謝謝
コメントありがとうございます。
僕の考えに近いのはやる気のない誰かさんに近いです。結局オヤジの意見のように時代的な流れを追っていかないといけないように思います。
いずれにせよ、皆さんの意見を考慮して、時間がある時に考え直したいと思います。どうもありがとうございました。
ところで、別の意味で興味のひかれたコメントがありました。
S木の意見。
>緑色が多ければ多いほど、人のストレスは緩和されるらしいよ
この手に近い話を小学生のときにきいたことがあるんですねぇ。
「森を見ると目が良くなるんだってぇ~。だから私ね、毎日見ることにしてるの。フジノ君も見てみたら?」
カナではあるものの、私の本名が全世界に公表されちまいましたが、そんなことはどうでもいいんだよ。
安芸さんという娘が私にこう言ったのですねぇ~。今から9年前の日光への林間学校のときだったと思う。ちょうど7月の終わりか、8月のド頭だった気がします。
当時のメイリ少年は視力が著しく低下しており、体重が著しく増加していた時期でした。当時のでぶさは半端じゃありません。常に二十顎でしたから。
まぁ、そんなことはどうでもいいのですが、安芸さんは好きな女の子だったんで、当時はなんとも思ってなかったけど、今思い返すとそんな単純な会話でも贅沢だなぁと思ってしまいます。
元気にしているのだろうかな。
オレとしては珍しいコイバナでした。
アディオス!!!
僕の考えに近いのはやる気のない誰かさんに近いです。結局オヤジの意見のように時代的な流れを追っていかないといけないように思います。
いずれにせよ、皆さんの意見を考慮して、時間がある時に考え直したいと思います。どうもありがとうございました。
ところで、別の意味で興味のひかれたコメントがありました。
S木の意見。
>緑色が多ければ多いほど、人のストレスは緩和されるらしいよ
この手に近い話を小学生のときにきいたことがあるんですねぇ。
「森を見ると目が良くなるんだってぇ~。だから私ね、毎日見ることにしてるの。フジノ君も見てみたら?」
カナではあるものの、私の本名が全世界に公表されちまいましたが、そんなことはどうでもいいんだよ。
安芸さんという娘が私にこう言ったのですねぇ~。今から9年前の日光への林間学校のときだったと思う。ちょうど7月の終わりか、8月のド頭だった気がします。
当時のメイリ少年は視力が著しく低下しており、体重が著しく増加していた時期でした。当時のでぶさは半端じゃありません。常に二十顎でしたから。
まぁ、そんなことはどうでもいいのですが、安芸さんは好きな女の子だったんで、当時はなんとも思ってなかったけど、今思い返すとそんな単純な会話でも贅沢だなぁと思ってしまいます。
元気にしているのだろうかな。
オレとしては珍しいコイバナでした。
アディオス!!!
締め!
締めといってもこのブログを締める気はさらさらございません。
今日は、一学期最後の授業がありました。厳密に言えば、本来の日程的には昨日で終わりだったのですが、数学の授業が一時間だけ休講になっていたので、その補講が今日あったわけです。
しかし、その授業は1時間目にあったのですが、不覚にも寝坊してしまいました。なんと65分も遅刻!最悪で~す。夏休みをまるで象徴してるかのようで最悪で~す。
昨日の記事へのたくさんのコメントありがとうございます。m(__)m
昨日の記事の補足をしておきますが、
私は物質的な問題を述べたわけではないのです。
確かに持運びの面ではノートは黒板に勝ります。
しかし、もし、「紙」が黒いものとして発明され、「書くもの」が白いものとして発明され、「黒板」が白いものとして発明され(それは白板とでも呼ばれるのでしょうか…)、「チョーク」が黒いものとして発明されていたら…
つまり、色のコントラストの問題です。黒板が黒たる理由は絶対的にあるのかと。(黒板は濃い緑じゃねぇか、という屁理屈をいうやつは死ね)白でもよかったんじゃねぇか?ノートが白たる必然性はあったのか?
技術的に黒いチョークを作ることは可能だと思う。なら白板だって作れるはずじゃなかろうか?
