桜宮高校の体罰教師に対する批判の中、擁護の声も広がっているという。ここでもマインドコントロール? | popo♪のブログ

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孔子も孫子も「治世救民」を天命として我欲のカケラもなかったそうです。「季布の一諾」が座右の銘として、孔子、孫子、老子、司馬懿に学んでいます。
ささやかながら幸運をお分けします。

体罰教師に対する非難がある一方で、擁護する声もあがっているという。

下の記事でみられる擁護論をあげてみると。

1.「体罰は愛情の裏返し」
2.「体罰の裏側には愛情があった。先生が暴力教師のように報道されていることに納得がいかない」
3.「先生はバスケの指導がズバ抜けていた。」
4.「高校生としてどうあるべきかを教えてくれた。それは人としての気遣い。」
5.「マスコミは先生やバスケ部の真実を知らないまま報道していて許せない」
などなど。

これらを見ていると、彼らは、勘違いをしつつ、次元の違う話を混同をして述べている。
たとえば、

まず、殴る・蹴るなどの行為を体罰と称しているが、それは「体罰」ではなく、刑法上の犯罪であること。

また、「体罰(=暴力)は、愛情の裏返し」といっているが、意味不明。どういう根拠でそういえるのか。この言葉は、暴力をふるう側の言い訳にすぎない。
だとすれば、そういう指導の下で何の疑問も抱かず育った生徒は、将来、暴力教師になる公算が高いということだろう。

さらには、「指導がずば抜けている」というが、暴力問題とは、全く別次元の話。
「この先生は教科の教え方がピカイチ。だから痴漢してもいい。」というのと同じ。

この学校の在校生の意見をわずかながら記事で見ていると、どうやら、教師や学校の都合のいいようにマインドコントロールされているように見える。

彼らが、暴力行為を『体罰』と言っているのは、暴力を『体罰』と言い換える、言葉のすり替えに陥っていることに気が付いていないからだろう。

前述のように、「体罰は愛情の裏返し」という誤魔化しは、暴力をふるう側の言い訳に過ぎない。
生徒やOBが、このトリックに気づいていないこと自体が、やっかいな問題なのかも知れない。


『体罰顧問は土下座した…涙して擁護するOBもいる桜宮バスケ部顧問の「素顔」
産経新聞 1月19日(土)15時42分配信
 バスケ部主将が自殺した大阪市立桜宮高校。体罰を続けていた顧問を擁護する声が、教え子たちからはあがっている(写真:産経新聞)
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 ■「暴力教師」納得できない

 「生徒が亡くなったので全面的に擁護はできない。でも、体罰の裏側には愛情があった。先生が暴力教師のように報道されていることに納得がいかない」

 約10年前に顧問から指導を受けていた同校OBの男性は現在の職場で取材に応じ、無念さをにじませた。
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 顧問に対して批判とともに広がる擁護の声。だが、教育評論家の尾木直樹氏は「体罰は法律違反。
 教育の場だけ認められるのはありえず、議論の余地がない」とした上で、「体罰をありがたがっている卒業生もいるようだが、それは、私は、人格をゆがめて卒業してしまっているのだと思う」と厳しい見方を示す。

 今回の自殺を受け、「部活動からの体罰一掃」を宣言している橋下市長もこう切り捨てた。

 「教員、生徒や保護者の意識の積み重ねでできた伝統が体罰を黙認して、生徒が命を落とした」 』(yahoo news)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130119-00000544-san-soci