56
ハンス・イェルク・バッハマン :The delightful depht
Hans Jörg Bachmann
日本の自然の荒々しさと神々しさを表現した
写真かな?
THE NORTH FACE STANDARD KYOTO
S03
荒木 塁 :PERCEPTION
スケートボーダーでもあり写真家でもある荒木 塁氏
の写真展。独特の視点がかっこいい。単発の写真も
いいけどこの様なコラージュ作品も面白かった。
S08
寺町京極|商店街美術館×KG+ Collaboration
内容的にはKG+のDMに使われた写真を
吊っていた。JR京都駅の展示と同じ。
経済的な理由か、KYOTOGRAPHIE の出町桝形商店街
での展示のような工夫がなかったのが残念。
次はKUNST ARTZ
古川眞衣 個展 room
FURUKAWA Mai
古川眞衣は、オリジナルのキャラクターの日常
のワンシーンに、少しの空想をプラスしたイメージ
を生み出すアーティストです。
前回の個展「transparente」では、見たことが
あるようで無い、絶妙なキャラクター設定の
美少女の「透ける」日常/非日常の15シーンが、
ポップに可愛く、シルクスクリーンによって
生み出されました。同展のサブルームは、複数
の透明アクリル板をレイヤー構造にした作品群で
構成されました。
ミニマルをベースに、イラストやグラフィックの
大胆さが加わり、独自のポップ感があります。
(KUNST ARZT 岡本光博)
ギャラリーメイン
"To Mothers"
saiho + Sayuri Hayashi Egnell
サイスの異なる半透明のスクリーンを斜め横から
CG映像を投影。スクリーンは魚の形になるように
吊られているそうです。
作者も在廊されており、Lumen gallery 時代
でも展示会されていてその時の話とかも
お話しを聞きました。
GOOD NATURE STATION 4F GALLERY
73
牧野友子:
何が良かったのかなんて、にんげん終わってみないとわからないものよ
シュールで、一寸ユーモラスな作品
孫の中学受験校を決める際、母がふと「何が良かったの
かなんて、 にんげん終わってみないとわからないものよ」
と呟いた。 全く違うことに対し放たれたにも関わらず、
この言葉は私に死後の世界について考えるきっかけをもた
らした。 父の死後、核家族だった我が家には仏壇に手を
合わせる習慣ができた。日々形式的な宗教行事をこな
すうちに「いったいこの行為は何なのか」という疑問を
抱くようになった。 当たり前に行っているこの習慣は
父への弔いにつながっているのだろうかと。 遺品を箱に
しまいこみ、大切にすることも弔いの一つだ。 しかし遺
品を箱から出し、故人に想いを馳せることもまた、弔いの
一つだろう。 過去の後悔も未来の行動も現在の選択も
、何が良かったのかなんて、終わってみないとわから
ないのだから。 そんな想いを抱きながら、私は私なりの
弔いを始めた。
こちらは2つ展示がありました。
1Fは
86 System of Culture:そして、すれ違った Exhibit 5
演出により構成される"作られた"写真の制作を行うSystem of Culture
(小松利光、佐々木祐真)の作品展。
あるシーンを撮影によって切り取ることで、そのイメージから
示唆される前後の事物を写真固有の物語生成と捉えて、複数の
イメージへの接続を試みます。 "作られた"写真の持つ細密で不
可解な画面とその連続は、いくつかの可能性とその生成へと
思考を促します。
との事。
見る人がストーリーを連想させる写真を作れ
と指導された事あったけど、これはそれを
逆手に取った写真。いかにもと思わせぶりな
写真がいっぱい。
2Fのカフェスペースでは
85 吉甌
吉甌 Gio、楊承運 YANG Cheng-Yun、楊朝喬 YANG Chao Ciao、劉耀斌 LIU Yao Pin
:「記憶の端 Edge of Memory」
静止したものと動くものがあり、それらが織りなす物形と模様があって
、日没の光が忘れられた場所に当たったり、波紋と汚れが光を通す
フィルターになったり、波の痕跡や風のサインがあったりします。
これらの瞬間は、それぞれが文として再構成されており、列やス
トライプが対話する無関係な詩のように踊り合っています。作品は、
構成の文法を明らかにし、視聴者に自分たちで区切りや動詞を決め
るよう促しています。これらの瞬間は、物語の枠内で描かれた未知
の境界を表しています。
観客が視覚的な対話を通して目をさまよわせるほど、彼らは自分自身
の遠い記憶を深く考察される。これらの詩節は、ある程度、なる前、
なる後、そしてなる中を表現しているように見える。観客が自分自身
を見つける日常のシーンの間には、現代の風景における非伝統的な
イメージがあります。奇妙だと思われるものや適合しないと思われ
るものは、人生の最も真実な表現であることがよくあります。なぜなら、
それは人間の活力の最大の可能性を呼びかけているからです。
自然の風景は、忘れられたことや日常的なことが、私たちに伝えられる
キャピタル化、標準化、形式化で教えてくれるものよりも、より大きな
人生のメッセージを持っているかもしれないことを示唆しています。
写真の背後にある言語を通じて、写真家たちは観客に、自分たちにとって
最も近いものを再考するように求めています。それはフェンスの後ろの
ハスの池なのか、彼らを守る鉄の窓の中の部屋なのか?そして私たちを
分かつ線は何ですか?それらは地震後に破壊されたトラックなのか、
聞かれていない発言なのか?
展示会では、写真家たちは自然光を画像の間を照らすスポットライトと
して使用しています。注意深い観客は写真の中で繰り返されるパターン
を見つけるかもしれません。同じパターンが罠または解放を示すように、
人生の各出来事で何を見るかは自分次第です。 「記憶の端」 は人生の旅
のフラッシュバックのように構成され、最も切実で人間らしい問いを提起
します: 残るか去るか?変化するか同じままか?
この日ラストは
ギャラリー富小路
91
フィリップ・ブラム :石、木、その他の秘密
関西日仏学館にはいけなかったので
見れて良かった。多分何枚かは展示内容
が異なっているとは思うけど・・。
ところで以下の展示
87
伊藤 妹:抱きしめる人
TSUGU kyoto sanjo
要 1 オーダーの会場
なのですが、4回行ってすべて
満席。しかも何組かまっている
という事で断念。