今回は1971年刊クッキングノートから母の得意料理の一つだったババロアを紹介しました。
プリンも好きでしたが、それより(母はほとんど家にいなかったので)食べられる頻度が少なかったババロアのほうが作ってもらった時の嬉しさは上回っていました。
さて、このレシピを書いた母は父の経営するマナ料理学校で菓子部門を手伝うため、単身東京の学校へ行って学んだのですね。
板橋にあったその学校の寄宿舎から大阪にいる父に宛てたラブレターを先日、発見しました。
母ももう恥ずかしいと思うような歳はとっくに過ぎたと思うのでご紹介させていただきますね。
古い貴重な資料にもなるかと思います。
まずは封書の裏表 切手が切り取られているので消印が見えず年月がわかりませんが、中に入っていた親戚のおじさんからのハガキの消印で昭和30年(西暦1955年)の7月末から8月初頃のものだということがわかりました。
今現存するパティシェを養成する専門学校のどれもがまだ存在しなかった時代ですね。
この板橋の学校はどうなったのでしょうか。調べても出てきません。
中に入っていたハガキというのは、母の末妹の縁談話で、これもまた貴重。
この後、それが進められて私の従兄弟が生まれたのだなとわかりました。
さて、手紙の内容ですがこれです。
父は達筆でしたが、母は田舎育ちのやんちゃ娘で字もあまりうまくありませんでした。
しかし、なんとかわいい乙女心を表す内容でしょうか。
父を想って泣いていることや、大阪に残してきた長男(私の兄)の心配。
学校生活の様子。
そして今度父が東京訪問する際には妹の縁談話に一緒に行って欲しいこと。
お茶も習っていたのですね。
私も子供の頃、どこかお屋敷に行ってお茶を飲んだのを覚えています。
砂糖をいれてもらったので美味しかったです(^^ゞ
そして父が学校を訪ねてきてくれた時の写真が入っていました。
写真の裏にはこんな風に書かれていました
マナ料理学校の洋菓子教師になるため東京板橋製菓学校在学中の光子を尋ねて来た平田武一