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9月の後半から始めた公文。


学習進度はとても順調で、

今はB Iを学習中です鉛筆



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今日は、公文の批判でよく見る


「思考力がなくなる」

「スピードだけ重視して深く考えない子になる」


ということが本当なのか?




国語のみ、まだ3ヶ月くらいですが、

年少の娘を通わせてみての感想を

書いていきたいと思います。





結論から申しますと、

「本当であり、嘘でもある」

というのが


私の率直な感想です。




まずは、「思考力」について

考察してみたいと思います。







  ​公文は思考力がなくなる?


公文の教材、特に国語は

本当によくできています。


私が見た限りでは、

「思考力がなくなる」という

内容ではないと思います。


では、なぜ

「思考力がなくなる」と

言われるのでしょうか?


その理由を考えてみました。






​「思考力」を育てる教材ではない


ここで言う「思考力」とは、

「深く考えて研究し、考察する力」なのだと

思います。


そうなのだとすれば、公文は

「思考力」を鍛える教材ではありません。


市販の公文教材より、

お教室でするプリントの方が

その傾向が強いです。




公文式教材では、

基礎の基礎を反復練習して、

学習の基盤を固めていきます。


その中で、

「考えて答えを見つける」ことはしますし、

学年を越えた先取り学習ている時ほど

何も考えずにできるということは

ないはずです。


ただ、深掘りして考察する力がつくような教材や指導方法ではないと思います。



そもそもの目的が

基礎を徹底的に固めることなので、

応用や発展には対応していません。




「思考力がなくなる」のではなく、

公文の教材だけで人生を送ると

「考察する力がつかない」が正解だと思います。



でも、公文のプリントだけで

人生を送るわけないですよね?


「思考力」は別の機会で

鍛えればいいだけです。




むしろ、公文で基礎を固めることで

「思考力を必要とする問題に時間を割く」

ことができるようになります。






​国語の場合


公文のプリントでは、

「指示語が何を指しているのか」

「この文章はどんなことが書いてあるのか理解する」

という訓練をたくさんします。



難しい問題はなく、

国語のテストの漢字問題の次に出てくる

小問レベルの問題だけを

ひたすら解いているイメージです。


詳しくはこちら下矢印



はっきり言って、

このレベルの問題に「思考力」なんて

必要ありません。



公文の批判で

「反射的に答えてるから考えていない」

というご意見をよく見聞きします。


しかし、このくらいの問題は、

「反射的に答えが分かる」となっているべきですし、じっくり考えて答えを出すタイプの問題でもありません。




私は国語がすごく得意だったので、

国語が苦手な友達から

「どうやって解いてるの?」と

聞かれることも多かったのですが、


「だって答えが書いてあるから」としか

言い様がありませんでした。




何かを考えながら

本文を読んでいたわけではないのに、


公文のプリントで問われている内容は、

本文を読み終わった後には

自動的に頭の中に組み立てられていた


…と、いう感覚です。

たぶん。



それができていない子どもは、

小問を解いている間に小さいところを読み取ろうとし過ぎて、

本文全体が持つ大きなテーマを見失いがちです。


本文の中で迷子になっている姿を

よく見かけます。


迷子になったら、

本文を初めから読み直さなくてはなりません。

そして、

そこに時間を取られてしまうと、

後半の高配点の問題を取りこぼします。




国語が得意な人って、

感覚だけで解いてるって印象ですよねアセアセ


その「感覚だけで解いてる」の正体が、

基礎的な部分に

「思考力」を奪われていない

というとこなのではないかと思うのです。







​算数・数学の場合


公文式算数・数学は、計算のみです。

これが批判を集める原因でもあります。


「計算だけできても、文章題が解けない」

と言われる理由は、ここにあります。


確かに、公文では計算しか教えていません。

それは、計算のみ先取りさせることを目的としているからです。


文章を正確に読み取って立式するのは、

その学年になって、それこそ

思考力が追いついてきてからすればいい。


先に計算力を鍛えておくことが、

悪いことなはずありません。




立式できたとて、

その後の計算が遅かったり苦手意識があって面倒くさいと思うようでは、

算数・数学が得意にはなりません。


そして、立式の後の計算は、

速いに越したことはありません。


立式の後に、ぱぱっと計算できれば、

思考することに時間をたっぷり使えます。



公文で算数をお勉強すると思うから、

「文章題を解けるようにしてくれない」と

思うのです。


算数の基礎である計算力を鍛えて、

その後の学習を有利にするという考え方で

公文を上手に利用していけばいいと思います。




学生の時、数学がすごく得意で

全国でもトップクラスという友人に、

「なんでそんなに速く解けるの?」と

聞いたことがあります。


そしたら、

「ここに答えが書いてあるから」と

言われました。


計算問題は、

=(イコール)の前に書かれている

問題を見た瞬間に

答えが浮かぶそうです。


そして、文章題の場合は、

文章題を読んでいる間に式が出来上がってて、

「ついでに答えもでている」らしい…。


計算力が高いと

計算することに考える力が奪われないので、

より深く考える問題にも挑戦できます。




その友人が普段解いてる問題を見ても、

私には何が書いてあるのかすら分かりませんでした。


大学でも数学科の人達の会話は、本当に「何言ってんの?」って感じでした。



いくら国語力があって

文章を読み解く力があっても、

基本的な計算力が低いと太刀打ちできません。



基本的な計算力を鍛えることが、

将来的に算数・数学が得意になる第一歩。


だから公文式算数・数学は、

基礎固めに重きを置いているのです。






​「思考力がなくなる」は本当?


これは、私の経験から考えた

個人的な意見なのですが、


「なくなる」ということは

ないと思います。



基礎問題を反復して鍛えていくことで、

「長く考えなくても答えが分かる」ように

しているだけではないかと思うのです。



初めは、

じっくり考えながら取り組むのですが、

何度も何度も同じ問題を解いて練習するうちに

考え方を覚えて、

考える道筋に慣れていきます。


そして、

考える道筋に慣れていくにつれて、

考えるスピードが極限まで上がります。



つまり、「考えなくなる」のではなく

「高速で考えられるようになる」ことで、


「時間をかけなくても答えが出る」

「ほとんど反射的に答えが分かる」

という状態になっているのではないでしょうか。



公文のプリントくらいの基礎問題であれば、

反射的に答えが分かる状態にしても、

「思考力が育たない」などの支障はないと思われます。


その後の学習が有利になるだけです。





​結論


公文式は、基礎を鍛えることで、

「思考力がなくなる」ように見えるくらい考えるスピードが上がる。




では、これだけでは

「スピードだけ重視して深く考えない子になる」

という批判を肯定しているようにも見えます。



次回は、


字が汚くなる

速く解けることで周りをバカにしている

学校の授業がつまらなくなる


などについても考えながら、

「公文式で求められるスピードとは」をテーマに

考察していきたいと思いますニコニコ




※あくまでも、私の個人的な感想です。

公文式の公式の見解ではありません。






スターご覧いただきありがとうございましたスター