藤岡由夏です。
先日より連載しております藤岡由夏の人生の転機ストーリー
①学校なんて面白くないと暗かった小学生時代
②20年の暗黒時代から抜け出した転機その1
③私たちの子どもたちのそのまんまを受け止めてあげたい
そして、本日4回目となります。
学校が楽しくない、友達もできない。
そんな毎日から「無理に自分をよく見せることなかったんだ」って気がついた海外語学留学。
帰国後の残された大学時代、就職活動はそれはそれは頑張ってました。
遊びも勉強も手を抜かない、とても楽しい学生時代。
就職活動は氷河期世代ですので、決してうまくはいきませんでしたが、
当時希望していた職種で内定をもらいます。
会社に入ってからは、必死で働く毎日。
自分の時間なんて全然なくて、残業、残業。
家に寝るためだけに帰る日々。
今思えば、もうちょっと違うことしててもよかったかも、、、と思うけど、
当時あれだけやったからこそ、今それが言える。
後悔はないですね~。
体力的にも精神的にも限界はきてましたけどね

あまりに忙しすぎて、もう少し人間らしくなりたいと
何か楽しい習い事をと始めたのが、パン教室とフラメンコ。
人間らしくてどんな表現?と思うけど、今振り返ってみるとそんな感じ。
自分らしさがどうとか考える余裕なんて全くなかったんです。
パン教室は、今のように仕事にしようと思っていたわけでもなく、
のほほんと花嫁修業的な感覚でいってました。
ただの遊びでもいい、そういうものが当時の私には必要だったんでしょうね。
結果的にただの遊びがいつの間にか仕事になっちゃったわけなので、
のほほんとパン教室に通ってたその期間も私には大切な時間だったことになりますね
フラメンコは、趣味だとは言え、何よりも本気で頑張ってました。
フラメンコを始めてからは、仕事もプライベートも趣味も、すべてがフラメンコのためにあるくらいの勢いでしたね。
打ち込んでいる私自身はそれで毎日大満足だったんです。
でも、そんな私に「何がやりたいんだ?」「何を考えてるの?あなたは・・」と思っていた人がいます。
その人とは、、、私の両親。
30歳過ぎて、結婚もしないで、わけのわからんことばっかりして・・・
(と思われてたんじゃないかなぁ?)
20歳の私なら両親のいうことを聞いて、両親が喜ぶだろう道を選んでいたけど、
30歳の私はそうじゃなく・・
内心ザワザワしながらも、聞こえないふりして自分の世界に没頭でした。
「もう干渉しないでくれ」という気持ちもあったし、自由になりたくて仕方なかった。
でも、どこかで結婚しないし、当然子育てだってしてないし、世間ずれしているパラサイトシングル的な罪の意識はどこかにあった。
何でも人並み、平均がいいとして育てられてきたものだから、、
周りがどんどん結婚していって気にならずにはいられなかったんですよね。
でも、結婚ってそんな簡単にできるもんじゃない。
誰でもいいわけじゃない!
そのころ出会った主人が、「自分が自分でいていいんだ」と思わせてくれた第2の転機。
好き放題やっているように見えて、実は心の奥底で両親に悪いことをしているような気がしていた私に
「そんな(何かに夢中になっている)ゆかっちだからいいんだよ」と言ってくれたのが、主人でした。
いやーーー、のろけてますやん、私(笑)
すいません( ̄▽+ ̄*)
小さい頃から、なんとか自分をよく見せようと頑張って空回りしたり、
必死にがむしゃらに仕事ばっかりしてきた私。
どうしても何かっていうと「頑張らなくちゃ!!」と歯を食いしばって無理をする私が、頑張りすぎなくてもやっていける人が今の主人。
何をのろけてるん?と言われても
やっと自分の心地よい居場所をくれた人
(細かいことでは、イライラするけどさー)
やっと見つけた何とも言えず居心地のいい自分の居場所。
ところが、また「私、ノイローゼちゃうん?」くらい悩む時期がやってきます。
それが、恐らく母となった全ての女性が必死で挑む仕事「子育て」でした。
次回は、半分終わってた私の子育てストーリーでございます。
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