檜垣智也 アクースマティック作品による音の個展 | Pokopen Photographic

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公演名:檜垣智也 アクースマティック作品による音の個展
会場:会場京都芸術センター 講堂・大広間

日時2016年1月29日 (金)
時間 :OPEN/START 18:30/19:00
adv 2000yen / door 2500yen


こういうのをネタバレと言うのか判りませんが、内容について
書かれた物もあるのでご注意を!

セットリスト


1) 囚われた女 [2013](15'44~)
秋山邦晴のテープレコーダーのための詩による


2)サロメの娘 [2015](68')
アクースモニウムをともなう映像作品(監督=七里 圭)

上記2曲は講堂で上演。


3)入院患者たち(仮) [2016](15')
詩、音、映像による新作インスタレーション(詩=松井 茂、映像=七里 圭)


大広間で上演。

上演場所について

講堂では中央に舞台がありそこにコンソールが設置。その両側をスクリーン
代わりの黒い紗幕が張られている。観客席は片側のに設置されている。
プジェクターは観客席後方と黒い2枚の紗幕を挟んでその反対側にも
設置され、コンソールを挟んで設置された紗幕に画像を写すしくみ。
映像は「サロメの娘」のみ使われる。


大広間は畳敷き。10台のオープンリールテープレコーダーが設置。
部屋の壁4面中、障子紙を張った2面にプロジェクターで画像
を映した。観客は靴を脱ぎ、任意の場所に座って、鑑賞。


感想

待ちに待った、檜垣智也さんの個展。もともと当日券で行こうと思ったら
残席20席との告知あって慌てて申込みました。アクースマティック
の演奏会としてはかなりのお客さんが来ていてびっくりしました。
京都という場所柄なんですかね。


1)囚われた女

すでにCDで買って聞いていましたが、家では2chなのでスピーカー
の間に濃厚な音響空間が現れる感じでしたが、今回はアクースモ
ニウムによる演奏なので、空間の広がりが全然違いました。
今回は客席が横長で奥行きが狭い事もあって、やや奥行き感
がいつもに比べると狭い感じがしましたが・・。

言葉というのは3から5つの音が連なるだけでも意味か成立
擦ると言う所がユニークな所で、長い言葉、短い言葉が
絡み合い拡散していく感じが面白かったですね。家では
聞けない音楽でした。


2)サロメの娘
何かイマイチ消化不良を起こした作品でした。


紗幕を使った映像と、アクースモニウムの音がどちらかと言うと
はっきりとした存在感がなくなり、それによっ色々なイメージ
が広がっていくという新たな感覚は何となくわかりましたが・・。


最大の敗因?は「サロメの娘」と言う物に囚われすぎたのが原因かな?
「サロメの娘」と「囚われた女」では言葉から連想するイメージが
違っていて、妙にセリフばかり追っかけてしまったのがいけなかった。
話は娘から見た母との関係を語るセリフが中心に据えられている物の、
サロメっぽい所と言えば最初の場面で「人間の首」みたいなのが
横たわる(浮いている)映像があるのと途中に「ヨハネよ~~」という
セリフみたいなのが流れるだけ。(だったと思う)
セリフそのものも、立場が逆転するセリフとなっていて例えば、部屋
に入ったら、見知らぬ裸の女性が寝ていて、カーテンを開けたシーン
があると思うと、今度は今度は自分がへ部屋にいると誰かにカーテンを
開けれれて・・・。一方娘は人間と思っていたのですが、なぜか
「私は馬だ」といったセリフが流れ、「透明な馬」というナレーションが
流れていて、リーフレットには「昔の日本は大陸に馬を供給する為に
開発されてそれで邪馬台国と言われて、昔は人間と馬が共存していた」
という言葉があったので多分その関係かとは思いましたが・・。
邪馬台国とヘロデ大王の時代と比較すれば「サロメの娘」という
観点から言えば時代的には合わない事もないですけど・・・。
構成的にも途中で冒頭のシーンに戻ってそれで終わるかと思うとそうで
もなく・・。

結局サロメのベールに幻惑されたのでしょうか?私としては
「映画としての音楽2」として上映された方が良かったような・・。
去年の4月の同志社での上演を見ていれば違ったかもしれないですね。

そんな事もあって終了後、「サロメの娘」についての小冊子を
買ったのですが、実はこれ七里圭さんの映画のワークショップ
の記録集見たいな内容で、当然ながら映像関係の人が集まって
話をした内容を収録されていて音楽関係の人は誰もいない。
今それを読んでますが・・。更に消化不良を起こした感じ
(笑)もう一回見れる機会があればリベンジしたいですねえ。
(笑)

私以外にも「これ(小冊子)買わないと見た事忘れてしまう」
と言った人もいたので、わたしと同じ感想を持っていた人も
いるんですね。

音響作品ではなく映像作品として見るべきでした・・・。


3)入院患者たち

部屋に入って、多数のオープンリールレコーダーが置かれていて、
ぱっと見た感じ、「大友良英リミテッド・アンサンブルズ」を連想
しました。ただ音はこちらの方がより構築的というか、「ゲンダイ
オンガク」だなあと思う音楽。10台中1台を除いて演奏していました。
1台だけ動かなかったのは故意か、トラブルだったかは不明。

映像は2面の障子張りの面に映写されて、人が体操している?
様子とか、風景が写されていて、最初はその人たちが「入院患者」
と思ったのですが、良く考えてみると、この大広間にいる人間達が
実は「入院患者」ではないかと・・。


電子音楽の初期に活躍したツールでそれが再びこうやって目の前に
現れたのは新鮮。最後は真っ暗な中レコーダーが空回りする音は
「電子音楽の産声」に聞こえました。


4)全体を通じて
奇しくも今年の1月5日ピエール・ブーレーズが亡くなりましたが、彼が
「オペラ座を破壊しろ」と発言したのは有名話ですが、破壊されたオペラ
座の跡にはこういう物が演奏されるのかと。そんな事をふと思いました。




一寸気になった事


インスタレーションという言葉について
音楽における「インスタレーション」という言葉の定義はよく判らない
のですが音楽作品の場合、ある場所で常時演奏されていて、すでに書い
たように「大友良英リミテッド・アンサンブルズ」なんかはまさしく
何時行っても何かやっていましたが、「入院患者たち」の様に時間を区
切った物を「インスタレーション」と呼ばれていていたのは。一寸意外
でした。実はそう思ったのは私だけではなく、帰りに音楽学校の生徒
さんらしい人が「こういう時間を区切った物もインスタレーションだ
と言うのだったら、課題が作り易くなった。檜垣さんがやっていたと
言えば先生も説得できる」と言ってました。(頑張ってください。)



明倫小学校
場所は元々明倫小学校が廃校になったという事で、そこを
芸術センターとして活用されているのですが、今回使われた
講堂とかは、もともと昭和6年に建てられたという事で
なかなか風情がある、ユニークな内装となってました。
京都って清水寺とか国宝クラスのガチな建造物もありますが
こういう場所にも他にない貴重な空間が使えるというのは京都
ならではと思いました。
パラソフィアとか京都フォトグラフィーなんかで、京都ならでは
のユニークな空間を生かした芸術が楽しめるというのも京都の
武器ですね。そしてアクースモニウムは空間の音響に
あまり左右されずに演奏できる(多分)というのも他にない
武器ではないかと・・。