![グラサン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/036.png)
瑜伽神社=法相宗=稲飯命
金=赤=水銀朱
日本最古の水銀朱採掘跡は阿波
役行者が神験に遭った霊鷲山とは、讃岐の鷲ノ山と妄想。
金毘羅(稲飯命)と瑜伽神社(法相宗)とセットでお参り。
唯識説=阿頼耶識の転変=瑜伽行派=阿閦如来=大日如来の東方=不動金剛
興福寺(南円堂=藤原北家)=法相宗
=四国八十八霊場15番札所・薬王山金色院国分寺
(高松市塩江町)
別名:法師ヶ嶽不動尊天台宗山門派。元は修験道寺院。御本尊 不動明王。高松藩主松平家の祈祷所。1574年、清雅法印の開基。1662年、伊予国明石寺から分立。明治10年に寺号を復し天台宗寺門派園城寺の末寺。昭和21年に比叡山延暦寺末寺。本堂には、御本尊不動明王のほか、毘沙門天、神変大菩薩(役行者)、智証大師(俗姓は和気、空海の甥もしくは姪の息子)をお祀り。毎年、大般若経の転読。大般若経は西遊記の三蔵法師玄奘がインドから持ち帰り、翻訳したと言われる経典。
毘沙門天はガンダーラで成った。
![ポーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/040.png)
法然率いる浄土宗
法然は「平等」
住連の「美声」
安楽の「音楽の才能」
で国民の平等を説いた。
ザ・ブルーハーツのようなやさしさを感じる!
ブルハは宗教ではないが、当時の法然らの「南無阿弥陀仏」とひたすら唱える専修念仏は当時としては、パンク音楽だったのでみんな熱狂したと妄想する。
上から下への宗教ではなく、個々の心が欲する信仰だったんだと大妄想する。
大峯、熊野、御嶽、葛城など各地で険しい山谷を歩き修行。
平清盛の命で作られたため池「平池(へいけ)」
高松藩松平家の法然寺墓地前から中寺廃寺跡(まんのう町)方向を望む(ちょうど日差しの方向の奥の山上)この墓地がある山は、元、滕神社(ちきりじんじゃ)があった場所。祭神・稚日女命は、天照大神の妹または、幼い天照で、大神の御衣織女(衣服を織る女)と伝えられている。 ちきり:機織りの道具
気になる歌
良寛とは、備中玉島(現・岡山県倉敷市)の曹洞宗の補陀落山円通寺(本尊は聖観音菩薩)の国仙和尚を"生涯の師"と定め、師事。
良寛
冬籠り 春さり来れば
飯(いい)乞(こ)ふと 草の庵を
立ち出でて 里にい行けば
たまほこの 道のちまたに
子どもらが 今を春べと
手毬つく ひふみよいむな
汝(な)がつけば 吾(あ)はうたひ
吾(あ)がつけば 汝はうたひ
つきて唄ひて 霞(かすみ)立つ
永き春日を 暮らしつるかも
みょーに気になる
霞とは
『万葉集』の頃は【霞】と【霧】とは呼び分けられていなかったが、平安時代以降は春立つものを【霞】、秋立つものを【霧】とする伝統的季節美の概念が成立。
霞=霧
王仁(わに)
「難波津に さくやこの花冬ごもり 今は春べと さくやこの花」
傘松道詠
「春は花 夏ほとゝきす 秋は月 冬雪さえて冷(すず)しかりけり」
これまでの探検で、解釈すると、
天下春命=桜=コノハナサクヤヒメ=神阿多都姫と妄想
夏=ほととぎす=イの国
秋=月=月夜見命=西照神社・大瀧寺
冬=雪=冷=寒=寒川=鰐川(難破津=津田湾にそそぐ)
なんてね。
イの国探検隊的に解釈してみれば、
冬籠り 春さり来れば
(裏になり 天下春命がくれば)
飯(いい)乞(こ)ふと 草の庵を
(飯野命乞い ふと 草の庵を)
立ち出でて 里にい行けば
(出て 天津久米の三里に行けば)
たまほこの 道のちまたに
(素戔嗚の 旧美馬郡穴吹町と美馬郡つるぎ町一宇村との境界に位置す1,312.3m八面山の尾根道に)
子どもらが 今を春べと
(イの国の子孫らが 今を天下春命の時代と)
手毬つく ひふみよいむな
((糸=絹=)皇后「琉球十三マーイ」つく 十種神宝の霊力で死者を蘇らせる)
汝(な)がつけば 吾(あ)はうたひ
(河南省の嵩県から淮水に流れる「汝水(ジョスイ)川」がつけば、神のお告げを汚れから守る歌をうたい)
吾(あ)がつけば 汝はうたひ
(如水川が神のお告げを汚れから守る)
つきて唄ひて 霞(かすみ)立つ
(お互いに呼応し 天村雲命現れる)
永き春日を 暮らしつるかも
(長く続く天下春の太陽に照らされて 暮らすでしょう)
続けて書けば、
裏になり 天下春命がくれば
飯野命(法然の祖)乞い ふと 草の庵を
出て 天津久米(紀氏)の三里に行けば
素戔嗚の 旧美馬郡穴吹町と美馬郡つるぎ町一宇村との境界に位置す八面山の尾根道に
イの国の子孫らが 今を天下春命の時代と
(糸=絹=)皇后「琉球十三マーイ」つく 十種神宝の霊力で死者を蘇らせる
河南省の嵩県から淮水に流れる「汝水(ジョスイ)川」がつけば、神のお告げを汚れから守る歌をうたい
如水川が神のお告げを汚れから守る
お互いに呼応し 龍・天村雲命現れる
