おはようございます、安藤ひさこです。
別名「瞬間湯沸し器の安藤です」と言ってもいいくらい、息子たちが幼い頃は怒りをぶちまけることをしていました。
自分で自分をどうしたらいいのか、当時の私はとても困っていました。
「怒ってばかりを変えたい」
「私を変えたい」
いつも思っていました。
人間が変われば、怒ることもなくなる。
そんな風に思っていました。
根っこで「怒ってばかりの私はだめなんだ」と自分を責め続けていました。
でもね、そうやって「私を変えたい」と思えば思うほど、そうさせてくれない子どもに腹がたちました。
怒りたくないと思っているのに、怒らせるな!!
優しいお母さんになろうって思っているのに、なんでわざわざ怒らせるの!
そんな心のつぶやきがでて、また怒る。
自分のことを責める一方で、「怒り」というものは私にはどうしようもないものだと思っていました。
そんな私が「怒り」と本気で向き合ったのは、娘が生まれたこと。
怒りをぶちまけてきたおかげで息子たちとの関係がこじれていた私にとって、女の子が生まれたことは嬉しい反面、とても怖かった。
私と同じように怒りで人をコントロールしちゃう子になるの?
私と母の関係が、娘と私の間でまた繰り返されるのか?
息子たちとの失敗がまた繰り返されるの?
そんな怖れから、自分に向き合うことを始めました。
やっていくうちに私がどうしてそこまで「怒ること」にこだわってきたのだろう?
そんな事が見えてきました。
・怒りをコントロールできる方法がわからなくて困っている自分を何とかしたかったんだ。
・「自分にはどうしようもない」というのが嫌だったんだ。
・自分で選ぶことをしたかったんだ。
それがわかりました。
そして怒りを自分事として引き受けることをしようと思いました。
怒るときは怒りたいから怒っているんだ。
やめたくないから、やめないんだ。
怒ることも怒らないことも私が選べる。
怒ることに向き合ううちに私は「自分で選びたい」という願いに気づきました。
「怒ってばかりいる私」が気になるということは、何かそこに願いがあるということ。
怒りたくないのにそうなってしまうということほど、何か願いがあるのです。
その願いが何なのかすぐ見つけることはできないかもしれません。
でも「怒ってもいい。」と言われているのにも関わらず、どうしても怒ることをやめられない。
どうしてもそこにこだわってしまう。
願いと後悔は私は表と裏のように私は思います。
だからね、自分をそんなに責めなくてもいい。
ネガティブな感情は悪者にされることが多いのですが、そういう感情こそ自分の願いに気づかせてくれるもの。
ゆっくりと向き合ってみたら良いと思います。

