「イの国は見えたか?」と語りかけるように高みから見下ろす忌部神社の麒麟さん

日の光を背にして、カッチョイイぜ

ラブ





イの国探検隊ファンの皆様、鰐積の皆様、アマでありカミでもある皆様、こんにちは。



イノクニタンケンタイ雑用係の日月ホトトギスです。セキセイインコ青
 

 

 

 

 

 

 

 

 

長尾は何のしっぽ?⑳のつづきです。

にやり

 
 
探検してると、〇〇尾とか、尾がよくでてくるように思います。
例えば、石清八幡宮、長寺、張など
 
菅原道真さんの友、明印さんの長尾寺
屋島の戦いへ向かう源義経が前を通ったであろう長尾寺
村上天皇の血筋と妄想の静御前、その母、磯禅師が得度の長尾寺
 

長尾寺はしっぽ関係では気になりまするビーグルしっぽ猫しっぽ牛しっぽ熊しっぽ黒猫しっぽ

 

 

長尾寺流れ星御詠歌
「あしびきの山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがら御名を唱えよ」
山鳥の尾。
なぜ山鳥の尾?うーん
 
 
 
本道はいづこ・・・叫び
 
大阪~奈良の長尾街道(ながおかいどう)は、大仙陵古墳(伝、仁徳天皇陵)から奈良葛城の長尾神社への道です。
 
讃岐の富田茶臼山古墳から阿波の那羅そして葛城は、大きな古墳から葛城、似てます。グラサン
 
 
讃岐にも「長尾街道」があり、脇道ばかりですが妄想探検中です。グラサン
讃岐の常盤橋~長尾寺の長尾街道(ながおかいどう)とは、
江戸時代に高松藩によって讃岐(高松)五街道として制定された旧街道(高松藩街道)のひとつ。
香川県道10号高松長尾大内線の旧道にして前身。
江戸時代当時、玉藻(高松)城外堀に架けられた常磐橋を起点とした、四国八十八箇所第87番札所長尾寺への東讃地域東西より延びる参拝道路の性質を持つ旧街道。
 
 
ご注意ください!
すべて、誤解され野郎のイ探の勝手なモウソウです。昇天
 

え~ まだ千葉氏の長尾氏でもある白井氏探検が細々と続いています。
 
 
幼い長町磯が摂津江口に旅立った志度寺は、補陀落山。娘の静御前とともに弘法大師の大学の師、岡田牛養の子孫の明印の説得により得度した長尾寺も、補陀落山

 

補陀落山円通寺(本尊は聖観音菩薩)の国仙和尚を"生涯の師"と定め師事した良寛

 

良寛さんの

 

冬籠り 春さり来れば
飯(いい)乞(こ)ふと 草の庵を
立ち出でて 里にい行けば
たまほこの 道のちまたに
子どもらが 今を春べと

手毬つく ひふみよいむな
汝(な)がつけば 吾(あ)はうたひ
吾(あ)がつけば 汝はうたひ
つきて唄ひて 霞(かすみ)立つ
永き春日を 暮らしつるかも

 

 

良寛さんの詞の中でたどり着いた、数え13歳の子に贈る琉球手毬⇒「手毬つく」=「琉球十三マーイつく」

 

前回までに

手毬は、伊予の二名島の阿波国(伊国)の母にたどり着いた!

さらに、琉球に関係する海神女性、皇后(日巫女)、阿波神山
=伊(夷・猪・伊都・倭)の国の尾だ!かもね

におおむねたどりついた。立ち上がる

 

 

「琉球十三マーイ」つく十種神宝の霊力で死者を蘇らせる。

 

 

 

 

「ひふみよいむな」=「十種神宝の霊力で死者を蘇らせる」と書いて、後に気になった。

 

「ひふみよいむなやこと」とは、

1〜10の数え方。

この数え方は、現在の数字の数え方ではない「言霊」。 

 

言霊とは、

「古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。 また、言葉に宿る霊の意。」

 

 

良寛さんの詩を、妄想解釈では、裏になり、天下春命がくれば飯野命(法然の祖)乞い、ふと、草の庵を出て 天津久米(紀氏)の三里に行けば 素戔嗚の 旧美馬郡穴吹町と美馬郡つるぎ町一宇村との境界に位置す八面山の尾根道にイの国の子孫らが 今を天下春命の時代と(糸=絹=)皇后「琉球十三マーイ」つく 十種神宝の霊力で死者を蘇らせる。河南省の嵩県から淮水に流れる「汝水(ジョスイ)川」がつけば、神のお告げを汚れから守る歌をうたい如水川が神のお告げを汚れから守る。お互いに呼応し龍・天村雲命現れる。長く続く天孫降臨の警護三十二神の一神で武蔵の秩父国造らの祖・天下春の日に照らされて 暮らすでしょう。

 

 

吾妻川の「吾」とは、良寛の「・・・吾(あ)はうたひ 吾(あ)がつけば 汝はうたひ つきて唄ひて 霞(かすみ)立つ 永き春日を 暮らしつるかも」「妻」とは「・・・(糸=絹=)皇后「琉球十三マーイ」つく 十種神宝の霊力で死者を蘇らせる 河南省の嵩県から淮水に流れる「汝水(ジョスイ)川」がつけば、神のお告げを汚れから守る歌をうたい 汝水川が神のお告げを汚れから守る お互いに呼応し 龍・天村雲命現れる 長く続く天孫降臨の警護三十二神の一神で武蔵の秩父国造らの祖・天下春の日に照らされて 暮らすでしょう」沖縄経由で、河南省の嵩県から淮水に流れる汝水川の地域と関係の皇后なのではないか。つまり、吾妻とは、天皇と皇后ではないか

 

 

 

「先代旧事本紀」には、ひふみ祓詞と布留の言を唱え、十種神宝を振り動かすことで、死者を蘇らせることができると伝えられているそうです。
この布留の言と十種神宝を用いて、神武天皇の長寿を祈ったことが、宮中における鎮魂祭の起源になったとされているそうです。

 

先の探検では、

お盆は、餓鬼道に落ちた鬼道使いであるイの国の日巫女(ヒミコ)の弔いであった。

手毬は、皇后。

鬼道とは、ひふみ祓詞と布留の言を唱え、十種神宝を振り動かすことで、死者(先祖魂)を蘇らせることができるものだったんじゃないかと感じました。グラサン

 

 


訳あって、つづく


真顔