一般化できるお話だと思うので。
○ 元ブログの要約 ○
長年交際を続け、プロポーズもされているのに、
結婚に踏み切れない女性。
その理由は、母親が結婚を許してくれないから。
女手一つで育てた娘を、母親は離したがらない。
育ててくれた母を、娘は見捨てられない。









このブログを読んだ直後に、
偶然 YouTube でジョブズのスピーチを見かけて、
「親」とか「子」とかに対する意識、人権感覚の違いを
しみじみと感じてしまった。
よかったら最初の2分だけでも見てみてください。
(別に見なくてもいいですけど)
(別窓で開くリンクはこちら → ★ )
このスピーチでジョブズの言いたかったことは
本当は他にあるのだけれど、今はそれは脇に置くとして。
私は最初の2分間を見て、
子どもに対する感覚の違いを感じたのです。
学生の身でありながら身ごもり生んだ子。
その子の将来を考え養子に出すことの自然さ。
もしこれが日本だったら?
まず「望まれないのに生まれた子」と言われるのではないかな?
そして里子に「出された」「かわいそうな子」と。
生みの親は「性にだらしのない」「浅はかな大人」と。
生んだら責任をもって自分で育てるべきだ、と。
生んだ子に対して責任を持つ、ということだけは正しいと思う。
だけれども、自分で育てることだけが責任を持つことじゃない。
その子にとってよりよい環境を整え、人生を見守ることが、
親としての責任であって、その方法や形は様々。
日本人は、ひとつの型に固執しすぎる。
そして、生まれた子(自分が生んだ子)を私物化することと
責任をもって育てるということを混同しがちだと思う。
そうやっていつしか、これだけ愛情を持って育てたのだから
恩返しをしてくれて当然、と思い込む。
毒親もいいところだな。
恩返しはね、する方がしたいからするものであって、
恩返しされるのを期待するなんて図々しいのよ。
私には娘が2人いるけれど、
ずっと娘たちと一緒に暮らしたいとは思わないし、
将来例えば体が思うように動かなくなったとしても
娘たちに介護をしてほしいとは思わない。
もし娘たちがそうしたいと思ってくれるのなら嬉しいけれど、
娘たちには娘たちの人生があるのだから、
親の面倒を見ることを強要するつもりはさらさらない。
女の子が生まれた時点で出て行くものだと覚悟していたし、
もし男の子が生まれていたとしても
後を継いでほしいとか嫁を連れて同居してほしいなどとは
つゆほども思わなかっただろう。
自分が生んだとしても、別個の人間なんだから。
ただ生み育てたという因果だけで
相手(子)の人生をコントロールしようなんて
暴慢も甚だしい。
相手の人権をまるきり無視した所業じゃないか。
それが、その子を愛しみ育てた親のやることか?
どんなに寂しくても、心細くても、不自由になっても、
私は最後まで娘たちの自由を尊重したい。
それが親の愛だと思ってる。
余談だけれど、この元記事の結婚できないカップルね、
彼氏さん、よく何年も我慢しているなと思います。
そんな決断できずに何年もズルズルしているなんて。
私が彼氏の立場なら、
母親を捨てて結婚するという決断を迫るか、
それができないなら別れるか、
なんとしても結婚したいなら
女性の母親と同居するという決断を自分でするか、
何かしらアクションを起こすと思うわ。
それをしないというのは、
彼氏さんは結婚せずに今のままの関係でもいい
と思っているということなのでしょうかね。