途中、讃岐五名と阿波境目において
十二社権現様、熊埜大権現様から
阿弥陀如来=本宮
薬師如来=新宮
暴れ川だった吉野川の氾濫に備えてか、高いです。
そして、志度寺の石仏とよく似た高い座に座る形
志度寺の悲願金剛
高い座をみると
「大悲願王尊」
静御前と磯禅師が讃岐に帰り一時身を寄せていたと妄想した釋王寺本堂扁額「大悲」
志度寺の石仏の「悲願」
さらに徳島県の多田満中さんの悲願寺
を合わせているような「大悲願王尊」の文字
なぜ王?そして、それ誰?
やはり紀氏、武内宿禰、モモソヒメ関係の第8代孝元天皇なのか?
竹の内の媛そして西を照らす月、作者候補の紀貫之と言えば・・・
大悲殿
志度寺の悲願金剛
更に違う面
「大灌頂光明真言 一百万遍供養建立」
何か百万遍供養のためのようです。
洪水の死者の為でしょうか?
だとしても、なぜ大悲願王尊なのでしょう?
被災者供養で良いのでは?
百万遍といえば、
虚空蔵菩薩御真言
「ノウボアキャシャギャラバヤオンアリキャマリボリソワカ」
「無尽の智慧と福徳を持つ虚空蔵菩薩よ、寶冠の如くの福智を与え、悟りの境地に導きたまえ」
空海が百万遍唱え明星が口に飛び込んできたとのこと
灌頂とは
菩薩の位にあって、仏が成仏を約束する意味で行なう、仏位受職の儀式。
※観智院本三宝絵(984)下「灌頂のおこりを尋れば〈略〉この法を受ものには水を持て頂にそそぐ、これによりて灌頂とは云也」 〔華厳経探玄記‐五〕とある真言密教の儀式の一つとのこと。
大きく分けて、「伝法灌頂、学法灌頂、結縁灌頂」の三つがあるそうです。
日本では、805年に日本天台宗の開祖最澄が、高雄山の神護寺で初めて灌頂を行ったといわれ、最澄は渡唐の際に龍興寺の順暁から「秘密灌頂」を受け、後年、真言宗の開祖である空海が伝来した金剛界・胎蔵界の両部の「結縁灌頂」も受けたそうです。
光明真言(こうみょうしんごん)は、
正式には不空大灌頂光真言(ふくうだいかんぢょうこうしんごん)という密教の真言。
密教経典である「不空羂索神変真言経(菩提流志訳)」や「不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言(不空訳)」に説かれる。
不空成就如来が大日如来
阿閦如来、宝生如来が阿弥陀如来
と解釈され、金剛界五仏(五智如来)に対して光明を放つように祈願している真言。
つまり
「大灌頂光明真言」とは、
菩薩が成仏を約束する儀式で、
「金剛界の五仏様、光を放ってください!」と、お願いなんだな。
百万遍供養します(した)なのだろう。
以前、薬師如来を探検したときの妄想では、
弘法大師は「五大尊明王」を描いて、それらは「大日如来、 阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来(烏枢沙摩明王)」。
この内、宝生如来以外は、釈迦如来ともとれ、密教の本尊であり一切の諸仏菩薩の本地である大日如来=天照大神に収束できる。
なお、宝生=宝幢であれば、ぶれなく五大尊明王はすべて天照大神を表すとも妄想できる。
と行き着いた。
「五大尊明王」
つまり、金剛界の五仏様といいつつ、
「天照大神様、光を放ってください!」
と、お願いしているのだと妄想します。
T字交差点を左に
東へ
そして南へ
先に吉野川にかかる橋が見えている
はい、いきなりですが
吉野川渡ってます。
沈下橋(学島橋)阿波側から讃岐方面を望む
気持ちいい!ええ感じ
水の色は青丹(緑色片岩)の影響だと
那羅山を越え、葛城を望み歌を詠む(紀54、磐之媛の歌)
「つぎねふ 山背河を 宮沂り 我が沂れば 青丹(あおに)よし 那羅(なら)を過ぎ 小盾(こだて) 大和(やまと)を過ぎ 我が見が欲し国は 葛城高宮(かつらぎたかみや) 我家(わぎへ)のあたり 」
山背に戻り、宮室を筒城岡の南に造る
東方の下流方向
昔の橋の跡の木材か?
葛城方面を望む
遠くの山は「高越山」(比婆山)
以前のブログでは、ネット探検すると、
「古事記」に出てくる「比婆山」は高越山(こおっつぁん)と言いわれていて、
高越神社があり、式内社の阿波國美馬郡「伊射奈美神社」と比定されているそうです。
魂のタケルさんが飛んだ高越山、その松の辺りには伊邪那美が埋葬されていて、出雲国と伯伎国の境界ということになる。
「比婆山」の高越山
なごみます
おにぎりでピクニックしてお昼寝したい
傷心で来た媛様も見たんだと、
「磐之媛様!奈良(那羅)が見えまする!」
妄想
美しい吉野川と高越山の景色の余韻を残して
今回はここまで
奈良漬は買えるのか?
ではまた