直江津図書館で次の三浦綾子を探していたら、こんな本を見つけた。
ちょうどその頃岳夫が久しぶりに母と面会したこともあり、なんとなく気になって手に取ってみた。
次はこれを読もうか。
ふと思いついて館内の検索用パソコンに向かい、母の名を検索してみた。
2冊ヒットしてくれた。
書名と番号をメモしてカウンターの女性に渡した。
暫く待っていると、彼女は書庫からその2冊を持ってきてくれた。
懐かしい。
よくこんな「本」とも言えない印刷物が残っていたものだ。
新潟日報や上越タイムスに連載していたコラムを、どなたかがまとめて下さったものだったと思う。
その「手あたりしだい」に、新潟日報のコント欄で採用された短編小説を加えて編集したのが「てのひらの花びら」だ。
これも懐かしい。
当時何冊作ったのか知らないが、皆さんに差し上げて、今は父の家にも1冊しかないはず。
題字と絵は父の作だ。
久しぶりに、本当に久しぶりに母のエッセイと小説を読んだ。
短編小説(コント)が意外と面白い。
ちゃんと読んだことあったのかなあ?
当時、母と何かの会に出掛けたら、司会者が「エッセイストで小説家の」と母を紹介した。
なんとも大仰な肩書きに、母も片腹痛いという顔をしていた。
司会者からひと言求められて、僕はこう言った。
「エッセイストで小説家の母を、ウチでは略して『エセ小説家』と呼んでいます」
ポカンとする会衆と、母の大笑いが忘れられない。
三浦綾子の『母』。
おかげで杉山百合子さんの作品を楽しむ時間を持てた。
なんでもない表紙の絵も、今見ると趣深い。
染付のシンプルな茶碗は母の好みだし、挿された撫子も、こじつければ母の洗礼名の「マーガレット」に通じなくもない、、、とは些か無理筋か。
まあ、いい時間でした。
そしてこの『母』はもう1冊、僕に印象的な出会いを強いるのだが、それについては次回。