脱原発デモの実効性を疑問視する意見に、小熊英二慶応大教授の「意味がある」という反論は一理ある。 | popo♪のブログ

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孔子も孫子も「治世救民」を天命として我欲のカケラもなかったそうです。「季布の一諾」が座右の銘として、孔子、孫子、老子、司馬懿に学んでいます。
ささやかながら幸運をお分けします。

自民の河野太郎議員は、脱原発デモより、地元の議員に直訴することを勧める。


これに対し、脱原発デモはそれなりの意味があるという小熊教授。

この意見は一理ある。


その意味は、「デモを行なうことでデモができる社会が作れる」ことにあるという。


デモは、メディアという手段を持たない庶民ができる一つの表現方法。

数が多くなれば、メディアへの対抗力も大きくなる。


デモに参加することで、自分と同じ考えの人たちが大勢いることが実感できる。

このことはメンタル面への影響が大きいという。


河野太郎議員は、脱原発派として活動している議員として知られている。

が、惜しむらくは、庶民目線よりも政治家の上から目線で見ているように見える。


デモの参加者が、地元の議員に直訴するより、デモに参加することを選んでいるのは、政治家に対する信頼感が薄れていることの証し。

河野議員も、このことに気がつくべきだろうね。


原発再稼働の住民投票を否定する石原都知事や橋下市長。

住民なんかに電力問題を任せられるか」と上から目線で見ていることは、確かだろう。


彼らは、地方分権を目指すと言いつつ、電力は国策によるべきという。

この時点で論理が破たんしている。


もう一つの疑問。

脱原発を主張する河野太郎議員は、なぜ、原発推進派の自民党に籍を置いているのだろうか。

よくわからない。



『核心対談 河野太郎(衆議院議員)×小熊英二(慶応大学教授) この国のかたちを考える
~現代ビジネス特別版~
2012年06月29日(金) 経済の死角

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これ以上、原発に頼るのは無理があると国民は肌で感じている。それなのに原子力ムラの人々は、3.11などなかったかのように再稼動に固執する。二人の論客が、このギャップの本質を抉り出す。

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たとえて言えば、旧日本軍の作戦のようなもの

河野-大飯原発がとうとう再稼働することになりましたね。福島の過酷事故でこの国の原子力行政がいかにデタラメだったかが明白になり、国民の信頼が地に堕ちたにもかかわらず、野田佳彦総理は一貫して再稼働に前のめりだった。


 では、その安全性を誰が判断したかというと、総理を含めた4大臣だというわけです。科学的知見など持ち合わせていない素人の政治家に原発の安全性などわかるはずがないのに・・・。本来、政治が決めるべきことと政治で決めてはいけないことを完全に混同していますよ。


小熊-おっしゃるとおりだと思います。


河野-車と同じだという理屈を持ち出したりもしますよね。事故も起こすけど、便利だから使っているじゃないか、と。でも、自動車には酔っぱらっているときは運転しちゃいけないというルールがある。それと同じで、原発だって安全基準が確立されていない場合は、稼働しちゃいけないんですよ。


 しかも、関西の電力が足りなくなるから再稼働するという。でも、その理由も怪しいんですよ。だって、関西電力の需給調整契約を見ると、去年3月末には260件あったのに、今年3月末にはわずか24件。需給調整契約とは、企業との間で、電力が不足する場合は節電に協力する代わりに料金を割り引く契約です。


 つまり、今年の夏に電力不足になることは去年からわかっていたんですから、需給調整契約を増やしておくべきだったのに、逆に減っている。これは「再稼働しないと大変な事態になる」とアピールするための瀬戸際作戦じゃないかと思う。


 関西電力も、経産省もわざと手を打たなかったんです。こんなことを許しちゃいけない。これでは原子力行政の信頼性がさらに失墜するだけです。ひょっとしたら、原発から撤退したくてこんなことしてるんですかと皮肉を言いたくなるくらい、酷い仕事ぶりですよ。
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河野-市民レベルの動きとしては、東京や大阪で原発の是非を問う住民投票をやろうという気運もありますね。でも、東京には原発はなくて、福島県や新潟県の原発でつくられる電力を東京都民が使ってきたわけです。


 ですから、東京の人たちが原発でつくった電気は使いませんと住民投票で決めるならば理解できるのですが、正直なところ、私は原発のない地域の人たちだけで原発の在り方を問う動きには、若干の違和感があります。

小熊-おっしゃることはよくわかるんですが、東京都は東電の大株主です。日本に国民投票という制度がないなかで、東電に対して都民が住民投票という形で意思表示をするのは、正当な政治回路からのアプローチの一つだと思います。


 福島の痛みがわかっていない東京人が反対運動なんかやって、という声もありますが、私は違うと思う。福島には放射能の問題で苦しんでいるのに、周囲に遠慮して「恐い」とすら言えない状態にある人もいる。東京が声を挙げることで、現地の人たちが声を出しやすくすることも必要です。東京の人が黙れば福島がよくなるわけじゃない。


 放射能汚染は全体の問題です。東京の手前で止まってくれるわけじゃないから、都民も広い意味では当事者です。ドイツのウルリヒ・ベックという社会学者が、「貧困は階級的だが、スモッグは民主的だ」という趣旨のことを言っています。

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 これだけのことがあってもデモも起きないような国であるなら、国政への関心が盛り上がるわけがないでしょう。「デモで何が変わるのか」という問いに「デモができる社会が作れる」と答えた人がいますが、まっとうです。


河野-確かに、そうかもしれませんね。福島原発の事故はまことに不幸な出来事であったけれども、それがきっかけで国民が政治に積極的に働きかけて、世の中が変わる第一歩になるとしたら、不幸中の幸いかもしれない。


小熊-そう思います。現に人々の政治的リテラシーは大幅に上がり、日本の社会構造の問題点を多くの人が理解するようになりました。これからの日本社会は、いやでも大きな変動期に入っていくと思います。

<「週刊現代」2012年6月30日号の記事に未掲載部分を加えた完全版です> 』(現代ビジネス)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32875?page=9