先日書いたブログについて実際雑誌を手に取って読んだわけでもないので何とも言えないとしていましたが、当時、小山田圭吾氏に取材の現場に立ち会った北尾修一さんという雑誌編集者の方のブログ記事を読んで認識が新たになりましたので別の角度からこの問題について続きを書きます。
このリンク先について詳細は引用したりしませんので、クリックして直接本文をご覧いただければと思います。
3回にわたって書かれていますので少し長いですが今回の問題について少しでも触れられた方は必読の内容です。
つまり今回のバッシングの元になった孤立無援のブログという記事があるようなのですが、それは元の雑誌記事の内容を一部削除したり前後関係を入れ替えたりして意図的により酷い内容に仕立て上げられたものだと元記事からどのように変えて記事を紹介されたか具体的に記されています。
そして、それが大きなバッシングを生み出し、実際に当時の雑誌の現物を読んだとする日刊スポーツの記者でさえ元の文章の意味をくみ取ろうとはせず、孤立無援のブログのフィルターや増幅器を通して発信された内容そのままに情報を伝えて一人の人間を追い込んでいったということです。(前の私のブログに日刊スポーツのリンクを貼っています)
それはある意味、ネット社会において新たないじめを生み出している人間の闇のようなものを感じます。
人間の噂話ってそんなものです。
一度、その人間を叩きたいと思ったら、事実関係はどうでもよくなり自分に都合の良い情報だけを取り入れてフィルターにかけたまま無責任にそれをまたほかの人に伝えていく。
正義感が振りかざされ、もしかしたらこういう可能性もあったんじゃないかとか考える余裕もなく、異論には一切聞く耳をもたない。
読んで共感する読者も同じく。
いやそれさえも読まずツイッターで流れてくる短文や二次資料だけで判断し批判。
オリンピックに対する賛否については別に考えなければならないのに、反対している人にとっては好都合な情報であるが故に、今回格好の標的にされた人を完全悪に仕立て上げてそのまま行っちゃえ~って感じですか。
そしてそういう標的になるのは明日は我が身かも知れないのです。
何でも白黒はっきりわけて切り捨ててしまう恐ろしい世の中にはならないで欲しいですね。
なお、北尾さんはこの中で何度もイジメを擁護するものではないと仰っておられますが私もそれに全く同意の上で私の思ったことを述べさせていただきました。
評論家になるつもりはありません。私も決して偉そうなことを言える人間ではないので。
ただ、もし武勇伝的にイジメの経験を語ったのなら認められるものではないしライターのフィルターがかかっているかも知れないと前回のブログで私も偉そうに書いてしまいましたが、決して武勇伝的なものではなかったし、当時のライターさんもいじめを擁護するのではなくむしろその反対の立場だったことが実際に取材に立ち会った北尾さんのブログで判明しましたのでその新たな事実が見えてきたということを書かせていただきました。
いちご大福 作り方、いい加減ですが、いい加減がいい加減なんですね(*^^)v