仙台市の「原発意見聴取会」。東京新聞の社説VS産経新聞の社説。産経新聞は、論理破たんで大敗。 | popo♪のブログ

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孔子も孫子も「治世救民」を天命として我欲のカケラもなかったそうです。「季布の一諾」が座右の銘として、孔子、孫子、老子、司馬懿に学んでいます。
ささやかながら幸運をお分けします。

仙台市で「原発意見聴取会」で、東北電力や中部電力の幹部が、推進派の意見を述べたと言う。


そこで、東京新聞と産経新聞の社説を比較してみた。


結論から言うと、産経の惨敗。


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≪東京新聞社説の概要≫


そもそも「原発意見聴取会」は、政府が、広く一般国民の声を聴くといういわば情報収集が主な目的。

聴取会では、一般市民に限るべき。

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≪産経新聞社説の概要≫


電力会社の社員も市民。意見を聞くのは当たり前。

それを聴取会で排除するのはおかしい。

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おかしいのは、電力会社の意見をきけという指摘。

電力会社の社員の意見は聞かなくてもわかる。

「何が何でも推進」に決まっている。


この産経の社説の並外れた非常識さという点では、大津市教育委員会の沢村憲次教育長に似ている気がする。


産経には、「多様な意見を封殺するな」とあるが、「多様な意見」という表現は妥当ではない。

正確には、「電力会社の意見」というべきだろう。

ここに、御用メディアの言葉のごまかしがあるのは、だれが見てもわかる。


後ろめたさがあるのか、そうは言えないのだろう。

とすれば、ただジャーナリストとしての歪んだホコリは持っているらしい。


原子力ムラの住人が、国民の意見を封殺しようとするために、抽象的な表現で攻撃する手法は、原発事故以来、さんざん使われてきた。


何もかもごっちゃに論じる抽象的表現は、誤魔化しのために使われることが少なくない。

少しは進歩しているかと思った御用メディア。

が、たしかに後退してる。



★東京新聞

『原発意見聴取会 国民的議論に値せず  2012年7月18日 東京新聞 社説


 福島原発事故を経て、私たちは変わらなければならないはずだ。国民的議論の上で未来のエネルギー政策を決めるというのも、その一つ。だが、政府も電力会社も、その体質は変わっていない。

 これが、国民的議論の実態なのだろうか。


 仙台市で開かれた二回目の意見聴取会から、迷走が始まった。東北電力の執行役員が「会社の考え方」として、堂々と原発推進論を開陳した。

 翌日の名古屋でも、中部電力原子力部の課長が「放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」と述べた。

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 政府は今後、電力会社の職員は意見表明をできなくし、発言者の数を若干増やす。

 だが、その程度では、もう国民の多くは納得しない。


 国民的議論と言うのなら、今は結論を急がす、原発推進、反対、中立などさまざまな主体が運営する議論の場をもっと数多く開催し、不信の溝を丁寧に埋めていくしかない。』(tokyo-np.co.jp)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012071802000115.html


★産経新聞

『エネルギー聴取会 多様な意見を封殺するな 2012.7.18 03:20 [エネルギー] 産経ニュース


 エネルギーと環境の基本政策について国民の声を聞く政府主催の意見聴取会の運営方法が見直された。電力会社社員らが原発利用に関する考えを述べたことが批判されたためで、今後はこうした発言を認めないことにするという。


 だが、意見聴取会は原発を含めて将来の最適な電源構成を検討する場であるはずだ。電力会社社員が自らの知見を生かし、原発の必要性を訴えることが、なぜ問題視されるのか。

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 電源構成は国の将来を左右する重要な問題だ。野田首相は国民の意見を聞きながら、最終的に安価で安定的な電力供給を確保できる道を選ぶ責任がある。 』(msn news)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120718/plc12071803200003-n1.htm