「イの国は見えたか?」と語りかけるように高みから見下ろす忌部神社の麒麟さん
日の光を背にして、カッチョイイぜ
イの国探検隊ファンの皆様、鰐積の皆様、アマでありカミでもある皆様、こんにちは。
イノクニタンケンタイ雑用係の日月ホトトギスです。
長尾は何のしっぽ?⑳のつづきです。
長尾寺はしっぽ関係では気になりまする
え~ まだ千葉氏の長尾氏でもある白井氏探検が細々と続いています。
補陀落山円通寺(本尊は聖観音菩薩)の国仙和尚を"生涯の師"と定め師事した良寛。
良寛さんの
冬籠り 春さり来れば
飯(いい)乞(こ)ふと 草の庵を
立ち出でて 里にい行けば
たまほこの 道のちまたに
子どもらが 今を春べと
手毬つく ひふみよいむな
汝(な)がつけば 吾(あ)はうたひ
吾(あ)がつけば 汝はうたひ
つきて唄ひて 霞(かすみ)立つ
永き春日を 暮らしつるかも
良寛さんの詞の中でたどり着いた、数え13歳の子に贈る琉球手毬⇒「手毬つく」=「琉球十三マーイつく」
前回までに
手毬は、伊予の二名島の阿波国(伊国)の母にたどり着いた!
さらに、琉球に関係する海神女性、皇后(日巫女)、阿波神山
=伊(夷・猪・伊都・倭)の国の尾だ!かもね
におおむねたどりついた。
「琉球十三マーイ」つく十種神宝の霊力で死者を蘇らせる。
「ひふみよいむな」=「十種神宝の霊力で死者を蘇らせる」と書いて、後に気になった。
「ひふみよいむなやこと」とは、
1〜10の数え方。
この数え方は、現在の数字の数え方ではない「言霊」。
言霊とは、
「古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。 また、言葉に宿る霊の意。」
良寛さんの詩を、妄想解釈では、裏になり、天下春命がくれば飯野命(法然の祖)乞い、ふと、草の庵を出て 天津久米(紀氏)の三里に行けば 素戔嗚の 旧美馬郡穴吹町と美馬郡つるぎ町一宇村との境界に位置す八面山の尾根道にイの国の子孫らが 今を天下春命の時代と(糸=絹=)皇后「琉球十三マーイ」つく 十種神宝の霊力で死者を蘇らせる。河南省の嵩県から淮水に流れる「汝水(ジョスイ)川」がつけば、神のお告げを汚れから守る歌をうたい如水川が神のお告げを汚れから守る。お互いに呼応し龍・天村雲命現れる。長く続く天孫降臨の警護三十二神の一神で武蔵の秩父国造らの祖・天下春の日に照らされて 暮らすでしょう。
吾妻川の「吾」とは、良寛の「・・・吾(あ)はうたひ 吾(あ)がつけば 汝はうたひ つきて唄ひて 霞(かすみ)立つ 永き春日を 暮らしつるかも」「妻」とは「・・・(糸=絹=)皇后「琉球十三マーイ」つく 十種神宝の霊力で死者を蘇らせる 河南省の嵩県から淮水に流れる「汝水(ジョスイ)川」がつけば、神のお告げを汚れから守る歌をうたい 汝水川が神のお告げを汚れから守る お互いに呼応し 龍・天村雲命現れる 長く続く天孫降臨の警護三十二神の一神で武蔵の秩父国造らの祖・天下春の日に照らされて 暮らすでしょう」沖縄経由で、河南省の嵩県から淮水に流れる汝水川の地域と関係の皇后なのではないか。つまり、吾妻とは、天皇と皇后ではないか
「先代旧事本紀」には、ひふみ祓詞と布留の言を唱え、十種神宝を振り動かすことで、死者を蘇らせることができると伝えられているそうです。
この布留の言と十種神宝を用いて、神武天皇の長寿を祈ったことが、宮中における鎮魂祭の起源になったとされているそうです。
先の探検では、
お盆は、餓鬼道に落ちた鬼道使いであるイの国の日巫女(ヒミコ)の弔いであった。
手毬は、皇后。
鬼道とは、ひふみ祓詞と布留の言を唱え、十種神宝を振り動かすことで、死者(先祖魂)を蘇らせることができるものだったんじゃないかと感じました。
訳あって、つづく