今年の夏、A先生に「オオウバユリ」という植物を教えてもらった。
漢字で書けば「大姥百合」。
A先生とコーヒーを飲んだのはちょうど母の86歳の誕生日が近づいている時期だったので、初めて聞く花の名はすぐに母を思い起こさせた。
母は百合子という名だ。
趣味で絵を描き写真も撮るA先生は、植物や鳥に極めて豊富な知識をお持ちだ。
その先生をしてオオウバユリは殊更に惹かれる花らしい。
昨年大潟の自然公園でつぼみのオオウバユリを「発見」した興奮、忙しさに紛れてその開花を見逃してしまった後悔、今年また散歩でつぼみを確認できた喜び、公園の係員から別な生息地を教えてもらった幸運、そこでの散策の楽しさとその森との出会いの驚き。
物静かなA先生が淡々と語る口調の中に、この花への特別な愛着が滲んでいた。
斎藤陶斎も描いたというこの花を、まだA先生はその目で見たことがないのだ!
A先生の熱意に打たれ、つぼみがあるという「二寛寺の森」へ僕も行ってみた。
駐車場で長靴に履き替え、湿った下草を踏みしめながら進むと、A先生が見せてくれた写真と同じオオウバユリが数本見つかった。
まるでモスクの塔のようなつぼみである。
他にも何本かあったオオウバユリを僕はいちいちカメラに収めた。
たまたま車で訪れた黒姫高原では、助手席に同乗していた方が「いまのウバユリじゃない?」と路傍に立つ3本を見つけてくれた。
写真を撮ってA先生に見せると間違いなくウバユリと太鼓判をおして下さり、「黒姫高原にあるんですか!」と興奮なさっていた。
10日ほどのち、二寛寺の森へ行ってみるとオオウバユリは見事に開花していた。
僕が知っている観賞用のユリの、絢爛たる女王のような華やかなイメージとは一線を画し、野性的で飾らない、むしろ人を寄せつけないような高貴な佇まいの花だった。
A先生が「ユリの原種に近い植物ではないか」と仰っていたのも頷ける。
茎などこんなに太い。
黒姫高原でも開花を見ることができた。
A先生も同じ日の午後にこの花を見に行かれたらしい。
その後またA先生とコーヒーを飲む機会があり、この夏のオオウバユリとの出会いについて語り合った。
「うちの家紋をオオウバユリに変えようか」
傍らに座る奥様に、A先生は真顔で提案されていた。
最近あまり固有名詞にイニシャルを使わない僕が、この話の主人公を「A先生」と書いたのには理由がある。
僕よりずっと頻繁に、丁寧に日常を記しているA先生のブログに、この夏、オオウバユリとともにたびたび僕が「A氏」として登場しているのだ。
尊敬するA先生へのオマージュとしてこのブログを捧げる・・・というつもりで書きました。