長く続く天孫降臨の警護三十二神の一神で武蔵の秩父国造らの祖・天下春の日に照らされて 暮らすでしょう
花山法皇によって観音巡礼が再興。
那智山青岸渡寺での修行中、枕元に現れた熊野大権現から、徳道上人の定めた観音霊場を再興するようにとのお告げを受け、中山寺に納められていた(会津さざえ堂にあった観音像)33の宝印を探し出した。
そして、圓教寺の性空上人、中山寺の弁光上人、石川寺の仏眼上人を伴い、33の札所寺院を巡礼し、観音菩薩の功徳を世に広めた。
33札所
第1番 青岸渡寺
補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬
ふるさとを はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くなるらん
第3番 粉河寺
父母の 恵みも深き 粉河寺 ほとけの誓ひ たのもしの身や
深山路や 檜原松原 わけ行けば 巻の尾寺に 駒ぞいさめる
参るより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲
岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭にいさごも 浄土なるらん
けさ見れば つゆ岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり
いくたびも 参る心は 初瀬寺 山も誓いも 深き谷川
第9番 興福寺南円堂
春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲
第10番 三室戸寺
夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波
第11番 上醍醐寺
逆縁も もらさで救う 願なれば 准胝堂は たのもしきかな
第12番 正法寺(岩間寺)
みなかみは いづくなるらん 岩間寺 岸うつ波は 松風の音
第13番 石山寺
後の世を 願う心は かろくとも ほとけの誓い おもき石山
いで入るや 波間の月を 三井寺の 鐘のひびきに あくる湖
昔より 立つとも知らぬ 今熊野 仏の誓い あらたなりけり
第16番 清水寺
松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん
第17番 六波羅蜜寺
重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば
第18番 頂法寺(六角堂)
わが思う 心のうちは 六の角 ただ円かれと 祈るなりけり
第19番 行願寺(革堂)
花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん
第20番 善峯寺
野をもすぎ 山路に向かう 雨の空 善峯よりも 晴るる夕立
第21番 穴太寺
かかる世に 生まれあう身の あな憂やと 思わで頼め 十声一声
第22番 総持寺
おしなべて 老いも若きも 総持寺の ほとけの誓い 頼まぬはなし
第23番 勝尾寺
重くとも 罪には法の 勝尾寺 ほとけを頼む 身こそやすけれ
第24番 中山寺
野をも過ぎ 里をも行きて 中山の 寺へ参るは 後の世のため
第25番 清水寺(播州清水寺)
あわれみや 普き門の 品々に なにをか波の ここに清水
第26番 一乗寺
春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる 法の華山
第27番 圓教寺
はるばると のぼれば書寫の 山おろし 松のひびきも 御法なるらん
第28番 成相寺
波の音 松のひびきも 成相の 風ふきわたす 天の橋立
第29番 松尾寺
そのかみは 幾世経ぬらん 便りをば 千歳もここに 松の尾の寺
第30番 宝厳寺
月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 船に宝を 積むここちして
第31番 長命寺
八千年や 柳に長き 命寺 運ぶ歩みの かざしなるらん
第32番 観音正寺
あなとうと 導きたまえ 観音寺 遠き国より 運ぶ歩みを
第33番 華厳寺
世を照らす 仏のしるし ありければ まだともし火も 消えぬなりけり(現在)
万世の 願いをここに 納めおく 水は苔より 出る谷汲(過去)
今までは 親と頼みし 笈摺を 脱ぎて納むる 美濃の谷汲(未来)
番外 花山院菩提寺
有馬富士 ふもとの霧は 海に似て 波かときけば 小野の松風
番外 元慶寺
待てといわば いともかしこし 花山に しばしと啼かん 鳥の音もがな
番外 法起院
極楽は よそにはあらじ わがこころ おなじ蓮の へだてやはある
補陀落
![ゲロー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/038.png)
「白飯は久しい米、飯盛山探検」としては登頂かな?
今日のところは、このへんで
ではまた。