メイリさんのブログ -66ページ目

無駄の必要性

昨日の続き

しかし、結果的に無駄のないものを提示するには、それまでに無駄な作業が伴うものです。

逆に無駄なことをしなきゃ、美しさを手に入れられないんでねぇか。

たとえ必ずホームランを打てる打撃フォームを習ったとしても、即時にホームランを打てるわけないっすよね。

勉強も同じで、例えば、オレは今予備校に通ってるわけだが、ホームランの打ち方=問題の解方を習っても、すぐに出来るわけねぇーーーんだよぉーー。おーん。そこがうざいんだよぉーー!!

まぁ、素振りしていくしかないっすな。仕方なかろうもん。

まぁ、当たり前のことしか書いてないんだけど、昨日「無駄は何において必要で、何において必要じゃないか」について帰りの電車の中で考え込んでしまったので書いてみました。(まぁ、伝えきれてない部分も多々ありますが)

無駄を省くことの美しさ

何かしらものを表現する場合、無駄を切り詰めるのは重要なことだと思うんですねぇ。

日本では、和歌・俳句というものが古来から存在しますが、やはり、無駄を省くという点でこれは真骨頂だと言えます。

海外の方から言わせると、雪舟水墨画はラフに見えるのだそうです。海外で絵といえば、油絵のようにカラフルなものと考えられているからです。しかし、我々はあれを見て、美しさを感じます。

受験勉強にも通じるものがあります。現代文や、英文の要約などがそれにあたりますし、社会科の論述問題にもそれがいえます(社会科の論述は具体例の取捨選択がなかなか難しい)。そして、数学はさらにそれがいえると思います。与えられた条件を理解し、それを平易な値にしていくという点で、それがいえると思います。数学は美しさを求める学問だと私は思います。
日本のモデルさんを見て、我々が美しいと感じるのも、同じことでしょう。彼女達(彼達)の無駄のないプロポーションを見るからこそ、美しく感じるのだと思います。海外のように ボン キュッ ボーン が日本でそこまで好まれないのも、日本人のこの美意識が根本にあるからじゃないでしょうか。

しかし、無駄の省かれた美しいものを表現するためには、その過程では、無駄な作業が伴います。

その点は明日に書きたいと思います。

続きはまた明日

じゃあの

満員電車

満員電車で不快なこと

1、OLや学生が肩から提げている鞄が不定期に自分の体に接触すること

2、他人の携帯電話が背中に不定期に自分の体に接触すること

3、他人の鞄が不定期にふくらはぎに接触すること

4、何のためらいもなく、優先席付近で携帯電話をいじっているやつ

5、整列乗車が守れないやつ

6、自分の周りに微妙なスペースを空けて、そこから動こうとしないやつ

7、笑い声

8、大きな声でのレベルの低い会話

9、集団

10、ばばあ&がき(幼児含む)

11、ベビーカー

12、客同士のトラブル

etc…

実に不愉快です。これらのうちひとつでも該当したら、私は必ずその人(たち)を下に見ます。
だってむかつくんだもーん。

代ゼミからの帰り掛け、満員電車の話題がちらっと出たので書いてみました。

ばいちゃ