すイの国探検隊ファンの皆様、鰐積の皆様、アマでありカミでもある皆様、こんにちは。

イノクニタンケンタイ雑用係の日月ホトトギスです。セキセイインコ青
 

 

 

 

「祈 天の王」

なんや?

峠道峠の頂上付近にあるお地蔵さんの雨よけ内側にこの張り紙

天の王とはだれだ?

 

天の王(てんのおう)とは、

正教会において最も頻繁に用いられる祈りの一つ。

他教派も含め、祈祷文においてイイスス・ハリストス(イエス・キリストの中世ギリシャ語読み)を指して天の王と呼ぶ事例が多い。

聖神の助けを願う正教会での祈りについては、「天の王」は聖神の助けを願う祈りで、聖俗の場面の別無く、信徒によって何かが始められる時に使われる。
あらゆる奉神礼・公祈祷において冒頭に唱えられるまたは、歌われる。それのみならず、各種教会行事の始まりにも唱えられるか歌われるかする(ただし復活大祭後の復活祭期のみは「パスハの讃詞」に代えられる)。

また、私祈祷の冒頭の祈祷文であり、日々、仕事等、何かを始める前に唱える事が推奨されている。
ユダヤ教,キリスト教の祝日。
旧約聖書に見られる五旬祭(《出エジプト記》34:22,《レビ記》23:15,《申命記》16:9)は、イスラエル民族のカナン定住後、農耕儀礼として起こったユダヤ教の三大祝日の一つ。東方のキリスト教の一派、ギリシア正教では、ユダヤ教の過越の祭のころキリストの復活のできごとが起こり、その50日目に聖霊降臨が起こったので五旬祭と呼んだ。その五旬祭においては、讃頌(ステヒラ)の一つとしても歌われる。

 

 

・・・だって、

ただのどこぞの信仰宗教の張り紙かも・・・高い仏壇も壺も買わないぞ

だが、なぜかつて那羅街道とよばれた場所の峠頂の地蔵雨除けに・・・

 

 

 

 

 

 

 

香川県の富田茶臼山古墳あたりから徳島県へ向く道

峠の頂上付近

 

五名地区、徳島県への下り

 

 

(五名活性化協議会 公式ページを参考に)

四国霊場八十八ヶ所結願の地 矢筈山・女体山系の懐、東かがわ市五名(ごみょう)地区は、阿波国と讃岐国を南北に隔てる阿讃山脈の分水嶺。降った雨はここを境に、北は播磨灘 東は紀伊水道へと流れ出る。 瀬戸内海の源流であり吉野川水系の上流でもある 自然豊かな五名地区には、古き良き日本の原風景がそのまま残されている。


古道「難波奈良街道」
現在の香川県道・徳島県道2号 「津田川島線」
徳島県山川町)やアーク伝説の剣山もほど近い。

五名地区の宮川は、日開谷川を経て吉野川(徳島県)に合流している。
五名地区のある民家(裏山)から単独出土した"独鈷石"。独鈷とは、真言宗の僧侶の持つ修行道具で、よく似た形の縄文石器に "独鈷石" があるが、独鈷石は主に東日本に多く、西日本にはあまり例がない。

難波・奈良街道は、現在の津田・川島線であり、難波津(津田)~大坂(五名)~奈良(奈良坂)までの古道を指す。五名では、"おこっつぁん"の愛称で親しまれる高越山(徳島県山川町)やアーク伝説の剣山もほど近い。

 

白鳥=魂のタケルさん。飛羽山=飛んだ地は松林の中にある白鳥神社と日本一低い山、御山「魂のタケルさんが飛ぶ御山の松は、私と同様に恋しく待っている」白鳥神社の元宮は、徳島県石井町白鳥にある白鳥宮。「古事記」に出てくる「比婆山」は高越山(こおっつぁん)と言いわれていて、高越神社があり、式内社の阿波國美馬郡「伊射奈美神社」と比定されているそうです。魂のタケルさんが飛んだ高越山、その松の辺りには伊邪那美が埋葬されていて、出雲国と伯伎国の境界ということになる

 

魂のタケルさんが飛んだ高越山、その松の辺りには伊邪那美が埋葬されていて、出雲国と伯伎国の境界ということになる。前からなんとなく思うところ、出雲とは、イの津の藻=イの国の港の詞(魂)”イの国の重要な港”ではなかろうか?で、伯伎とは、・・・わからん。教えて!竹林上人!

