まだ舞える[ポケモン言語学] | 金八先生「廃れた人と書いて、廃人と読むのです」

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 まだ舞えるという表現がいつの間にか一般語と化してから何年か経ったが、これの語源と現在の使われ方に違和感を感じる人は少なからずいると思い込んでいる。

 この違和感についてまとめておきたい。

 おそらく現在は文化の発展によって言葉の形が変化している途中である。

 完全に変化すると、いとをかしがクソワロタになるような形態変化を起こしてしまう予感がする。

 

 

 まず、現在一般的に使われる「まだ舞える」というのは、自身がピンチのとき、まだ逆転のチャンスがあるというニュアンスで使われている。

 舞うという行為が自身を輝かせるような行為として、まだ自分は輝けるチャンスがあるんだと奮起する言葉として、現在は使われている。

 

 だが、まだ舞えるの語源はポケモンである(らしい)。

 ポケモンにおける舞というのは、

・つるぎのまい(攻撃ステータス+100%)

・りゅうのまい(攻撃・素早さステータス+50%)

・ちょうのまい(特殊攻撃・特殊防御・素早さステータス+50%)

 などがあり、1回舞うだけでステータスが1.5倍や2倍になるという強力な行為となっている。

 必ず先制攻撃できるが威力の低い技+つるぎのまいや、りゅうのまいで素早さを上げ、相手ポケモン全てに対して先制して50%増しの高火力を叩きこむといった戦法をとることができる。

 

 このように、ポケモンにおける舞と言う行為は強力な行為であるが、舞っている間は無防備なため、舞っている間に殴られて倒されたり、みがわりを展開されて逆に不利になったり、そもそもちょうはつをされて舞うことができなかったりとメリット相応のリスクもある。

 

 また、舞は強力だが1回では勝ちが確実になるとは言い難いものでもある。

 舞によって1ターンを無防備にしている以上、舞った後は相手を全員ワンパンで倒して被弾したくないところだが、ワンパンし損ねると返しの一撃でやられてしまい、せっかく舞ったターンが無に帰してしまう。

 そして1回舞+弱点を突ければ概ねワンパンだが、弱点を突けない場合にワンパンできない率がそこそこに高い。

(数値的な例を出せば、1.5倍の弱点突き(2倍)は3倍⇒300%だが、1.5倍の等倍は1.5倍⇒150%であり、実に150%もの火力差が生まれる。またポケモンのダメージレース自体が弱点を突かれた際の2倍⇒200%で概ね致命傷となるため、1回舞っただけで弱点を突けない150%はワンパンまで火力が届かない率が高い)

 

 火力だけでなく素早さにも同じことが言え、1回舞うと素早さが+50%なので1.5倍になるが、こだわりスカーフというアイテムは舞うことなく最初から素早さを1.5倍にしてくれるため、せっかく1回舞ったのにこだわりスカーフ持ちの相手ポケモンに先制される、という事態が発生しかねない。

 2回舞えば+50%+50%で+100%⇒2倍のため、こだわりスカーフの1.5倍が相手でも先制が望める。

 

 語源としての「まだ舞える」は正にここに使う言葉だった。

 状況として既に1回舞うことができたが、相手の後続が不明という場合、1舞でこのまま相手を全員倒しきれるか、2舞しないと逆転負けの可能性が残っているのか、という読みが発生する。

 1舞のまま突き進み、1舞で十分or実は足りなかったのギャンブルをするか、2舞して2回も無防備になるリスクと引き換えにほぼ勝ち確定の超火力・超素早さを手にするか。

 「まだ舞える」は2舞を決した際の言葉である。

 

 つまり、現在はピンチのときに使われる「まだ舞える」であるが、語源としてはむしろ自身が優位(既に1回舞っている)なときに使う言葉なのである。

 優位に立てた現状に甘んじるか、再度リスクを負ってさらなる優位を目指すかの瀬戸が「まだ舞える」であるため、ピンチのときに用いられる「まだ舞える」に私は違和感を感じる。

 

 というか、2回目の舞を確実にできると判断できる場合は、「まだ舞える」はむしろ余裕を示す言葉にすらなる。ピンチとは丸っきり逆である。

 

 

 なぜ違和感を抱くか、については以上の通りである。

 

 

 だが、これはある種当然の文化の発展でもある。

 なぜなら、基本的に「まだ舞える」をポケモンの意味で使う人はポケモンの対戦にのめり込んでいる人のみであり、そもそも絶対数が少ない。

 そして「まだ舞える」をポケモンの意味として用いるもこうなどに代表されるゲーム配信者からポケモンにのめり込んでいない人へと「まだ舞える」は伝播していき、その姿は変わって当然であるからだ。

 

 自分が優位なときにさらに優位に立とうとする言葉として「まだ舞える」と言う状況はポケモンだからこそ起こりうる状況であり、一般的には中々起こらないはずである。

 2舞の強力なメリットと2回無防備になるという非常に危険なリスクが釣り合ってはじめて「まだ舞える」はポケモンの意味になるからである。

 

 それよりも、0から1、マイナス1から0の状況の方が一般的に頻出するはずであり、それに伴って「まだ舞えるが」0→1や-1→0の意味へと変化していくことは自然であると考えられる。

 言葉の意味は「多くの人」が違和感なく感じられる方へと流されるのはある種歴史の定めとすら言え、

・敷居が高い(家に行くハードルが心理的に高い)

・役不足(役・責任が軽すぎる)

・触りだけ聞かせる(要点)

 といった言葉は今や誤用の方が当たり前に使われており、誤用の方がむしろ相手に意味が伝わる始末である。

 「まだ舞える」もこれらと同じ構造なはずであり、文字面から真っ先に受け取るイメージに流されるのは避けられない運命なのだろうと考える。

 

 「まだ舞える」とは今まさに概念が変化している途中の言葉なのである。歴史の転換点に今私たちは立っている。