そもそも黒板がなぜ黒いかといえば板の表面に漆を塗って作っていたからだそうです。だから黒板は慣習的に黒いものとして定着してしまったのでしょう。
ただ、人間が黒地のものから白地のものに写している作業がふと不思議に思っただけです。考えてみたら異様だぞ、この作業は。
物質的要因の裏に、色のコントラストとして人間の内に秘めた何かが関係しているのかもしれない、と考えただけです。なかなかうまく説明できるものが浮かばないから、ヒントをくださいな、となったわけです。たぶん僕の説明不足でした。ごめんなさい。m(__)m
この疑問は整理が上手くなされていないので、今日の記事を読んでも釈然としない人がいっぱいいると思います。許してください。腰を据えて、こんなくだらない疑問をじっくり考える暇なんてないんですから。
長文スマソ
じゃあの
今日は、一学期最後の授業がありました。厳密に言えば、本来の日程的には昨日で終わりだったのですが、数学の授業が一時間だけ休講になっていたので、その補講が今日あったわけです。
しかし、その授業は1時間目にあったのですが、不覚にも寝坊してしまいました。なんと65分も遅刻!最悪で~す。夏休みをまるで象徴してるかのようで最悪で~す。
昨日の記事へのたくさんのコメントありがとうございます。m(__)m
昨日の記事の補足をしておきますが、
私は物質的な問題を述べたわけではないのです。
確かに持運びの面ではノートは黒板に勝ります。
しかし、もし、「紙」が黒いものとして発明され、「書くもの」が白いものとして発明され、「黒板」が白いものとして発明され(それは白板とでも呼ばれるのでしょうか…)、「チョーク」が黒いものとして発明されていたら…
つまり、色のコントラストの問題です。黒板が黒たる理由は絶対的にあるのかと。(黒板は濃い緑じゃねぇか、という屁理屈をいうやつは死ね)白でもよかったんじゃねぇか?ノートが白たる必然性はあったのか?
技術的に黒いチョークを作ることは可能だと思う。なら白板だって作れるはずじゃなかろうか?
そもそも黒板がなぜ黒いかといえば板の表面に漆を塗って作っていたからだそうです。だから黒板は慣習的に黒いものとして定着してしまったのでしょう。
ただ、人間が黒地のものから白地のものに写している作業がふと不思議に思っただけです。考えてみたら異様だぞ、この作業は。
物質的要因の裏に、色のコントラストとして人間の内に秘めた何かが関係しているのかもしれない、と考えただけです。なかなかうまく説明できるものが浮かばないから、ヒントをくださいな、となったわけです。たぶん僕の説明不足でした。ごめんなさい。m(__)m
この疑問は整理が上手くなされていないので、今日の記事を読んでも釈然としない人がいっぱいいると思います。許してください。腰を据えて、こんなくだらない疑問をじっくり考える暇なんてないんですから。
長文スマソ
じゃあの
ノート
ノートはなぜ白いのか。
紙が白いからと短絡的に考えるのもありですが、それでは面白くありません。
なぜこんなことを考えてしまったかというと、
他人からノートを借りた際、黒板で黄色のチョークで書かれた箇所をその人は黄色いボールペンで写していたからです。
たくさんの色を使い分けるのはおおいに結構ですが、白地に黄色はいただけません。見えにくいじゃないですか。
黒板は黒地ですから明るい色は映えるのです。だから、交通標識に暗い色は使われていないでしょう。
そんなことはどうでもいいのですが、
なぜ我々は黒地に書かれたものを白地のものに書き写しているのか…
すぐには結論が出そうもないし、ハマりすぎると時間がひたすら流れていってしまうだけなのでこの辺にしておきます。
だれか考えるヒントをください (^^)
ばいちゃっ!
紙が白いからと短絡的に考えるのもありですが、それでは面白くありません。
なぜこんなことを考えてしまったかというと、
他人からノートを借りた際、黒板で黄色のチョークで書かれた箇所をその人は黄色いボールペンで写していたからです。
たくさんの色を使い分けるのはおおいに結構ですが、白地に黄色はいただけません。見えにくいじゃないですか。
黒板は黒地ですから明るい色は映えるのです。だから、交通標識に暗い色は使われていないでしょう。
そんなことはどうでもいいのですが、
なぜ我々は黒地に書かれたものを白地のものに書き写しているのか…
すぐには結論が出そうもないし、ハマりすぎると時間がひたすら流れていってしまうだけなのでこの辺にしておきます。
だれか考えるヒントをください (^^)
ばいちゃっ!