オテロ1887 | Pokopen Photographic

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3月から始まった「Parasophia: 京都国際現代美術祭」に行って来ました。
実は京都府京都文化博物館別館である映像作品を見て来たのですが、
一寸びっくりしました。

上映している部屋へ向かって行くと、何やら音楽が聞こえてくる。
どこかで聞いた音楽と思ったら、ベルディの「オテロ」。偶然
前日にレコード聞いていました。

部屋の中に入ると丁度最後のシーン。オテロは短刀で自刃し、
妻の遺体に最後の接吻を求めつつ倒れるシーンでした。
オテロは黒人の歌手でタキシードとシルクハット。デズデモーナ
の方は白人の歌手で衣装もオペラではまあ良くある衣装。伴奏は
ピアノ伴奏でした。そして作品は一旦終了終。

とか言ううちに再び冒頭もシーンから作品が始まりました。

冒頭は、当然ながらオテロに率いられた船団が帰還するシーン。
まさかこの作品2時間以上もあるのではないだろうなと、
思いながら見ていました。

さてオペラでは舞台はキプロス港ですが、こちらは何やら
大きなお屋敷みたい。そしてそのお屋敷には大きな池が
あって、なんとオテロは一人ボートを漕いで登場します。
そしてデズデモーナはその池の縁に立っています・
正直このシーンを見て笑いそうになりました。

なんじゃこれ!

でも周りの人は真剣に見ています。なんといっても「現代美術」
ですから!

そして次のシーンはありがたや、オテロがデズデモーナを疑う
シーンに飛びました。「柳の歌」も出てきます。
(作品の時間は結局25分程度でした)この場面はガラス張りの建物で
撮影されており、後で調べたら「パラシオ・デ・クリスタル」での
撮影でした。


でも一寸画像がおかしくて、人物の画像に建物の画像が
重なった感じでまるで、人物が建物の一部になった感じの
映像でした。そして次のシーンはオテロがデズデモーナを
殺すシーン。そして再び最後のシーン。ここで一寸違和感が
あったのは、オテロが例の接吻を求めるアリアを歌うのですが、
オペラではすでに死んでしまっているはずのデズデモーナ
がオテロに接吻を求められると何故か顔を横に向けるシーンが
あって・・。そして間もなくオテロも息絶えます。


またまた


なんじゃこれ!


と思ってしまいました。この作家の解説はこんな感じですが

http://www.parasophia.jp/artists/dominique_gonzalez-foerster/


レクチャー/パフォーマンスのシリーズの一つだそうです。何が
レクチャーかは判りませんが、パロディのようでもなく。

題名は「オテロ1887」1887はオテロが初演された年。解説書
というか鑑賞のヒントが書いてある本があってそれ見ると

1887年に今ある世界が生み出されたことが判ると書いてあって、
マルセル・デュシャンやコルビジュエが生まれたり
撮影場所となった「パラシオ・デ・クリスタル」が作られた
れたとか、ベルリナ―が(今日のレコードの基になる)録音機材
の特許を取得したりとか婦人参政権が米国の議会で初めて審議
されたと書いてありました。

最後にアイラ・オールドリッジという黒人の俳優さんの記事
が少しあって、黒人で初めてシェークスピアを演じた人だそ
うです。この人も1887年に関係するのかと思たら、すでに
亡くなっていました。でもこういう事を書いているという事は
人種差別に関する事も考えに入れているんでしょうねえ。

ちなみに「オテロ」の初演はフランチェスコ・タマーニョが担当。
当然イタリア人です。


1887年に初演された「オテロ」をその年に建てられた建物
で撮影し、同時に当時の考え方なども一緒に演じてみたの
でしょうか?(多分そんな単純な事ではないとは思いますが)

まあこの作品を見て色々調べたり、考えたりした事が
「レクチャー」なんでしょうねえ。そう考えると、私の
やった事は作者の意図をある程度達成した事になるのかも
しれません。