イの国探検隊ファン、海を渡って来た龍、爬虫類関係の皆様もこんにちは。
🐉🐢🐊
①の続きです。
が、
その前に①で通過した志多張神社で、気になったことがあります。
志太張神社祭神・天下春命は、八意思兼神の御子神で、武蔵秩父国造等の祖。
四国、讃岐にゆかりの多い神ではない。
志多張の張は、
張=垂=春=治=ハリ
だと。
では、以前の探検で「庵治=阿地」でした。
ならば、「阿治」とも?
庵治から東の日に向かい淡路島方面をのぞむ
志度寺縁起の海女の玉獲りの龍は、善女龍王(ぜんにょりゅうおう)。
八大竜王の一尊で、沙掲羅龍王(しゃかつらりゅうおう)の三女。
海女の玉獲り
庵治の山上には八大竜王、帝釈天
雨乞い対象の竜王の一尊で、神泉苑、金剛峯寺、醍醐寺、川崎大師、成田山新勝寺、高尾山薬王院など鎮守として祀られる「清瀧権現」と同一視。
清瀧権現は日本に飛来し複数の寺を巡った後、900年ころに聖宝により現在の安置所である醍醐寺山頂に降臨し留まった。以後同寺に伝えられる真言密教を守護する女神となった。龍に善悪あるが、善女龍王は害を加えない善龍であり、真言の奥義を敬って出現した8寸(2.5cm)の金色蛇で9尺(3m弱)の蛇の頂上に位置するという。空海が神泉苑で請雨修法の際に出現したという。
明治の神仏分離令以降は祭神を「大綿津見神」に変更する例がある。
蘇民将来伝説では、牛頭天王(スサノオ)が竜宮まで赴き、娑竭羅龍王の娘「婆梨妻女」頗梨采女(はりさいじょ)をめとり后の話があるとのことで、
「婆梨妻女(波利采女)」=「善女龍王」ととれる。
波利采女の名前の由来は梵語のハリ(=水晶)の説がある。
中世以降は牛頭天王とスサノオと陰陽道の方位神が習合・同一視され、牛頭天王の后「婆梨妻女」=歳徳神(年神、歳神、大年神)=櫛稲田姫とみなされる事もあったとのこと。
つまり、
婆梨妻女=大歳神(大歳御祖神)=櫛稲田姫
素戔嗚尊⇒櫛稲田媛命、邇邇芸命⇒木花咲耶姫、ならば、大歳御祖神=木花咲耶姫=櫛稲田媛命
沙掲羅龍王とは、
法華経・提婆達多品に登場する八歳の龍女はこの龍王の第三王女で「善女(如)龍王」と呼ばれ、空海が新しく名付けることとなった清瀧権現も唐からついて来たこの娑伽羅龍王の同じ娘の事である。
8歳で重なるのは孝霊天皇の娘で桃太郎の姉
セカチュウロケ地、庵治にある桜八幡神社。
元は木花咲耶姫を祭る神社で、後ろの正面には大歳神を祭る。
イ探妄想では、
善女龍王=婆梨妻女=大歳御祖神=木花咲耶姫=櫛稲田姫
となる。
単純にてきとーな妄想でしたが、志度寺縁起の海女の玉獲りの龍は木花咲耶姫であり櫛稲田姫であると目の前に具現化してしまいました。
引いては、木花咲耶姫(櫛稲田姫)は、龍(蛇)=海神=鰐=和邇=亀=丸、なのだと。
ハリからの道草の妄想探検をしてみる
張=垂=春=治=ハリ
張(ちょう)
漢姓の一つ。
たるみなく、のびたり、ふくらんだり、開いたりすること。また、その具合。
垂
たれること。また、たれているもの。
紙垂は、「神聖・清浄」の標章。紙垂を注連縄(しめなわ)に垂らして神域や祭場に用いた場合は、聖域を示す象徴となる。
玉串(たまぐし)は、榊に紙垂を付すことで、遷霊されるもの。榊だけでは神の依り代とはならない。
日本語では「垂づ(しづ)」「しだれる」という意味合いがあり、紙がなくても「し」と発音。
元々は紙ではなく木綿(ゆう)が用いられていたが、現在では半紙を用いるのが一般的です。
紙垂は雷光や稲妻をイメージして作られたものであり、神域にやってくる邪悪なものを追い払うという意味合いがある。
春
枕詞は「あづさゆみ」。「弓を張る(はる)」にかけた。
シンボリズムでは、春が到来すると、冬の寒さと長い夜による過酷で抑圧された生活から解放されることから、「抑圧からの解放、自由の空気の到来」の比喩。
清少納言『枕草子』:春は曙
曙とは太陽の昇る明け方のこと。日本の伝統色の名のひとつ。曙色とも。
山上憶良『万葉集』:春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつや春日暮らさむ
春日井郡(かすがいぐん)
愛知県(尾張国)にあった郡で、当初は春部郡(かすがべぐん)と書かれていたとのこと。
飛鳥京からは「尾治国春部評池田里・三家人部 米六斗入」と書かれた木簡が見つかっており、春部評が置かれていた。
その後701年の大宝律令の制定により評は郡となった。
927年成立の延喜式には春部(かすかへ)郡との記載がみられ、戦国時代には山田郡の一部を編入。
治
世の中のよくおさまること。よい政治が国中にゆきわたること。また、そのようにすること。善政。治世。太平。
国をおさめること。政治。まつりごと。病気をなおすこと。
治部省(じぶしょう)
律令制に於ける八省の内の一つ。
外事・戸籍(姓名関係)・儀礼全般を管轄し姓氏に関する訴訟や、結婚、戸籍関係の管理および訴訟、僧尼、仏事に対する監督、雅楽の監督、山陵の監督、および外国からの使節の接待などを職掌。
しかし、平安時代以降は姓氏に関する事項を扱うことは少なくなり、894年に菅原道真の(唐は衰え、盗賊の危険も高まっているなど、政府や上役などに自分の意見を申し立てる)建白による遣唐使廃止以降、中国などとの正式な国交がなくなったことにより、外国からの使節の接待もしなくなる。
更には、戸籍制度の解体とともに戸籍関係の職務も遂行不可能になり、もっぱら僧尼、仏事、雅楽及び山陵の監督を職務とすることとなった。
よくわからん
庵治=阿治で、ア・ハリとも読める。
阿=始まりを表す。
治=水晶。水晶は、仏教において七宝の一つ。
始まりの宝=庵治
すみません・・・
庵治は、
「世界の中心」じゃなくて(世界の中心はウルのあるオーストラリアだよね~)
善女龍王=婆梨妻女=大歳御祖神=木花咲耶姫=櫛稲田姫を祭る桜八幡神社のある
日本の歴史的な、何かの
「大切な始まりの地」でした!
(言い過ぎじゃないかい)
前回の、内容から道草をたくさん食みました。
今日はこの辺で
ではまた。