新説!明石焼きの起源☆創始者は亡き父 | 平田真実のブログ

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南米パラグアイから昭和レシピチャンネルを発信する平田真実の個人的ブログ。
昔の思い出話、グルメ、格闘技、ペット、家族、教会、会社、放射能被曝問題のことまで徒然なるままに・・・何のブログだろう?と雑多過ぎる内容ですが、これが私です(笑)

私の父、平田武一は大正9年生まれ、2001年5月21日に81歳で他界いたしました。
今週の木曜日で、ちょうど14年になりますが、父の数ある伝説の一つ、明石焼きの創始者?を記録としてブログに記したいと思います。



たこ焼きをだし汁につけて食べる明石焼きを考案したのは実は父だったというその話を私が父から聞いたのは今から約20年少し前。

その後、1998年9月父が脳梗塞で倒れ、言葉もはっきり話せなくなり二度とその話を聞くことはできなくなりました。
実は、倒れる前にもう一度だけ、明石焼きの話を尋ねてみたのですが、それは後で述べます神戸の元祖明石焼きの店が震災で潰れたという話、今となってはもっと詳しく聞いて記録しておけばよかったなと後悔しています。


明石焼きの起源については、様々な説がありネットを探しても父の名前は出てきません。


そこで、自分なりに父の明石焼き起源説を検証してみたいと思います。


まず、父は関西の料理研究家として戦後、白黒テレビが普及された頃、草分け的な存在としてテレビや食品メーカーのイベントなどで活躍していました。





野田阪神と神戸など3カ所でマナ料理学校を創設、生徒数は最盛期には2000人、中之島公会堂で入学式、卒業式を行うほどの規模に成長いたしました。

一部上場企業の千趣会の創業当時の最初の料理カードを作ったのも父で、千趣会の方が10年ほど前にネットを検索して息子である私を見つけ、父の料理学校時代の写真を送ってほしいと頼まれたことがあります。
その写真は、千趣会の創業50周年の記念ビデオにも使っていただきました。


また、フランスやインドネシアなど海外から料理人を招き、西宮にあった自宅に泊め、今はポピュラーになっているような料理も初めて数々日本に紹介しました。



レストランの出店時のアドバイザーとしても相談を受け、ここがその一つだよと、私が子供の頃、映画に連れて行ってもらったとき阪急梅田のフランスレストランに連れて行ってもらった覚えがあります。


そんな中、神戸にたこ焼き屋さんが新しく出店するときに「普通のたこ焼きじゃおもしろくないので、何か新しいメニューを考えてくれませんか」と頼まれたということです。

そこで考えたのが和風の出汁につけて食べるたこ焼き。


小麦粉だけじゃ出汁と合わないということで、とろっとさせる○○(←これが何だったか残念なことに忘れました)を材料に使ったと話していました。

そういえばと、開店時に私も連れて行ってもらった記憶が蘇ってきました。
お店の場所は三宮から元町へ抜ける商店街の中にありました。
当時、私は小学生でしたが、普通のたこ焼きを食べなれていたため、「なんだこのたこ焼き、ソースもついてないしどろっとして美味しくないや」と感じ、その後いつの間にか明石焼きが普及した後もずっと自分から明石焼きを食べることはありませんでした。


そして1990年代、料理学校は時代の波に押されとっくに閉鎖、料理研究家も引退、日本語教師のボランティア活動を行っていた父から明石焼き考案時の話を聞いたわけです。

そしてそれからまた数年、私が明石焼き創業の話をもう一度聞きたいと、父に尋ねた時は、1995年、阪神大震災でその助言した店も潰れ閉業したという話。


証言者を探すことは難しくなりました。


そこで、私は明石焼きの起源についてもう少し検証してみたいと思いました。
いろいろ調べましたが、明石焼きという食べ物が戦前から存在したという証拠はどこにも見つけられませんでした。


もし、昭和40年より前にもあったら教えてください。


テレビで明石ではタコがよく捕れるのでそれが明石焼きの起源になったという説を話してはいましたが、明石焼きという名前の食べ物がいつから存在したかは明らかにしていません。
明石焼きのHPには明石に160年前からあった明石玉という玉子焼きとも結びつけたりもしていますが、たこ焼き自体が昭和初期にできた食べ物です。


そこで、私は仮説を立てました。
もしかしたら父が助言して創業した神戸の店が明石焼きの元祖で、それが少しづつ広まって神戸から逆に名前が明石焼きということで明石名物へと広められていったのではないかと。

そうしたらありました!

最初に明石焼きという名前が公けになった記録が!

Wikipediaの玉子焼(明石市) の項目より抜粋

「この名称が広がったのは大阪府守口市に本社を置く白ハト食品工業が1973年に白ハト印明石焼として各地で販売を開始したことが大きい」

1973年というと、私が小学6年生です。
神戸の明石焼き店に連れて行ってもらったのは、それより前です。
たまたまなのか評判を聞きつけてか神戸の店の明石焼きを食べられた白ハト食品の方がこれはおもしろいと、自社製品として取り入れ開発、その名前をつけて売り出した可能性も十分にあるということです。


明石焼きの最初は昭和40年代であり、場所は明石ではなく神戸という新説。


しかし、それも証言者や証拠品のない今となっては仮説の一つに過ぎません。

でも、父は元軍人で真面目、嘘をつくような性格ではありませんでしたし、身内の私としては父が明石焼きの創始者であったことを信じたいと思います。



なお、父のことについて何かご存じの方がまだご存命でこのブログをお読みでしたら、どんなことでも私まで情報をお知らせいただければ嬉しいです。


(追記:兄も父から明石焼きの話を聞いたことはなかったそうですが、囲碁仲間であった私の母方の叔父が確かな証言をしているとのことです。四国に住んでおり私は南米なのでなかなか話を聞けませんが、今度話を伺ってみたいと思います。)



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