現代日本の大学入試制度は、想像力、思考力の疲弊をもたらすという武田教授の指摘は、一理ある。 | popo♪のブログ

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孔子も孫子も「治世救民」を天命として我欲のカケラもなかったそうです。「季布の一諾」が座右の銘として、孔子、孫子、老子、司馬懿に学んでいます。
ささやかながら幸運をお分けします。

ほとんどの大学入試は、知識を問うもの。
東大、京大も含めてそう言い切れる。

本を一回読んだら覚えるでしょという東大卒のゼミ仲間の暗記力には、驚かされた記憶がある。

ほとんどの予備校の授業では、「理数も含めて入試は暗記だ」というのが定石となっていることからもわかる。
暗記だから、思考力や感性が不十分でも合格という目的は達成できる。

このことは、大学入試に限らない。
司法試験や各種公務員試験をはじめとするほとんどの国家試験といわれるものが、暗記事項で構成されている。

逆に言えば、これらの試験に合格するのに、正常な思考力は要らないといえる。

武田教授が大学入試の問題点としているのは、ここだろう。

武田教授によれば、高度な学問研究をする人ほど、高度の倫理観が要求されるという。
つまりは、知識とは別の次元の思考力が、正常に働く人以外は、専門家には適していないということ。

これを現状に当てはめてみると、
福島原発の事後直後、メディアに登場した多くの原子力専門家といわれる人々の発言が、-あとでわかったことだが-突っ込みどころ満載で、正常な思考力はおろかまともな倫理感すら欠いていたのではと思われることが少なくない。

中には、「低線量被ばくは健康に良い」とシタリ顔で高言する専門家もいた。
※今考えれば、この人は、ホルミシス効果が免疫効果であることを理解していないことが分かる。「免疫効果」と「健康にいい」のとは次元が違う話。

言わば、これらのゆがんだ専門家を育ててきたのが、日本の大学入試制度といえるだろう。

だとすれば、下の記事のように、現在の入試制度の弊害を懸念する武田教授の指摘は、一理も二理もあると言えそう。

元予備校講師として、現在の高校入試、大学入試で合格を勝ち取る方法を述べよと言われれば、思考力を封印して暗記に専念することを挙げるだろう。

そして、暗記を得意とする子供を育てるには、小学校低学年の内から暗記が楽しくなることに重点をおく学習習慣をつけるといい。

すくなくとも大学入試までは、暗記だけで完勝できる。
おそらくは、今の霞が関の中で生き続けるにも暗記力だけで十分だろう。

もちろん、実体経済や世界的な視野からは分断された部分社会の中だけで通用する方法であることに変わりはない。

アベノミクスそのものは、暗記が支配する霞が関の中から生まれた発想だから、実社会や世界で通用するはずもないことは容易に想像できる。

大学入試制度は、霞が関を支えるシステムの一つにすぎないという指摘もある。

武田教授のいうように、長期的展望に立って大学入試制度を全廃してみれば、日本の官僚システムが根底から変っていくのかも知れないね。


『大学入試(高校までの入試もその一つだが)をどうするかという問題は「個人と国家」という深いところに根ざしている。

日本でも大学入試のない高等専門学校生の方が学力が高いことはすでに客観的に証明されている。受験疲れと意味の無い試験問題の弊害は大きい。

すでにアメリカ、ヨーロッパは基本的には大学受験はない。
 高校時代の数回のテストのスコアーを使うか(アメリカ方式)、それとも大学はすべて同じでどの大学も行けるようにするか(ドイツ方式)、さらに全廃(フィンランド方式)がある。
 でも日本は日本方式でも良いので、誰でも希望すれば大学にいけるようにし、ただ卒業するには大学の科目ごとの試験を通らなければならないということにすれば良い。
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東大の解体も実質的に大学受験を無くし、どの大学でも入れるようになり、学歴社会がなくなれば自然消滅する。
(平成25年6月6日)』(武田教授のブログ)
http://takedanet.com/2013/06/post_8717.html