今日も暖かい。しかし乾燥気味の天気のせいか風邪をひいている人が多い。昨日、読んだ矢川澄子
の本。矢川は本当に澁澤がすきだったようで様々な想い出を書いているが、澁澤との同棲の結果として
のこどもを何回か中絶していた。おたのしみの後始末はこちらが一方的に背負いこむ
そして
そんなことをいったら嫌われる?そう、その心配もさることながら、半面これは少女のもって生まれた気
質に深く阿る選択でもありました。少女はなんといっても自己犠牲が好きであり、みずから母になることを
拒んでまでも、目のまえの少年を仮想の母として庇うことを無意識のうちにえらんだのでした。
目のまえの少年を仮想の母として庇うという言葉に行き当ってやっぱりなあ。と思った。
土方巽のことも書いてあって、六十年代澁澤のところに色々な人種が集まってどんちゃん騒ぎを繰り広
げたが自分が頭一つ他の人間とは抜き出ているんだという自惚れを鼻にかけている者とは異なり心底、
控えめで朴訥な人柄であったようだ。
松山、加藤、澁澤という、いずれも東京の一人息子のやんちゃな小学生トリオがいつしかできあがって
いた。親しみを深めるにつれ、というより酒席のもりあがるにつれてそのたびにできあがっては崩れ去
る、他愛のないうたかたのごときものにすぎなかったかもしれないが。
土方はしかしつねにこの輪の外にあった。一座の男たちの中で彼だけが打ちとけきれず素面のまま、
あたら時間を浪費する悪童どもの狼藉ぶりをだまって悲しそうな目で見守っている。そんな情景にわたし
は幾度居合わせたことだろう。
そういえば、埴谷雄高のエッセィに埴谷の家での酒席で酒癖の悪い男が奥野健男にからんでいて義憤
にかられた土方と喧嘩になったことが書かれていた。澁澤との離別を親身になって心配してくれたのが
土方であった。
もう二十年くらいまえ、僕は草月ホールのロビーで土方巽を見たことがある。もう亡羊としている記憶だ
が鍛えられた体をもった大学の教授という雰囲気があった。立派な格を持った人という印象が残ってい
る。