久々のお高い懐石料理のお昼は、原子力ムラの住人を連想させただけ。リピーターにはなれそうにない。 | popo♪のブログ

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孔子も孫子も「治世救民」を天命として我欲のカケラもなかったそうです。「季布の一諾」が座右の銘として、孔子、孫子、老子、司馬懿に学んでいます。
ささやかながら幸運をお分けします。

昨日の土曜日のお昼は、何年かぶりに池袋で懐石料理をごちそうになった。


お値段は、それなりにするらしい。

が、味は好みに合わず、イマイチ。


まあ。ファミレスの味に慣れているせいかもしれない。

庶民の悲しさと言うか。


霞が関高官(⇔好漢)や政治家のお偉いさんたちは、こういう味に慣れているのかもしれない。

特にうらやましくもないが、そんな思いで池袋を離れて事務所へ。


帰りに、空を見上げると南の空に月と旅客機のコラボ。

さっそく、ツーショット。


どっちが霞が関でどっちが庶民なのだろうか。

小沢派VS野田派かも。

そんな邪念が頭の片隅をよぎったのでした。

空の色って方角によって違うんだね~と気づきました。


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(LumixFZ38 ×15~×20 Pモード pm6:00前後 2枚合成)


※シャッターボタンを押すことを「シャッターを切る」という。

この語源は、諸説あるらしい。


その1つに英語の"release the shutter"のメカニズムから来ているというのがある。

自分的にはもっともフィット感がある。


"release"には、機械の分野では「解き放つ」という意味があって、カメラの場合にもこれが当てはまる。

昔のカメラのシャッターは、金属板でできている。

いわゆるバネ式の機械シャッター方式。


シャッター板を作動させる準備として、バネを巻き上げて留め金をひっかけて止める。

留め金を外すとバネの復元力でシャッター板が動く。


この留め金を外す行為が「解き放つ行為」。

つまりは、「シャッター板を切り離す=シャッターを切る」となったというもの。


他に、光を切り取るという説や瞬間の映像を切り取るという説もあるらしい。

「シャッターで○○を切り取る」が「シャッターを切る」へと変化したということだろう。


ちょっと苦しいが、そういう解釈もありかもね。