やっと木曜日 | やるせない読書日記

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書評を中心に映画・音楽評・散歩などの身辺雑記
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やっと木曜日だ。昨晩は見る気もなかったが「オーラの泉」など見てしまう。あんなデタラメをいけしゃあしゃあと


言ってのける人間の神経は大したものだが、見てる方も暇つぶしとして面白い。「サド侯爵の生涯」の感想文を


あーでもないこれじゃ駄目と書く。今日の昼休み「ヴィスコンティを求めて」という本を読む。少年時代の凛々しく


美しいヴィスコンティの肖像画に魅入ってしまう。まるで萩尾望都の少年のようではないか。いい酒を飲んだと


きのようにこういうヴィスコンティは貴族だとかココ・シャネルと付き合いがあっただとか読んでいると情けないオ


ヤジなのになんか偉くなったような気がするから不思議だ。この本を読むとヴィスコンティはなんとトーマス・マン


と会っているのだ。


   ヴィスコンティはマンの『ヴェニスに死す』を映画化するが、五十年代にはマンの短編小説『マリオと魔術師』


   をバレエ化している。その際、彼はトーマス・マンと会ったが、さすがのヴィスコンティも緊張し青ざめていた


なるほど。それはそうだろう。ヴィスコンティにあっちの趣味があったのは有名なことだ。しかし女も愛せたらしい。


後期の「ドイツ三部作」(ヴィスコンティ家があるミラノは北イタリアで文化的にはドイツに近しいらしい)で頽廃、


美、死と言ったホモセクシャルの人特有の感性をもとに映画を撮ったけれど三島のように精神的な破綻をせず


にトーマス・マンのように踏み止まっていた。芸術と実人生を混同するようなことはなかった。映画のなかで自分


たち貴族階級や芸術家に対する批判や皮肉はヴィスコンティが完璧な大人だったことを証明すものでありこの


大人としての分別をもってして破壊的ではない生の静かなデカダンスを描きえたのだと思う。「ベニスに死す」


のDVDにメーキング映像が収録されていてヴィスコンティその人を見ることができるが、さすがにイケテル。


まああれだったら女でも男でも抱かれてみたいと思うのではないでしょうか。


夜になると流石に寒くなる。喉が痛くて酒が飲めない。


              

ヴィスコンティ