再びこの表紙。
文庫本をひっくり返して裏を見ると短い解説がある。
それでこの『母』は小林多喜二の母のことであると知った。
小林多喜二は読んだことがない。
なんとなく「楽しくなさそう」で、ちょっと避けて通っていた感もある。
でもこの『母』を読むなら、小林多喜二を読んでおくほうが良いに決まっている。
寧ろいい機会が巡ってきたと感じて、僕は『蟹工船』を探した。
すると高田図書館の棚にあった文庫版『蟹工船』は、こんなに楽しそうな表紙だった。
初めて読む小林多喜二は実に達者だった。
純粋に面白い小説だった。
どうも僕は社会科の教科書や近代文学史といった額縁にだまされていたようである。
桂文楽じゃないが「これなら好きなんで」
またこの本の、ちょこちょこ出てくる「旅案内」みたいな情報がとても面白く、僕は一気に小林多喜二を身近に感じるようになった。
これでこそ読んだ甲斐があるというものだ。
三浦綾子の『母』もぐっと近づいた。
『母』一冊を手にしたおかげで、百合子さんの本に再会したり、小林さんとお近づきになったりできた。
本のリレーはまだまだ続く。