 

五名の由来
日下・鈴竹・大楢・長野・払川
五名村、永禄中(一五五八ー七〇)、木村京祥阿波より来たりて開く。天正中(一五七三-九二)、その五人の子がそれぞれ五地区の名主となり、五名という。

1890年(明治23年)2月15日 - 町村制施行に伴い、寒川郡五名山村(ごみょうさんむら)が発足。

 
 

もとは寒川郡の「難波郷」に属していて、その後「五名山村」改め「五名村」となる。
■日下 「九坂」、「草壁」とも書く事から推して「日下部氏」に縁故のある事は確実と思われる。
鈴竹 篠の古名、篠竹(すずたけ)が語源のように思われる。女体神社のお堂、銅鉱山跡がある。 
■大楢 「大奈良」と書いたものもあり、奈良は「ならす」、「平城京」とあるように平地であることに語源がある。大坂峠がある。
■長野 道々路(どどろ)の滝、大楢の境目との八丁坂、四ツ足堂峠、平家落人の墓がある。
■払川 昔、女体山を大蛇がとり巻き、民を恐怖のどん底におとしいれていた際、通りがかった行基菩薩がこの川に入水し身を清め、大蛇を伏せたという一説と、空海が女体山の下の地獄谷において悪鬼を退治した後、禊(みそぎ)をしたので「祓川」改め「払川」という名が起こったという説がある。杖立峠は、空海が四国巡錫のみぎり、ここに杖を立てて休まれたといわれる。

 

 

 

 

 

お地蔵さん近くには、鴨部下の庄の方が、石ユ(石工)成就を願って?設置されているようです。

よくわからんが

 

これも峠の道

香川県側

県道2号線

 

昔は那羅街道

らしい

 

那羅とはなんだ?

 

那羅延天(ならえんてん)とは、

バラモン教・ヒンドゥー教の神ヴィシュヌが、仏教に取り入れられ護法善神とされた。
「那羅延」とは、ヴィシュヌの異名
「ナーラーヤナ」の音写。
音写として毘瑟笯(びしぬ)、毘紐(びちゅう、びにゅう)、毘紐天(びちゅうてん、びにゅうてん)とも。
大力がある「勝力」と訳され、仏・菩薩の堅固を譬えて那羅延身、那羅延力という
『無量寿経』では、法蔵菩薩(阿弥陀如来)が誓願(四十八願の第二十六願)の中で、自分が建設する極楽浄土における求道者が「ナーラーヤナ神が金剛で打つような体」を持つようにすると語っている。
また『大智度論』では、ヴィシュヌ神を漢訳して遍悶といい、四臂にして貝を捉り輪を持し金翅鳥に騎す。
敦煌の仏教壁画などでは、ヒンドゥー教のヴィシュヌのように
迦楼羅(ガルダ)に乗った姿

金翅鳥(こんじちょう)とは、ヒンドゥー教のガルーダ仏教の迦楼羅の別名

もしくは独自の伝承を持つ霊鳥。

仏教の経典中にみえる一種の大鳥。 両翼をのばすと三三六万里あり、金色で、口から火を吐き龍を取って食う。
密教では、仏法を守護し、衆生を救うために仏教の世界観 において最高位の一つである 梵天界の主梵天が化した。

オッス、おらガルダっす

 

 

 

 

 

 

 

長尾は何のしっぽ?⑧の番外です。にやり

 
 
探検してると、〇〇尾とか、尾がよくでてくるように思います。
例えば、石清八幡宮、長寺、張など
 
菅原道真さんの友、明印さんの長尾寺
屋島の戦いへ向かう源義経が前を通ったであろう長尾寺
村上天皇の血筋と妄想の静御前、その母、磯禅師が得度の長尾寺
 

長尾寺はしっぽ関係では気になりまするビーグルしっぽ猫しっぽ牛しっぽ熊しっぽ黒猫しっぽ

 

 

長尾寺流れ星御詠歌
「あしびきの山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがら御名を唱えよ」
山鳥の尾。
なぜ山鳥の尾?うーん
 
 
 
 
本道はいづこ・・・叫び
 
大阪~奈良の長尾街道(ながおかいどう)は、大仙陵古墳(伝、仁徳天皇陵)から奈良葛城の長尾神社への道です。
 
讃岐の富田茶臼山古墳から阿波の那羅そして葛城は、大きな古墳から葛城、似てます。グラサン
 
 
讃岐にも「長尾街道」があり、脇道ばかりですが妄想探検中です。グラサン
 
 
讃岐の常盤橋~長尾寺の長尾街道(ながおかいどう)とは、
江戸時代に高松藩によって讃岐(高松)五街道として制定された旧街道(高松藩街道)のひとつ。
香川県道10号高松長尾大内線の旧道にして前身。
江戸時代当時、玉藻(高松)城外堀に架けられた常磐橋を起点とした、四国八十八箇所第87番札所長尾寺への東讃地域東西より延びる参拝道路の性質を持つ旧街道。
 
 
 
ごめんなさい。
霊気が濃いので、電子レンジがやばいので今日はこれだけです。
 
ではまた。
オエー