【奏の杜へ「津田沼駅周辺」】 | pocopanのブログ 「地図がいっぱいある暮らし」

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地図を眺めれば、家にいながら「冒険」の始まり。
毎日をワクワクドキドキの「夏休み」にするためのブログ。

 

今週の日曜日の早朝ウォーキング。少しは交通費を節約しようと、近場の津田沼駅を選びます。そこで、スマホの代表的な位置情報ゲーム「イングレス」(「ポケモンGo」のベースとなっているゲーム)のミッションをプレイし、今まで知らなかった津田沼の新たな魅力を見つけることにします。「イングレス」には、一風変わったスポットが大量に登録されているからです。それをスランプラリーのように巡るミッションがこれまた山ほど登録されているので、これを利用しない手はありません。

さて、その津田沼駅は、快速も停まるJR総武線の主要駅として有名です。津田沼駅周辺の住民たちに、「お住まいは?」と聞けば、答えが二つに分かれるそうです。利用している駅を重点におく住民たちは「津田沼」と答えるし、甲子園出場の強豪高校とか自衛隊の空挺団などの全国的な知名度に重点をおく住民たちは「習志野」と答えるからです。津田沼駅自体は、習志野市と船橋市との市境に存在しています。しかも、ホームを斜めに横切っているので、観光スポットのごとくホーム上に市境が引かれているくらいです。

「習志野」という地名は、1873年(明治6年)に、この地で演習をご覧になった明治天皇より「習志野原」と命名されたことによります。「すばらしい指揮をした篠原少将に習え」という説も意外と有力です。

一方、「津田沼」という地名は、1889年(明治22年)に5村が合併して津田沼村が誕生した際に、村の中心だった「谷津」の津、「久々田」の田、「鷺沼」の沼の三字をとって命名されています。

40年ほど前に横浜から移り住んできた私にとって、この地は、やはり「津田沼」の方がなじみがあります。今でも、習志野高校がどこにあるのかも知らないくらいです。それに、二つの「津田沼戦争」は、とても有名な話だからです。

一つは、大型商業施設をめぐる戦争。津田沼駅北口にはイトーヨーカドーと西友・パルコ、南口にはダイエーと建ち並び、デパート商戦が激化していました。その戦いも、パルコが昨年閉店し、最後に残ったイトーヨーカドーもこの秋に閉店が決定し、時代は流れていきます。

もう一つは、学習塾をめぐる戦争。津田沼で展開される学習塾同士の熾烈な抗争が、小説「みかづき」で描かれ、NHKでドラマ化されています。

さて、日の出の時間に合わせて津田沼駅に到着。「イングレス」を起動し、津田沼駅周辺を巡るようなミッションを選び、さっそく歩き出します。
 
南口の階段を降り、線路に沿って東京方面へ向かいます。すると、薄く切ったショートケーキのような建物が見てきました。あまりの薄さに、家内も絶句です。三代川不動産の看板が掲げられています。この建物、津田沼駅のホームからも見える建物ですが、こんな薄い形状だとはまったく気づきませんでした。

さらに、ホームの方を見ると、5・6番線の先端を覆うように、駅員用の事務所が作られています。ここから階段で事務所に入ることができ、ホーム側にも降りることができるようになっています。こんな秘密基地みたいな建物があるなんて、今までまったく気づきませんでした。そんな面白いスポットがこのミッションでは目白押しです。

・風見鶏が素敵な大原学園大原簿記法律専門学校2号館
・工事中で残念な洋館の津田沼IVFクリニック
・遊具が変わっている前原西さくら公園
・アゲハチョウの壁画が目を惹くJR前原西社宅2号棟
・チャペルがあるプラウド津田沼
・谷津6丁目児童遊園

モクレンのつぼみや花を咲かせた梅の木など、自然もいっぱい。葉の緑の色と見事に調和して咲いている河津桜にも見とれてしまいました。

ちなみに、この周辺は「奏の杜」と呼ばれています。かつては農地でしたが、農業の担い手が減ったこともあり、新たな街作りが始まり、現在の姿となっています。地区内にある谷津小学校、第一中学校は全国コンクール上位入賞の常連で、音楽教育が盛んな街ということもあり、「奏の杜」と名付けられたようです。

わずか、二キロほどのコースでしたが、充実したひと時を過ごすことができました。


■コース


■拡大図

①三代川不動産


②津田沼駅駅舎


③大原学園大原簿記法律専門学校2号館


④津田沼IVFクリニック


⑤前原西さくら公園


⑥JR前原西社宅2号棟


⑦プラウド津田沼


⑧谷津6丁目児童遊園


●その他街路にて



さあ、今日も地図を広げて、
スランプラリーをしながら、冒険にでかけましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。