一昨日のブログをアップしてから、友人に教えてもらったのですが、今のネット世代の若者が嫌韓嫌中に走ったのは、戦争中の思想を受け継いだというよりネットで反日の内容を見て炎上したかららしいです。
アジア人全体を差別してるわけではなく、その証拠にベトナム、カンボジア、タイなどに対する差別発言はほとんどないということです。
なるほど、これで謎が解けました。
では、ネット社会に問題があるのでは?
とこの2日間、いろいろ考えさせられました。
どういう経緯で、互いに反する感情が炎上していったのか、リアルタイムで見ていたわけではないので、わかりませんが、反日感情がアジア諸国に根強く残っているのは事実で、それがネットで文字として書かれると、私たち日本人は当然ショックを受けます。
しかし、反に反で返すと、負のスパイラルが生じ、最初は少人数の喧嘩であってもネット世界は広く、すぐに互いの応援団が駆けつけ、炎上していったのではないかと。
特に、大陸気質は自己主張が強いですから、日本人特有の遠慮をしているとますますつけ込まれ・・・。
そんな危機感から日本の若者達は若者達なりに強く自国民の主張をするようになったのだと思います。
さて、ネットの問題ですが、これはリアルなコミュニケーションとは違った特色と、その功罪があると思います。
一つの特色は、広く情報が行き渡ることですね。
例えば、アフリカ、中東の独裁国家で民衆、学生達がネットで連絡、情報交換、民主化デモが行われるようになりました。
独裁的情報統制が難しくなったのは民主化にとって良かったのではないでしょうか。
ただ、ネットはお互いに顔が見えないこと。
そのために人間と人間の関係というより、文字と文字の関係で、愛や優しさといった感情が見えなかったり、逆に憎しみや恨みの感情が増幅して伝わることもあります。
アイデンティティーの確立していない人間同士が討論を始めると、なおさらその傾向が強くなります。
また、一人の人間が複数のIDを取得してあたかも大勢の意見のように表現することも可能です。
表現力の上手い人に世論を動かされる危険性もあります。
更に情報の取捨選択、精度を見極めるのも難しいでしょう。
しかし、ネット世代の人間を信頼するなら、どんなに炎上しても複数参加者がより多数参加することによって意見が平均化、よりよい方向へと向かうという考え方もあります。
行き過ぎた意見は別の見方をする人によって評価され、より真理に近づけるという可能性です。
もしそうだとしたらネットでの炎上というのは、より真理に近い方向に向かう一つのエネルギーとして捉えられるのではないかと思います。
正直、どうなのかわかりません。
群集心理というのは、間違った方向へ進む場合も過去の歴史を見ると多々存在するからです。
試しにいくつか炎上したケースを検証、または炎上する話題をわざと提供するのもおもしろいかも知れませんが、話題によっては歴史的に結論が出るのはかなりの時間がかかるものもあるでしょう。
一つの例として、
原発問題に対し中学3年生のタレント活動している女の子が書いた記事に対し14000件以上のコメントで炎上しました。
賛成、反対、罵る人、かばう人、様々なコメントがつきましたが、本人はそれを全て受け止めて凄い女の子です。
この年齢にしては自己がしっかり確立している子だなと感心しました。
もちろん、まわりでそれを支えている大人達もいるのでしょうけれど。
このような自己を確立したネットユーザーが増えれば炎上も怖くない、物事を正しい方向へ導く様々な論議をしていけるのではないかと希望を持っています。
さて、話を元に戻して「寄留者を大切にすること」についてはまた明日続きを書かせていただきたいと思います。
本日の聖書の言葉です。
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
マタイ5章44節抜粋